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#LaunchJapanから見えた、日本の有人宇宙開発5つの論点。

2020年6月のHSPお披露目に際して、私たちは#LaunchJapanというハッシュタグを用い、宇宙開発に関心のある方々にTwitter上で広く意見を表明していただきました。

華やかな一方で、技術のみならず政治や文化、技術などの要素が複雑に絡み合う有人宇宙開発。「客体としての賛美のしやすさ」と裏腹にある「主体としてのとっつきづらさ」もあってか、総合的に議論される機会というのはあまり多くありませんが、今回は予想以上に多くのご意見をいただきました。そしてその多くのコメントから、現在の日本の有人宇宙開発を考えるにあたり、いくつかの重要な論点が見えてきました。

論点①:どこにフォーカスすべきか?

一口に有人宇宙開発と言っても、ロケットから宇宙船、モジュールや着陸船など、様々なパーツが関与しています。その規模と複雑さゆえ、全てを一国で担うのは日本はおろかアメリカでも難しいと言われています。その中で、どの部分に注力すべきか。

一つの考え方は、「誰も手を出していない『先の先』の有力者になる」というものです。日本にもとても有力な国産ロケットがありますが、有人打ち上げの実績はありません。現在有人ロケットを有しているのは米露中の3か国で、インドがそれに続こうとしています。これらの国に対してパワープレイを挑むのではなく、その先のニッチを攻めるのが吉、という考え方は充分成り立つでしょう。


他方、「まずは有人弾道飛行を目指すべき」という考え方もあります。どれだけ有人宇宙開発のフェーズが進んだとしても、宇宙機の中に人を載せるという点では変わりはないため、そのトータルな経験をミニマムな形で積むことのできる有人弾道飛行事業に全力を注ぐべき、ということです。


また、パーツではなくソフト/ハードという観点で見ることも可能です。重い腰を上げたとして10年や20年という長期的な時間感覚を要する有人宇宙開発。しかし現在の世界の目まぐるしい状況変化は、数年というスパンでゲームが決まり得る勢いです。スピード感を最優先にするのであれば、ソフト面の強化を計るべきという主張が成り立ちます。何をもってソフトとするかはまた議論の余地があるかも知れませんが、衣食住といった「生活に密着する」日本の得意分野をうまく活かして行くことが、この路線のキーとなるかも知れません。

論点②:国 or 民間?

もう一つの大きな論点は、開発運用主体についての議論です。これは、種々のリソースを誰が確保し、誰がリスクを追うのか、という問いに換言されます。最も大きな要因は、やはり予算。しかし、「莫大なら、無理無理」と諦めては話が始まりません。地に足のついた前向きな検討が必要です。


もしも国が主導するとなれば、JAXAの予算から捻出することになります。平成30年度の決算書によれば、約2000億円のJAXA予算のうち、ISS関連事業には約300億円が割かれています(人件費などを除く)。例えばISSに加えて有人の打ち上げ能力を獲得しようと思えば、仮にISSの運用を大胆に民間委託してコストを削減したとしても、有人関連の大幅な予算増額を要します。現段階で既にかなりのボリュームになっている「有人」に、他を削ってまでの増額を実行するには、極めて強い政策的動機が必要となります。

広く国民全体への明確な利益が平等に行き渡るような政策が求められる国家プロジェクトでは、超長期的な意義の見出し方の必要な有人宇宙開発を自立的に行うことは難しいという見方もあります。


とは言え「民間に丸投げすればOK」というシンプルなシナリオも、残念ながら存在しません。NASAの有人宇宙船民間委託プログラムであるCCDevが始まってから今回の宇宙飛行士打ち上げに至るまでの9年間でSpaceXがNASAから受けた資金は計31億ドル、3300億円相当の金額です。単純に比較はできませんが、日本発宇宙ベンチャーの最高調達金額がアストロスケールの7年累計153億円であることを考えると、政府の支援なしには成り立たない、という意見も説得力を持ちます。


論点③:まず手を付けるべきものは何か?

