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お前らケンカすんなよ、イケメンなんだし

「女の子って本当に楽しい!キャンメイクトーキョー!」声に出すと本当に楽しくなる。男の子も楽しくなれる気がする。声に出してみた男の子はどんな気持ちになったか教えてほしい。

女の子って本当に楽しい!キャンメイクトーキョー!

1年半ほど躁鬱で仕事をしていなかった期間があり、躁を封じたり鬱を抜けたり格闘するうちに、世の中には「憂鬱と両立できないもの」があると発見した。
憂鬱な気分のときにそれをやると、心のスペースの椅子取りゲームになり、憂鬱をおしりで吹っ飛ばしてしまうようなもの。

私としてはひとつひとつが大発見だったけれど、身近な人に話しても首をかしげられるばかりなので、波長の合う人にだけ届けばいいかなとnoteに書くことにした。

まず一番が、カレーを食べること。憂鬱な気持ちとカレーを食べることはどうも上手に両立しない。特に、調理実習で作るような具がゴロゴロしてて、おしゃれなアレンジはしてないやつが良い。「ああ、なんか生きるのしんどいな」と思っても、「カレー食べてるのに?」と自分でツッコむとちょっと笑えてくる。
さっきまで、じゃがいもとにんじんと玉ねぎを同じ形に切りそろえて、スパイシーに煮込んでたのに?

どんな食べ物にも人を幸せな気持ちにするパワーはあるけれど、カレーはひとしおだと思う。和食は哀愁を感じてしまうし、かといってあまり不慣れな料理には疎外感を感じる。カレーは程よく身近で、まだ日本の歴史の哀愁を身に纏っていない。

私は泣きながらおにぎりを完食したことはあるけど、泣きながらカレーを完食したことはない。「ご飯にカレーを選択した時点でもう9割方立ち直ってんだろ」と思って笑けてきてしまう。

「馬鹿にしてるのか?」と言われそうだけど、私は本気で褒めてるし何度もカレーに救われている。そういえば昔から褒めてるつもりが人を怒らせがちなので予告しておくと、ここまでも、ここからも褒め言葉です。

憂鬱と両立しないもの第1位はカレーを食べること。第2位以降(というか明確に順位つけたことなかった)は全部言葉だ。声に出すだけで憂鬱を椅子から転げ落として心の真ん中に座り、ダブルピースしてくるような言葉。

「女の子って本当に楽しい!キャンメイクトーキョー!」もそのひとつ。「女の子って本当に楽しい!」で心が浮上して、「キャンメイクトーキョー!」で2段ジャンプが決まる。私はやる気しないけど鏡に映ってるこの女の子を外に出してあげようかな、くらいのエンジンがかかる。

「毎日 おもしろい イェイ 毎日 おもしろい イェイ イェイ」
はちみつきんかんのど飴のCMソング。「ま おもしろ イェ」と韻踏んでるのも良いし、「おもしろい」の部分をはっきり伸びやかに歌うところも良い。公式の歌詞が「イエイ」でも「Yeah」でもなく「イェイ」なのも可愛くて好き。「毎日 おもしろい イェイ」と歌ってる間にその日のおもしろかったことが一個くらいは浮かんでくる。

「好きな人が 優しかった PEACE!」
モーニング娘。の『ザ☆ピ〜ス』の歌詞。両思いだったとか、付き合えたとか、恋愛の結果を一旦視界から外して「優しかった」ことに「 PEACE!」と叫ぶのが気持ちいい。憂鬱な時って、起こってもいない事を先回りして妄想して落ち込んでしまう。現時点で嬉しいなら、「嬉しい!」で良いのだ。

「大好きだから笑ってヨ」
LINDBERGの『今すぐKiss Me』の歌詞。このフレーズが大好きな理由は、「笑ってヨ」の理由を自分主体にしているところ。例えば相手主体で、「(あなたは)可愛いから笑ってヨ」だと、「いえいえ私は可愛くないですし…」と否定できてしまうけど、「(私が)大好きだから笑ってヨ」だと逃げ道がない。相手の逃げ道をなくすのは、包容力のひとつだ。

お前らケンカすんなよ、イケメンなんだし

カレー沢薫さんのエッセイ『負ける技術』の「#91 なぜ、今〝三国志〟なのか」で、『バイトのコーメイくん』の連載開始が紹介される。

「三国志に詳しくない」と敬遠する人もいるかも知れないが、と前置き、カレー沢薫さんは三国志を恋愛ゲームでしか知らないという。

歴史創作物ではちょっとでも史実と違うことを書くと詳しい人からクレームが入るというが、画面の中の男を本気で好きになれる女に、「事実と違う!」などと言っても無意味である。
私も連載の参考にと最近の三国志乙女ゲーを調べてみたのだが、いずれも期待を裏切らぬイケメンばかりである。劉備、曹操、孫権がイケメンなのは当たり前として(はたして当たり前なのか)、多くの創作物でヒゲの巨漢として描かれている董卓でさえワイルドなイケメンになっているという素晴らしい世界であり、お前らケンカすんなよ、イケメンなんだし、とつい言いたくなる。

カレー沢薫 2015「負ける技術」講談社文庫

「お前らケンカすんなよ、イケメンなんだし」

このフレーズの、三国志をケンカと言ってしまうところ。そのケンカをイケメンなんだからやめろよと言ってしまうところが好き。

三国志がそうだと言うわけじゃないけど、ひとつの物事に集中しすぎてにっちもさっちも行かなくなることがある。

人手不足の会社にこき使われてるだけなのに「ここで自分が抜けたら仕事が回らなくなっちゃう」と生活を犠牲にしたり、友達全員に渋い顔をされる男を「やっぱり私しか理解してあげられない」と世話焼いてみたり。

問題の重さが自分のキャパを超えたとき、必要なのは「その問題めちゃくちゃ軽いですよ?」という指摘だ。

キャパを広げるためのビジネス本なんて読んだらますます問題が重くなる。

「お前そんなにパソコンピコピコするなよ、美人なんだし」って一日一回パソコンに表示されないかな。

芥川龍之介が、『人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。しかし重大に扱わなければ危険である。』と言ったらしい。

私はばかばかしいくらいマッチ箱を重大に扱ってしまう側の人間だ。危険じゃない代わりに、壁にぶつかったときばかばかしいほどぐずつく。

「火事の心配ばっかすんなよ、可愛いんだし」と言ってくれる人が必要だ。他人に言ってもらうのが一番効きそうだけど、そんな恥ずかしいこと人に頼めないので、カレー沢さんのキャッチーな「お前らケンカすんなよ、イケメンなんだし」を覚えておく。

イケメンケンカすんな構文と名付けて、
「お前ら〇〇(問題を軽く扱う言葉)すんなよ、× ×(褒め言葉)なんだし」
を使い回すことにする。



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