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子どもと関わるお仕事をされている(きた)方へ

突然ですが、

わたしは、物心ついた頃から顔がデカいんです。

家族からも、友達からも、周りの大人からも、
とにかくそれをイジられてきた。

当然、写真を撮られることも嫌い。

幼少期の写真は、ふてくされてるものばかり。

毎日、泣いてるか怒ってるかのどちらか。

幼稚園なんて、朝からお迎えまで
ずーーっと泣いているような子どもやった。

そうやって育ってきたから、大人になっても、
"自分が嫌い"というのが払拭される事はなかった。

"愛される資格がない。
人の役に立たないと存在価値がない。
存在するだけで良いなんて思えない。"

何か思い切ってチャレンジをしようと思った時に必ずぶち当たるこの壁。

それを、もうそろそろ突破したい。
そう思った時に、
自分と、とことん向き合ってみた。

何が嫌だったのか、何が悲しかったのか。
どんなことに腹立ってたのか。

たくさん書き出して、
思う存分、泣きじゃくった。

しばらく泣いた後、
"本当に誰も味方してくれなかったか?"
と、自分に問いかけてみた。

そんな事はなかった。
無条件に、私の味方で居てくれた人がおったわ、、、って思い出した人。

それが、幼稚園の時の担任の先生やった。

私が通ってた幼稚園はマンモス園で、
6クラスあり、1クラス当たりの児童数も
めちゃくちゃ多かった。

行事も、カリキュラムも沢山ある幼稚園で、
先生たちはめちゃくちゃ忙しかったはずなのに。

朝から帰るまで不貞腐れて泣いてるような、
クラスで1番手のかかる私を、

決して邪険に扱わず、なんならずっと膝の上に乗せて、職員室に行く時まで連れて行ってくれるような、先生やった。

何のジャッジもせず、ただただ私の100%味方でいてくれた。

1人じゃなかった、無条件に愛されてた、
そんな事を思い出した時、声をあげて泣いた。

それを思い出した今、
その先生の存在が、私にとっての心の支えになっています。

子どもと関わるお仕事をされている皆さん。

なかなか褒められる機会もなければ、
仕事内容に見合わずお給料も低いし、
評価されにくい職業だと思います。

でもね、
皆さんが子ども達に向けてくれた愛は、
こんな風に誰かの心の支えになっているかもしれません。

先生たちの愛は、お金で買えるものではありません。

自分が評価されているわけじゃなくても
子ども達の成長を、自分の事のように喜んでくれる先生方の存在が本当に尊い。

お父さんお母さんが、子どもたちにやってあげたくても出来ない事を代わりにやってくれる。

そんな誰にも真似出来ない尊い仕事をされてる先生方が、
心を病まれてしまったり、
辛くなって仕事を離れてしまったりするのが
悲しくて仕方がないです。

"先生不足"に対する対処法として、
自治体の議会で取り上げられるのは、
頭数を増やす事ばっかり。

手当を3ヶ月支給しようとか、
片っ端から退職された先生に電話してみようとか…。

先生一人一人の想いはどこいった?
何で辞めないといけなかったのか?
どんな想いで仕事をされていたのか?
そんな事は議論されず。

辛くなって辞める事を目的に
先生になった人なんて1人も居ないはず。

子どもたちの笑顔に繋がる志と希望を持って
先生というお仕事を選ばれたはずなのに。

無力な私にはどうする事もできないですが、
子どもと関わる仕事をされている方が、
正当な評価をされて、
その尊い存在価値が社会でしっかり認識されますようにと願わずにはいられません。

赤組さんの時の担任の上野先生。
白組さんの時の担任の望月先生。

もし、今ツラい事があって自分を責めてしまうような事があるのなら、

どうか、届いてほしい。

先生たちのおかげで、今、
私は心から笑えています。

お2人の存在が、私にとっての希望になっています。

無条件に味方で居てくれたお2人に
心から感謝しています。

そんな私にとっての恩人であるお2人が、
どうか幸せで溢れる毎日でありますように。

いつか、直接お礼が言いたいな。

先生をやってる皆さん、
なんにも出来なくて良い、やらなくて良い!
目の前にいる子どもに100%味方である目を向けてくれてるだけで、
あなたは十分に仕事を全うしています!!!

周りが何と言おうとそれ以上頑張らなくても良いから
どうか、どうか、病まないで。
こんなに尊い仕事はないから。

日本の未来である子どもたちを見てくれてる、
日本の宝である先生の皆さん。
どうぞこれからも子どもたちを宜しくお願いします。

本当に本当に、ありがとうございます。

心からの感謝と敬意を込めて。-彌榮-

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