卒業制作のこと
卒業制作をつくったのはもう三年も前の話で、それは妥当な気もするしもっと昔だった気もするしついこの間だった気もする。
”もう二度と後悔しないように、信念をもって、それを忘れないようにしながら作品に還元していくこと、評価されなくてそんなに悔しかったんなら、評価する人向けのものをつくれってことですが、でもそれがなんだってんだ、とも思うし、とにかく、何言ったってしょうがないので、また次の作品をがんばりましょう、ばいばーい、ってごみばこにすてます。誰に何言われようと、やりきらなきゃ伝わらないし、だけど不安で、図面とか書いて安心しようとした自分とまるくおさめてしまったことにとても後悔がありますが、そういう思いを勉強できたので、よかっ…よくなーーい!これからもがんばります。”
選抜講評会に選ばれなかったのが悔しかった。なんの賞も取れなくて悲しかった。建築にもともと興味があったわけではなかったし、結局建築の道に進みたいとも思えなかったけど課題は好きだった。自分の作った物語を空間で表現してたくさんの人に見てもらえるプレゼンが好きだったし、みんなにわかる共通言語である図面で表現するのも模型を作るのも好きだった。いつも成績が良かったから、講評の時褒められたから、選抜講評に選ばれるはずだって思ってたから、選ばれなくて何にもならなくて、自分の四年間は何だったんだろうと思ったあの日が上記です。
選抜講評は見に行かなかった、めちゃめちゃ悔しかったから。展示に来てくれた友達や先生に「よかったよ」って言われても、終わって速攻ゴミ箱に捨てたから「もったいない!」って言われても、賞が取れないのが悔しかったからもう燃やしたい気持ちだったし、もっとできたかなあと考えると心臓がぎゅっとなるほど恥ずかしかった。
今日国分寺に用事があったのと友人の卒業制作を見に、卒業ぶりに母校へ行った。友人の作品は深く美しい青色の水面と可愛らしい記憶がきらきらと揺れていて、とても気持ちが良かった。「ほなが三年の時に水面の作品作ってたのからも影響受けてるんだよ」と言われて、彼女とはずっとお互いに影響を受けあえていると思っていたし、彼女も思ってくれていたのかと嬉しかった。
建築学科の作品を見たけれど、もうずっと建築をやっていないので、ああむつかしい、と思うしかなかった。それでも模型がきれいだなとか、ボードの完成度がすごいなとかをぼーっと見た。見ていたら大学時代によく行ってた居酒屋天平のおかあさんに声をかけられて、よくわたしのこと覚えてるなと吃驚したけれど嬉しかった。同級生におにぎり大魔神売れてるね、と声をかけてもらったのも嬉しかった。
時がどんどん流れているなあと思いながら、燃える、くすぶる、希望と不安でぐらぐら煮えている情熱の塊や切れ端や抜け殻をたくさん見た。時が流れているので、やっとわたしは卒業制作というものをじっと眺めることが出来た気がする。
自分の卒業制作はあれでよかったんだと、三年経った今やっと心から思えました。わたしの展示場所は暖房が壊れててすごく寒くて、作品にぴったりだったな。わたしの四年間のいろんな心のぐらぐらをふらふらになりながら膨大な時間をかけて綺麗にまとめたあの作品はもうないけど、もっといいものをどんどんつくるんだと、もう一度思いました。
今のわたしは昔よりずっとできることが増えたよ。
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