幸せがもう怖くないというはなし

 今年が今日で終わるので、何かを書こうと思います。

 わたしは物心ついた頃から明るくてひょうきんな子供でした。家族に愛され、友達にも人気だったと思います。思春期をむかえ、自分の容姿に自信が持てなくなり、卑屈で意地の悪い精神を養いました。軽くいじめもあったし恋をしてはフラれるし勉強はめんどくさい。きっと大人になれば何もかもうまくいくと将来に呪いをかけました。塾に通い、ノートの隅に小説を書き、デッサンを習いました。

 きっと、東京の美大に行けばすばらしい仲間と、充実したおしゃれな生活をしているうちに素敵な恋人ができるに違いないと、信じることがわたしのただひとつの宗教でした。

 東京の美大は楽しいところでした。初めて興味の持てる勉強ができて、毎日面白くて仕方ありませんでした。世界が広がるというのは、広く浅く友達を増やすことではなくて、知識が増え世界の見方が変わるということなんだとお腹の底から理解し、そのすべての感触を楽しみました。

 人は慣れる生き物です。その真新しい感動は、あの毎日は、今思い返せばそのすべてが学びに満ち、わたしの人生の初めての美しい青春の日々だったとさえ思えますが、すぐに鈍い感覚に覆われてしまいました。人間関係、恋愛、これから進むべき道、自分の感性や創作のすべて。それらはどろどろと地を這い、どうでもいいことばかりが頭の中で膨らんで、大事なことは何一つ考えられなくなりました。

 わたしはそのあと、きたないまま全部の壁にぶつかって、どこもかしこも汚しながら、なんとか生きてきました。ひどい仕打ちだ、と感じた人もいたかもしれないし、わたしのことが人生で一番嫌いだという人も少なからずいるだろうと考えます、そのくらいのひどい毎日でした。

 何もかもは跳ね返ってくるもので、考えうる最悪なことのほとんどは、息つく暇なく身に降りかかってきて、こんなことって、と泣いたり怒ったりしました。それでも、一人ぼっちで寂しいだけよりはましでした。

 何もかもいきなり解決する日が来ると本気で思っていました。ずっと、小さい頃からです。だからいつも、どうして、どうして、と憤っていました。

 その頃わたしは、幸せになったらいい作品は作れない、こんなに不幸を経験しているわたしは、いつかみんなよりもきっと、素晴らしい作品を作れるにちがいない、だから落ちるところまで落ちていいんだと自分を肯定していました。そんなことで素晴らしい作品が作れるなら、誰も苦労はしないのに。

 何もかもいきなり解決する日はまてど暮らせどこなかったけれど、日々は少しずつ良くなりました。わたしは「幸せになったらいい作品は作れない」という呪いを解こうと努力しましたが、たしかに不幸せは美しく、寂しさは共感を呼ぶし、悲しみは心に響きやすい。わたしはただ毎日ばかみたいなものを作って、誰にも意味なんかない生活をしてるんじゃないかと思いました。

 いくら大金持ちであっても、ごみに100円を出すのは嫌なのは当たり前です。わたしが自分のことを「ばかみたいなもの」と思ったのは、また、実在もしない誰かの価値観だったと思います。自分はそれをかわいいと思って作っていて、それを認めてもらえているから生活できているのは、本当に嬉しくて、幸せなことだし、きちんと認めるべきです。本当は自分だって、いいとおもって作っているんだから。

 もっといろいろなことをしたい。かわいい商品やキャラクターをつくるのもいいし、自分の心の底から作りたい作品を時間をかけて作ることも、日々の面白かったことをかいたりもしたい。本を出したいしぬいぐるみもつくりたいし大きな絵も描きたい。なんだって叶う、自分の人生は自分の好きなようにできるから、自分の思い通りにできるから、毎日ごはんをたべて、元気に動きます。不幸はもういいや。

 今年はいい一年でした。来年も頑張ります。





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