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感謝の裏に潜む承認欲求

11月からお世話になっている起業塾の
3日間のリアル講義を終えて。

この講義の私のテーマは、
「自分の命に全集中すること」だった。
きっとこれは、これからの人生でもそうなんだと今は思う。

運営陣の投稿で、プロ意識を改めて感じさせてもらい、
自分が塾生としての役割に集中させてもらえる環境だったんだと氣付かされました。

いつもいつでも、みんなの想いを知っていたくて。
"そんな想いでやってくれてたなんて知らなかった"って後悔したくなくて。
表面で見えてる部分だけで捉えずに、裏側を見る癖がついていた。
そこへの感謝を必ず考えながら。

その背景にあるのは、
「自分を表面的にではなく、やってきた事や想い、裏側までちゃんとみんなに褒めてほしい」
という、頑固な承認欲求だった。

(もちろん、地球全体を束ねていきたいというビジョンがあるからという視点もあるけど、今はそこは置いておく)

自分を自分で認めてあげた上で、
運営側の氣持ちを考える余裕があるのではない。

自分がやって欲しい事を、人にしていた。

それを指摘されたくないから、
いかにも正しい事をやってる感を出しながら、
何よりも大事な自分をおろそかにしていた。

その事を、自覚する余裕もなく、
自分に集中出来ていた事を、後から氣付いた。

運営陣の氣持ちを理解することに時間を使わなくていい。
まずは、自分に集中して良いんだよ。

みなさんの在り方に、
そう言われている氣がした。

自己表現をしたくなさすぎて、
それを真っ当な言い訳に使ってたのもある。

今までは、
"それは良くないから、早くここから抜け出して成長しよう。"という思考になってた。

でも今は、そんな人間らしい自分も、すごく愛おしい。
同じような心情でいる人たちにとって、希望になれるかもしれない。と、誇らしい氣持ちでもある。

その上で、宣言します。

「私は自分の可能性を絶対に諦めません」

「私は自分を責めてしまうお母さんがこの世界から居なくなるまで、絶対に諦めません」

心からの感謝と敬意を込めて。-彌榮-

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