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身体が語るもの〜たまゆら 桑園より

 この記事は、たまゆら桑園店のお座敷で書いている。たまゆらは大学院時代から通っているから、かれこれ約15年の付き合いになる。修士課程時代は同期が北大とたまゆらの間にあるエリアに住んでいて、研究が終わると「たまゆら 行こっか」と声をかけ、同期は途中にある家に立ち寄ってタオルなどを準備し、たまゆらに向かう。そんな自然なたまゆらへの流れは修士課程時代で終わりを告げ、その後はほぼ一人で通っている。たまに誰かを誘うこともあるが、そのために時間を合わせるよりも、そのときの自然な流れで行くほうがいい。

 今日は約1ヶ月ぶりの温泉。10/19-20にニセコで風邪を引いて、そのあと無理を繰り返していたら、重度の副鼻腔炎になってしまった。耳鼻咽喉科で、右の奥歯一体が痛いと伝えると、レントゲンを撮られ、「副鼻腔が真っ白になってます」と言われた。これから3ヶ月、薬を飲んで、症状が緩和しなかったら手術も考えないといけないと。

 その足で、私は約8年通っている鍼灸マッサージの店へ行った。誰もが知っているチェーン店だが、はじめて行ったのは確か2010年ごろの新宿。あまりにも疲れていて、今まで縁がなかったマッサージに行くことにした。首をほぐされていると、眠気がやってきて、気づくと口からよだれが垂れていた。あ〜身体はこれほとまでに無意識に悲鳴をあげていたんだと。その後は会社と自宅の中間地点にある麻布十番店にほぼ毎週立ち寄った。身体をほぐすだけでなく、心をほぐしにいっていたのだと思う。担当の人が佐賀出身で九州の話題などで盛り上がったり、愚痴をこぼしたりしていた。うつ伏せでの施術中は、顔が隠れているので、余計に「本音」を話せるのだと思う。ここが当時の自分にとっての「地元」で、その後担当してくれた札幌白石出身の人とは、そのお店を彼が辞めた後、親交を深め、一緒にフェスに行ったりもした。

 その札幌店では、釧路出身の担当者とこれまでいろんな話をしてきた。その彼に、今の症状を話して久しぶりに施術をしてもらった。「久しぶりだね」などと言葉を交わしながら、ほぐしたり、光線をあてたり、お腹に鍼をしてもらった。それは、一見、私の側からは受動的な行為のように見えるかもしれない。しかし、実際は受動でもなく能動でもない中動態的な出来事のなかで、その行為は成立している。

 意識的にはかなり身を委ねているが、身体は施術者が身体を探る行為を受け返し、その相互作用のセッションが絶え間なく続いている(それは「アフォーダンス」だよねと、白石出身の人と話したことがある)。耳鼻咽喉科では治るまで約3ヶ月かかると言われたが、約5日後の現在、症状は劇的に改善している。それは鍼灸マッサージの効果もあるが、自分が中動態的に世界に関わることに自覚的になってきたからだと思う。普段の自分の身体のくせや、無理をする体質を変えないまま薬を飲むだけであれば、治るには約3ヶ月かかるだろうし、もしかしたら治らないかもしれない。しかし、この5日間、私は動作や意識の速度をどんどん落としていき、緩慢になっていくことに自覚的になった。すると逆説的に、いつの間にか、症状が少し改善し始めた。「時間を忘れる」ことが治癒に繋がっているのかもしれない。

 今日は早朝、homeportからたまゆらに歩いて出かけた。北大農場を歩いていると、右の顔面に久しぶりに少し感覚が戻ってきて、心地よい冷気が遠隔的ではあるが伝わってきた。たまゆらでも久しぶりに身体に湯が浸透しているのを感じていると、突然湯船の中で隣の人に話しかけられていた。

「突然すみません、背中のそれって効きますか?」  

 私の背中には施術の一環であるカッピングの後が色濃く残っていた。カッピングとは巨大な吸盤のような吸玉とよばれる装置で背中をかなりの力で「吸い」、その後には赤い吸玉の痕跡が幾つも残る。その跡が消えるまでの時間には個人差があり、私の場合は約2週間程かかる。今回は、血流が悪くなっていたからか、かなり色濃い跡が残っていて、これはかなり時間かかりるだろうと思った。ところが、思ったより早めに色が引き始めたので、今日たまゆらに行くことにした。

 隣人は、その痕跡を見て、恐る恐る話しかけたのだと思う。聞くと「私も治療を受けてみたいが、実際どんなものなのか聞いてみたかった」そうだ。私がたまゆらで見ず知らずの人に話しかけられたのはこれが2回目で、前回もこのカッピングの跡を見たおじいさんが「いや〜大変やね」と声をかけてくれた。何かの手術後と勘違いしたのかもしれないが、いずれにせよ、身体という生々しいものは人に語らせる力があるのだと思った。

 湯船の隣人は話しかけるのを申し訳なさそうにしていたが、その申し訳なさを突き破るほど、その人は体調が悪かったのかもしれない。コロナ禍での黙浴も相まって、風呂場での雑談は息を潜めた。しかし、コロナ以前から見ず知らずの人と風呂場で会話を交わす機会は減っていたように思う(それに比べると、特に一人旅における温泉では、いまだに会話が生まれやすい)。仲間内での会話は盛り上がっているが、それは個々の島宇宙の結界を張る行為のようにも思えてしまう。

 コロナ禍で、私も風呂場で大声で話す集団に怒りを覚えたことがあるが、自分がその立場になって誰かと風呂に行く場合は、気づくと声のボリュームを気にせず喋っていたことが多々あった。それほど誰かと喋ることを求めていたのだろう。

 身体が語る以前に、服を着ていても、社会的な役割を演じているときでも声をあげないと、また自分は同じことを繰り返してしまう。そんなことを考えさせてくれた今の出来事だった。

 施術中、私が「(私が担当する)大学の授業では毎回誰かが「体調不良で休みます」という連絡があり、その度に自分は「お大事にしてください」と返すけど、「いや、お前が休めよ」とツッコミたくなりますよね」と言うと、彼は「いや、私はツッコミたいとは思いませんよ」と、さりげなく、しかし、力強い意思でその言葉を否定することで私を肯定してくれた。それは、確かに無理はしないほうがいいが、無理をしてきた自分を労うことが大事だと言い聞かせてくれるような言葉だった。

 なんとなく中島みゆきの「背広の下のロックンロール」が脳内BGMで流れてきて、私は風呂場を出てこの記事を書き始めていた。この後、少し横になってだらんとしようと思う。


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