地元の発見~定山渓ビューホテルを巡る一考察(1)
2023年9月4日から5日にかけて、私は、homeportの仲間たちと定山渓ビューホテルを巡る冒険に出かけた。その翌日に私はX(旧ツイッター)に以下のようにつぶやいた。
数日後、そこには一つの「いいね」がついていた。それは「定山渓ビューホテル」の公式アカウントによるものだった。この記事を書いている9月11日時点でも、まだ定山渓ビューホテルの記憶が鮮明に残っている。と同時に、その記憶は恐ろしいほど表層的なものでもある。しかし、それこそがビューホテルの本物らしさなのだと、実感を持って言える。そして、その表層的な本物らしさは、同じ時代を生きていた「わたし(わたしたち)」を巡る物語でもある。
筆者は、北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院観光創造専攻の出身である。現代の観光研究は、近代の大衆観光(マスツーリズム)の批判的検証に一つの端を発している。産業革命の時期に労働の対価として生まれた余暇としての観光。労働者をせっせと働かせるための娯楽としての観光。そのためには、贅の限りを尽くした観光地や観光施設が必要になる。日本では、その典型として例えば熱海がある。
熱海は、ジブリの映画「おもひでぽろぽろ」(1991年)でも近代観光の象徴として描かれている。主人公の岡島タエ子は、東京出身で「田舎がない」。同級生が夏休みに田舎へ帰るのを羨ましく思うタエ子は、親に陳情し、熱海へ連れて行ってもらう。東京から新幹線で一瞬で着いてしまう熱海の巨大旅館「大野屋」(モデルとなった同名の旅館は現存している)。タエ子の姉は既に熱海を卒業しており、ビートルズや宝塚歌劇団の男役に夢中(熱海旅行にも同行しない)。そのことを無意識に自覚しているタエ子は、大野屋で楽しむ自分を無理やり演出しようと「三色すみれ風呂」や「ローマ風呂」などをはしごし、挙句の果てには、湯にのぼせて卒倒してしまう。
そんな幼少期の苦い記憶を抱えたタエ子は、当時のことを振り返りながら「本物の田舎」を探しに山形県へと寝台夜行列車に乗って旅に出る。
筆者が今回ビューホテルを訪れた動機も、概ねこの構図と一緒である。確かにタエ子には田舎はなかったが、東京には実家があって、祖母も同居していた。一方、筆者は幼少期を多摩ニュータウンで過ごした。そこは実家から離れた故郷喪失者たちが、新たなコミュニティをつくろうと幻想を抱いたまちであった。その情景は、同じくジブリの映画「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994年)で描かれている。
熱海の大野屋も多摩ニュータウンも、当時の高度経済成長期の中を汗水たらして働いていたサラリーマンが追い求めた桃源郷としての「地元」である。筆者が生まれた1985年は、その理想が辛うじて信じられていた分水嶺のような時代であったと思う。
そんな筆者と同じ年に生まれたのが定山渓ビューホテルである。宿泊当日に筆者と「同期」であることを知り、最近頻繁に体調不良に悩まされる自身の身体と、老朽化したビューホテルの建築としての身体を見比べて、妙な郷愁が湧いてしまった。9月4日は宿の無料送迎バスで札幌北口を出発。平日にもかかわらず、バスは満席で、あっという間にビューホテルへ。入口では、現在の経営母体であるベルーナのキャラクター「べるーにゃ」の顔はめパネルがお出迎え。フロントの受付では、「地下には大浴場とプール、サウナもあります」と、まるで人間の欲をすべて解放せよと言わんばかりの案内を受ける(歓待される)。
期待に胸を膨らませるhomeport一行。今回のツアー参加者は筆者(山崎翔)含めて3人。宮崎俊明君(北大博士課程1年・青森出身)と古玉颯君(北大出身・東大修士2年・岩手出身)は、私より一回り下の世代で、東北という田舎を持っている。本館11階の和室に着くと定山渓の「グレイトビュー」がお出迎え。部屋付きのお菓子「定山渓カマンベールワッフルクッキー」で小休憩し、興奮冷めやらぬまま地下にある「水の王国ラグーン」へと向かった。まずは古玉君の水着をレンタルするため、王国の奥地にあるレンタルショップへと向かう。道中の眼下には既に薄暗いラグーンのプールが見えている。もわっとした湿気とあのときを思い出すプールの匂い。3人とも海パンに着替え(海パンという響きが既に懐かしい)、いざラグーンへ。薄暗いプールの先には、あのCMで見た流れるプールが広がっていた。そして、予想以上に賑わう観光客の群れ。多くの子どもが親子連れで楽しんでいたが、彼らは学校を休んだのだろうか。この日の夜、部屋のテレビで見たニュースでは「ラーケーション(learning+vacation)」なる取り組みが紹介されていたが、公的な許可など取らず、潔く休んでラグーンを楽しむ親子連れに、真のラーケーション魂を感じた。
まずは、ラグーンのメインエリアである流れるプールへ。室内のムンムンとした熱気の中の屋内プールで約20年ぶりに流れる身体は、あのときの記憶を無意識に呼び覚ました。筆者が多摩ニュータウンから引っ越した先の熊本には、当時「ユアシス熊本」なる温浴施設を核にしたレジャー施設があり、ラグーンは規模感的にもあのユアシスを彷彿とさせた。ユアシスは、屋外に一部突き出したウォータースライダーが売りで、流れるプールとあのスライダーの光景がよみがえった。ネットで検索してみると、ユアシス熊本は1991年開業で、NTTが新規事業の一環として計画したものだそうだ。しかし、当時の画像や思い出を語るブログは全くと言っていいほどヒットしなかった。唯一とも言える書き込みとして、2010年の「YAHOO! JAPAN 知恵袋」に以下のような書き込みがあった。
私は、この大学生(当時)に無性に会いたくなった。あの頃、あのレジャー施設の記憶を共有していた人たちは、今頃、どこで何をしているのだろうか。それは、多摩ニュータウンで、あの頃を共有していた人たちを辿る旅を意味してもいる。
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