見出し画像

ヘドロの底に、輝く半貴石を見た。空気階段 第5回単独公演「fart」

空気階段のことが、あまりにも好きだ。

先の大雪の夜、私は空気階段 第5回単独公演「fart」に行った。都内の交通網は混乱が予想されていたので、もし帰宅困難になった場合はビジネスホテルにでも泊まるつもりだった。

JR新宿駅の南口を出て、ギター1本で歌うストリートミュージシャンの声やら会社帰りと思しき人たちの会話、ときに雪に足を滑らせた誰かの小さな悲鳴が飛び交う中を、私は傘を握りしめながら会場に向かった。

空気階段のことを好きになったのは2017年頃、何かの拍子に聞き始めた深夜ラジオの30分番組が切っ掛けだった。夜の繁華街などに出かけては酔っぱらった人や強烈な個性を放つ人たちにインタビューをし、珠玉の名言を引き出していたロケコーナー。今となっては口もきいてもらえなくなってしまった妹と2人、母親の帰りを待ちながら遊んでいた幼少期を模した鈴木もぐらの即興コントなどを聞いているうち、どんどん心が引かれていった。

お笑いのショーレースで優勝しながらも、まだ芸1本では生活できていなかった2人が語る当時の生活やむき出しの叫びには、恐れ多くも自分の過去を重ねていたし、番組中に何度も本気で喧嘩をする2人にハラハラしていた。当時鈴木もぐらがアルバイトをしていた歌舞伎町のカラオケバーで1日だけ働くも、すぐに酩酊して潰れた水川かたまりが、ろくに呂律の回らない声でこうつぶやいたときはラジオの前で泣いてしまった。

「もぐらはすごいよ。でっかい声を出して、周りを盛り上げてがんばってた。俺、もぐらとコンビを組めて本当によかった」

千葉の団地で育った鈴木もぐらのエピソードは、どれも北野映画のような切なさと透明感をもっている。何人目かの父親にパチンコの換金所を「餃子屋だ」と教わったもぐらが、小学校の帰りに空腹を満たそうとして真実を知るエピソードや、高校時代に将棋部に入ったもぐらが数人の部員らとともに大会へのエントリーを顧問に直談判をするも「弱いんだから出ても無駄だ」と言い捨てられる話、大阪芸大を中退した後に風俗店で働いていたもぐらに「成人式にだけは出ろ」と10万円をポンと出してくれた偽名の店長。そしてそのお金を競馬で溶かしてしまったエピソードなど、ある意味ではどん底であるといえる時代のエピソードも圧倒的に輝いていた。

一方、岡山で両親の愛情を一身に受けて育ち、慶應義塾大学法学部政治学科に進学するも方言をバカにされてしまった水川かたまり。そのまま大学を中退して引きこもっていた中で出会った「お笑い」の道。不器用に偏った天才肌ゆえの挫折と再生のエピソードをともに聞き続けていると、まるで1本の映画を見終わったかのような充足感を覚える回が少なくなかった。

「お笑い芸人として胸を張れるまでは」と、もぐらが誰にも語ることのなかった銀杏BOYZとの関わりを回想しながら語った放送回は、今でもときどき聞き返している。

      ***

新宿駅から徒歩10分もかからずに到着したLIVE会場は、すでにファンで溢れていた。

単独公演「fart」の全国ツアーはまだまだ続くので、ここでコントの内容に触れることはできないが、ヘドロの底に手を突っ込み、自らの手を傷つけながらも、そこから半貴石を取り出して見せてくれるような深い優しさが、すべてのコントに満ちていた。

数年にわたって聴いてきた彼らの人生が、様々な形にその姿を変えて、そこかしこに輝いていたと感じた。

私小説を書くタイプではない私の小説にも、その源に実体験があり、そのときの感情が滲み出ることがある。並べて語っては失礼だろうが、「fart」にもそれを感じた。

雪の降り止んだ新宿の夜気に、泣きはらした目と興奮した脳を冷ましながら、私の人生には空気階段があって心から幸福であると神に感謝した。







この記事が参加している募集

推しの芸人

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?