有人宇宙開発の明確な目的と予算はあったとする。ではその目的を達成するにはまず何をすべきなのか?人材育成はマストだけれど、そのための環境構築がまずは必要。でも環境構築には人材育成が必要では...? こうした「鶏が先か卵が先か」の問いに対してもいくつかのポイントが上がりました。

欧米に比較した日本社会の人材流動性の低さは一般に指摘されることですが、様々な知見を結集する必要のある宇宙開発に於いては、特に重要になります。内閣府の宇宙産業用人材プラットフォームS-Matchingや宇宙ビジネスに関わるHR領域に取り組む企業も登場するなど、状況の好転が期待できそうです。個人レベルで見れば転職の他にも、リーマンサット・プロジェクトのような形でまずサイドプロジェクトとして何かに取り組むという方法もあるかも知れません。


さらに、それよりも前の段階で、知見と技術と熱量を持った人材を育てる部分が重要だという声も上がりました。HSPもまさにこの考え方に則り、有人宇宙開発に関する人材層を縦横に分厚くすることに団体としてプライオリティを置いています。


超真空試験、極低温試験、振動試験などなど、宇宙機としての性能を担保するためには多数の試験が必要です。「精度を極限まで高めたオンリーワンのパーツ」ではなく「量産するための『ほどよい』性能のパーツ」によって宇宙機の製作が行われる流れの中で、そうした試験や実験設備を高い稼働率で回して行くための仕組みは重要になりそうです。


有人宇宙開発は華やかに見える一方、その印象の強さ故に「自分には縁のない分野」といった風に遠ざけられがちな一面もあります。長期的に裾野を広げていくために、身近なテーマといかに上手く結び付けていけるかが重要になります。


新しいものに挑む際には失敗のリスクが常につきまといますが、巨額の資金を投じて人命を預かるミッションを行うのが有人宇宙開発であり、そのリスクの大きさは尋常ではありません。しかし「リスクを適切にマネージする」ことと、「リスクを取らない」こととは根本的に異なります。こうした部分から有人宇宙開発という事業そのものについての認識の変化を起こして行く必要がある、という意見もあります。


論点④:どこまで自前で開発するか?

論点①とも関連して、「何を国際協調で行い、何を自国オリジナルで賄うか」という論点が非常に大きなものとしてあります。ただしこれは、「国際協力 vs 自国第一主義」という単純な構図ではないことを理解する必要があります。
米ソが威信をかけて競い合ったアポロ時代とは異なり、現在の有人宇宙開発はミッション規模の大きさゆえに多くの国の協力、言い換えれば相互依存の上に成り立っています。仮にNASAがその全予算を投じたとしても、現在のISSの運用を一国だけで賄うのは難しいでしょう。国際協力は有人宇宙ミッションに於いては「選択肢」ではなく「前提」です。現在NASA主導で計画が進められている月軌道ゲートウェイに於いては、拡張式居住モジュールはNASA、多目的モジュールはRoscosmos、有人宇宙船はNASAとESA(ヨーロッパ)、ロボットアームはCSA(カナダ)、カーゴ船と生命維持システムはJAXA、といった分担をしています

このように各国がそれぞれの強みを活かしてプロジェクトに「貢献」をし、その貢献度合いに対応する形で、滞在できる宇宙飛行士の人数や実施可能な実験の数などが決まります。いわば「貢献」と「機会」のGive & Takeによって成り立つ協力関係なのです。

一国の立場で言えば、自分達の有人宇宙活動のオプションを広げるためには、より多くの「貢献」をすることが重要になります。そのためには、「自前で提供できるカード」を、より多く持っておく必要があります。ゲートウェイのようなプロジェクトでは、一つの要素に対して複数の国が手を挙げ、調整の後に何れかが引く、という形で分担が決まっていきます。いわば、「誰がより多く貢献できるか、より優れたオプションを各所で提示できるか」という競争なのです。自国での開発能力を上げることは、国際協調の枠組みの中で自分達がやりたいことをできるようにするために、避けて通ることのできない努力なのです。


