生きることにする

冷房の程よく効いた部屋で、屑ほどの大きさの脳を働かせる。私は何のために生きているのだろうか。ちょうど3年前から頭がおかしくなった。その頃から、自分の生き様に恥を覚えるようになった。このままでは生きてはいけないし、生きていけない。私はよく自己啓発本を手に取り、己の改革を試みる。が、うまく行った試しはない。私はこの気持ち悪い私が好きなようだ。

友人の境遇に嫉妬し、憧れ、死にたくなる。家族を想い、返すべきものを返してから死のうと決意する。歩く犬を眺めて、彼の気楽さを求めるが彼なりの苦悩もあるのだろうと思い知らないふりをする。自分に餌をやり、快適なように室温を調整し、死なないように慰める。日々はこの繰り返しである。いっそのこと殺してしまいたい。ただ理性があまりにも強固であるからどうしても殺せない。こんなことを言って本当は臆病なだけだ。格好つけるのはよそう。

自分を分類したくて、エニアグラムやらパーソナリティ診断やらに手を出す。その度に受け入れられない気持ちになる。受け入れる必要もないか、と放り投げようとするが思うことがあるのだろう。振り上げた腕をゆっくりとおろしその場に立ち尽くす。やはり私は臆病なのだ。しんどい。

本当の私を理解してほしいと思うけれど、実際のところ自分でも本当の私なんてわかっていない。自分ではわからないから、他人の手で彫刻のように削り出してほしい。そうでもしないと私は私がわからない。ずっと惨めだと思い続ける。こんなにも恵まれている身だというのに。周りのありがたさを正しく認識しろといつも思う。当たり前のものではないんだよ。




もう一度生まれ直させてほしい。

今度は手に私の取説を持たせて産み落としてください。

そうしてくれたらその通りに生きるから。

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