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慈 写真展

2024/7/19-21に行われている「慈」という写真展に参加しています。
そこに貼り出した文章を載せます。
文章が長すぎたの一部を貼り出していて、こちらが全文です💫
↓↓↓


解説を聞きたい人のために書きます。
想いを文章にしようとした時に、人は矛盾を無くそうとしてしまうもので、本当の想いがこの文章に載っているわけではないかもしれません。ご承知おきください。

慈しみというテーマを与えられた時に、わたしなりに調べて理解を深めようとしました。
慈愛といえばイギリスの自己啓発作家の本を昔読んだことを思い出し、改めて読んでみました。そこには清く正しく生きること・悪人にも清く正しく接し悪はいずれ淘汰されるということが書かれていました。慈しみについて語るにはここは避けては通れないところです。
わたし自身に対して清く正しくおこないたいとは思いますが、悪人にも適用できるかと言われればこの社会でその教えを守りおこなうことはわたしには難しいと、頭を悩ませました。

この教えを念頭に置きつつわたしなりの慈愛を考え その解像度を上げていければ、わたし自身にも他人にも優しくいられるのではないかと考えました。
しかし慈しみについてそう簡単に答えを出せるものではありません。偉人たちが誰もが納得できる答えを出せなかったのに、世界で争いが絶えないのにわたしに答えを出せるわけがありません。
わたしは写真展に出たり写真集を作成するときに、人生と写真について考えた文章を出しているのですが、その度に答えは出なくて結局考えることに意味があるという結論を自分の中で出しています。


さて、やっと写真の話をしましょう。

どん底に居たわたしを引き上げてくれた周りの人たちへの感謝の気持ち・わたしも手を差し伸べられる人になりたい
ということを考えながら、今回のメインの写真を撮りました。

わたしは周りの人に助けてもらってばかりです。
辛く悲しんでいたころを助けくれた人
イベント直前にトラブルが発生した時に助けてくれた人
イベントに駆けつけてくれた人
活動を応援してくれる人
わたしが生きているか確認の連絡をくれる人
やっぱりわたしは1人では生きていけないんだと思わせてくれました。

人とのかかわりから逃げなかった者だけが得られる幸せがあると思っています。

今回の展示で、人を被写体にして撮るということが何なのか改めて考える機会をもらえたと思っています。精神的な色々なことを考えながらわたしは成長できていると実感しています。

他人と接する時、少しでも優しくできる人でありたいです。わたしは無慈悲でも排他的でもないとわたし自身を信じたいです。

この写真展をみに来てくれたあなたが少しでも優しい気持ちに、そしてあなたとあなたの周りの人が幸せになれますように。

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