理系と文系の境目

9月3日 日誌
 9月3日、homeportが主催するイベントの一つである、研究ライブ「かもめ」の第2回が開催された。遅くなったが、当日の事を少し振り返りたい。

 今回のテーマは、「ダム建設に伴う移転を経験した集落における民俗芸能の継承過程」で、有名大学に通うKさんが自身の研究テーマを発表してくださった。

 私が研究ライブに参加するのは今回が初めてであるが、事前に私が抱いていた研究ライブに対するイメージは、良くも悪くも格式ばったものであった。
 発表形式は、予備校の講義のような発表者から聴講者に対して一方的に情報が流れ、発表終了後に質問タイムが設けられるもので、内容についても、学術分野特有の小難しい表現が飛び交う敷居の高いものを想像していた。

 しかし、実際は発表中にも質問や意見が差し込まれ、それに対し発表者のみならず聴講者もまた考え議論するような対話的なものであった。聞くところによるアメリカの授業形式に近いものなのかもしれない。
 また、内容にも小難しい表現はなく、誰でも聴きやすいと感じるような表現ばかりで、理解もしやすかった。必死に理解しようとしていた自分が却って肩透かしを食った気分である。

 とにかくイメージとは異なるものであった訳だが、むしろ対話的なものの方が好ましく思えた。
 発表者との距離が近く、コミニュケーションが取りやすい。いっそのこと、酒の肴にしてしまえるほどフランクなものも良いのかもしれない。
 
 いよいよ、肝心の研究内容に触れたい。
 まず背景として、担い手不足や伝承の断絶が伝統芸能が衰退している現状がある。しかし、集落の移転を契機に、伝統芸能が脚光を浴び、集落の外側にいた人々を中心に復興される事例もあり、伝統芸能が再興する上のモデルケースとなり得る可能性を秘めているのだそうだ。
 具体的には、「でくまわし」(人形浄瑠璃)の伝承過程を追い、ダム建設により移転を余儀なくされた2つの集落が、その後どのように「でくまわし」を伝承しているのかを現地人と交わりながら調査しているとのことである。

 私が今まで関心を向けて来なかった分野だけに、内容は興味深いものであった。だが、それ以上に印象に残ったのは、話題の一つに挙がった「文系と理系の境目」である。

 話題の契機になったのは、山崎さんが聴講者の一人で理系の研究をしているMさんに、社会科学の研究についてどのように考えているかを尋ねたことにあった。
 Mさんは、「社会科学のような研究の最終目標がイマイチ分からない。自然科学は、未解明の現象から一定の法則性を見つけ、その法則性を現代技術に応用し社会に貢献する、みたいな枠組みがある。社会科学にはどのような枠組みがあるのか?」という旨を語った。
 決して否定的な意味ではなく、目線の違いから生じる純粋な疑問であった。

 話はそこから発展し、参加者各々が感じる美しさの話(法則性の美しさや偶発的なものの美しさのような)や、各々が携わっていた学問の研究に対する姿勢の違いなどに話題が移り変わった。
 そうしたところで、山崎さんはふとMさんに、「今まで文系の研究発表を聞く機会はあったか」と尋ねており、Mさんもそのような機会はなかったと話していた。
 
 私はこれこそが、研究ライブ「かもめ」の最大の醍醐味ではないかと感じる。
 今まで接点のなかった分野の研究に触れ、他者との視点や価値観の違いを感じ、新たな地平を獲得すること。
 そういう意味で、「かもめ」は「文系と理系の境目を曖昧にする」役割を担っているのかもしれない。

 他にも、「かもめ」という名前の由来や目的などの興味深い話もあったのだが、今回は長くなるため、泣く泣く割愛させて頂く。
 次回の「かもめ」の開催も楽しみである。

(担当:阿部) 


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