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『視点という教養』を読む

Spotifyに「a scope」という番組がある。今は資本主義をあつかっているが、教養すなわちリベラル・アーツを扱っていた。リベラルは自由、アーツは技術の意味だから、自由になる技術と言える。
常識を疑い、今見ている世界を違った視点で見るために必要のものではないだろうか。
その a scopeの内容を文字化した書籍が『視点という教養』である。

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さまざまなジャンル(物理学、文化人類学、仏教学、歴史学、宗教学、教育学、脳科学)の専門家が深井、野村というMCと対談をしていく。そこには各学問の視点が明示される。番組は聞いたが、改めて本書を購入し読むと、改めて内容の深さが感じられる。


また、音声では聞き逃したり、意識できなかった部分、自己にとっての重要な視点と感じた部分を再認識できた。


自分は聴覚より視覚の方がより確かに認識できるのか?とも感じる機会にもなった。
さて、内容そのものは読んでいただくのがよいが・・・僧侶、住職として重要な視点は、


物理学では、物理学が原理原則でものを理解すること、それ故理解できないことを早めにそり落とす。一方、社会学は人間を扱うため自然法則に従わない要素があり、考えるを早めに諦める傾向があると述べています。個人的に原理原則を見出す行為は、抽象化し具象化することにもつながるので大切だと感じます。一方で生きていく問題の多くは、人間同士の問題だと思いますから、両方の視点があると良いなと感じます。


文化人類学では、当事者と観察者の視点をもち、ファクトをまず受け入れる、一歩引く視点の獲得方法に触れていて、今の自分を解析度を上げ見つめるにつながります。外的な部分の自己を見つめる行為でもありましょう。 


歴史学では史料と史料の間を埋める行為により、歴史を哲学的に考察する機会が生まれるのであり、日本の場合比較的史料が多くあり、合間を埋める(ストーリー)行為が育ちづらく、低い評価になりがちと述べられています。個人的にはこの能力って大切で、その人物の視点でものを考えることであり、その見地で今を見る。そこから何を感じ、どう生きるかにつながると思う。デスカフェや読書会などで行う対話のファシリテーターもこれに類する力が必要になるなーと感じます。


教育学では比較的、現代社会のニーズと教育制度に触れていて、具体的な問題を扱い。本書では異質ではあります
脳科学は脳と体の関係、体の状態を良くするものとして瞑想があることにも触れています。また、脳が推論する要素を持っていることや経験することで模倣しやすくなることにも触れています。個人的には、逆に推測、憶測によって生じる誤解もありうるので気を付けるべきものでありましょう。

さて、本書で最も刺激を受けたのは、やはり、仏教学と宗教学ですが・・・仏教学に関しては、「なぜ、念仏をとなえると救われるか」であった。

深井 唱え続けることに疑いが生まれても、唱え続けるという体を使った行為を続けることで、「疑う」というエゴがなくなっていくんですね。      龍源 これは、西洋哲学のエックハルトが言った「自我の薄い人が神に近い」という趣旨の言葉に通じるものがあります。                   深井 自我が薄いと、あまり疑問を持たないですからね。識字率の低い時代に、仏教の真理を農民たちに伝えようとして思いついたのが、ゲシュタルト崩壊させることだったんだ。現代であれば、自分の考えを持たない人は淘汰される傾向にありますが、仏教ではむしろ、そちらのほうが悟りに近いというのが興味深いです。                         龍源 すごい方法論ですよね。 浄土真宗の方々には「違う」と言われてしまうかもしれません

また輪廻転生に関しても述べていて、ロジカルな仏教がなぜ非ロジカルな輪廻転生をバラモン教から採用したかにも触れています。

宗教学はそれこそ興味深いですが、自殺に関しての対応や布教の位置づけが面白い。

キリスト教的には神の命令に背くことになるので、自殺は悪であり、殉教すなわち布教のために死ぬのは是としています。

この点、仏教は自殺、自死を必ずしも悪とはとらえてはいません。仕方がなく自死を選ぶケースもあります。悟りを得た後に、身体的苦痛に苛まれ死を選んだ弟子も「涅槃」にはいったと述べています。自死は否定しませんが、人間として生きていることから、仏教に出会い、修行する機会でありもったいない行為とは位置付けています。

本書を読んで感じるのは、日蓮聖人もしくは日蓮教団の思考がかなりキリスト教的であり、江戸時代に日蓮宗不受不施派とキリスト教が禁制されたのもむべなるかなと感じられました。

かなり興味深い一冊です。

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