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生きること学ぶこと

随分前だが、自坊ではお彼岸は、お経回りをする。台風もあり、天候にはめぐまれないものであった。そんな中で車中で聞いていたのは…ギチの完全人間ランド

かなり面白くて飲んでいたコーヒーを吹いてしまった。そもそもコテンラジオはあまりに面白くて、コテンサポーターになってしまったが、これも面白し、つくられていくコミニティがあまりに魅力的なんでスポットスポンサーになってみようと考え、11月分でサポーターになった。

いわゆる教養を英語で表すとリベラルアーツとなる。直訳的には「自由になる技術」となる。すると学校の成績とかではなく、事実をメタ認知し、発想が自由になる技術と言えようか。

ギチの2人はそれを体現していると思う。事実を認識するもそこに執着していない。そこに笑いに変えている。知性を感じないわけにはいかない。

また、この完全人間ランドのコミニティは徐々に相互に贈与しあうやさしい組織になりつつある。ある意味のプロセスエコノミーであり、資本主義の超克の雰囲気さえ感じさせる。

個人的にはこれからの寺院のあり方にも参考になるなーと感じています。

また、人生の先輩で現在寺院運営の件で研究されている方と対話もした。そこでは、今後のあり方として一寺院、本山、住職、一僧侶それぞれの立場で今とう時代にどう向き合うべきかを考える機会となった。

そこで個人的に感じたのは、今までは寺院に人が来てくれることに考えていた。自坊はそれなりに来て頂いてはいる。一方で自分が外の社会に参加できているのであろうか?

たまたまコロナ禍で機会があり、オンラインでデスカフェや生老病死を考えるワークショップを行い。地元の医師や社会福祉士の方々とも対話を行っているが、リアルには少ない。今後のあり方としては、リアルを増やしていくことが必要であろう。

そのためには、自身がコミニティに入っていくことが必要であり、欲得でなく、相互に依存し合う関係をつくれれば理想であり、それをギチの完全人間ランドは見せてくれているとも感じる。

いずれにせよ、葬儀・供養は寺院の中核ではあるが、これからの寺院のあり方はそれだけではなりたつまい。そこをどう超えていくかは寺院の置かれた状況、住職の個性によることになる。マニュアル的なものにはなり難い。マクロな視点とミクロな視点を行き来しながら考える必要がありそうです。





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