しかしながら、カードを無尽蔵に増やすことができる訳ではありません。その中で今すぐ取り組むべきものと、一旦置いておいて長期的に視野に入れていく形をとるものとを峻別する必要がある、という意見も出ました。


特定のドメインに対して自前での技術開発をとらないというスタンスには、国際協調とは別に技術・ノウハウの輸入という方法もあります。安全保障との関連性の強さから国際的にナレッジが行き来することには多くのハードルがありますが、今後淘汰が進んでいくであろう宇宙産業に於いて、考慮の余地の充分にあるオプションになりそうです。


論点⑤:そもそもなぜ行くのか?

最後に重要な論点として、どんな理由・動機で有人宇宙開発に取り組むのかというものがあります。一般には「科学技術の発展のため」というロジックが主流ですが、ではなぜ国、あるいは企業が科学技術を発展させなければならないのか、あるいは科学技術の文脈の他に「人を宇宙に送らなければならない理由」があるのか、なども考える必要があります。

「なぜ科学技術なのか」という問いに対する一つの考え方は、「技術力は国家の基盤である」というものです。日本政府も技術立国を標榜していますが、この考え方に則るならば、「将来性ある技術領域」の一つとして有人宇宙技術を捉えることが可能です。そしてその向上に努めることは、今後の日本の国としてのパワーの維持に繋がるという主張が成り立ちます。


他方、「科学技術ではなく、もっと人間の根源的な欲求に根ざしたものとして捉えなおすべきだ」という見方もあります。日進月歩で生活に直結する成果を次々と科学技術が生み出していた20世紀に比べ、近年は各領域が複雑化・高度化し、「費用対効果」を考慮するのが難しくなっている傾向にあります。国際宇宙ステーション(ISS)での科学実験も果たして費用に「見合って」いるのかという批判は常に存在します。それに対して苦し紛れの回答をするのであれば、いっそ根本的に動機を見直してみることも必要なのかもしれない、という意見が見られました。


技術を大まかに「国の基盤」とする見方から一歩踏み込んで、「産業」という文脈で語るべきという意見も出ました。新技術による暮らしのアップデートへの貢献ではなく、産業として雇用を確保するという形で人々の生活に資するというアプローチです。とりわけ日本の製造業の俯瞰的なコーディネート力、小型化力は今後の有人宇宙技術の発展トレンドと相性がいいのではないかという考察も見られました。


まとめ:やるなら、自分たちしかいない。

ここまで、日本の有人宇宙開発を考えるにあたって重要な5つの論点を提示し、それぞれについていくつかの見解を紹介してきました。どれも簡単に答が出るものではなく、問同士も独立したものではありませんが、しっかりと向き合っていく必要があります。これがきっかけになって、有人宇宙に関する議論がまた起こればと思っています。HSPでも、各々の論点についてより掘り下げた記事を今後掲載していく予定です。
このプロセスはとても重いものに感じるかも知れませんが、私たちは今回の #LaunchJapanの動きを通じて「日本はまだいけるのではないか」という手応えを感じています。その理由の一つは、ここまで紹介していた意見が、全てTwitter上での議論であることです。即ち「有識者の見解」ではなく、このハッシュタグを見て自発的に出てきた若手のアイデアだということです。普段仕事にしていなくとも、まだ勉強中の身であっても、自分事として有人宇宙開発について考えている若手が、これだけ多くいる。そのことは、少なからず大きなプラス要因と考えられるはずです。


しかしまた同様に重要なのは、この #LaunchJapan の動きが無ければ、これらの声は各々の中に埋もれたままだったということです。
大きな夢は時に人を動かしますが、時に人をすくませもします。考える前から「自分には無理だ」と諦めてしまわないように必要なのは、連帯、つまり他の人の考えを聞くことです。同じ問題意識を持ち、同じ夢を見ているのは、自分ひとりではないと知ること。そのことが非常に重要です。

Homer Spaceflight Projectは、そんな若者の一番近くで、最も遠くを見据えながら、火を灯し続ける存在でありたいと考えています。

(了)





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