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☆視聴メモ☆ NHK プロフェッショナル「17音、言葉の力を信じて~俳人・夏井いつき~」

プロフェッショナル「17音、言葉の力を信じて~俳人・夏井いつき~」
4/30(日) 午後2:30-午後3:14
NHKプラス 配信期限 :5/7(日) 午後3:14 まで
公式サイト


感想

プレバトで観たことのある夏井先生。

俳句のことは知らないけど、
自分の感性に正直で、伝わりやすいような句がいいのかなあと思っていました。

番組を見てよかったので、その感想を書きます。


● たくさんの俳句を一つ一つ読んでの作業、いやあ、すごいと思いました。


● ”あらゆる句を愛することができる身体になりたいと思って”

これは、句だけじゃなくてあらゆる物事についてに使えるなあと思いました。
知ろうとすること、そこが大事だなって。


● 言葉で伝えることができることの大切さ、そしてそれは技術

”とにかく言葉の技術をいろんな形で伝えたい、ちょっとでも育ててやりたい”

生きづらそうな人に私が感じていた、
言葉をうまく使えていない雰囲気を思い出しました。


● ”ありのままの、自分でいい”
という覚悟、かっこいい。


● そして、「ぬちぐすい」の循環という、俳句の持つはたらき

俳句は言葉遊びいうだけではなく、自己表現であり、そしてコミュニケーションなんだと思いました。

俳句じゃないけど、
上手さとか評価とか気にせずに、もっと発信していければと思ってみるけど、
あとで落ち込むんですよね。

伝えたい熱意があれば、受け取る人が手を差し伸べてくれる、
そういうのを続けることから生まれるモノのすばらしさを知っているけど、
恥ずかしいのよね。


● 番組の中で出てきた中で、一番好きな句は

「まぶしさがかたまり裸木となった」
”まぶしいものを見てるのもしんどいよね”

そうですそうです。


● これを観ながら頭の片隅にあったこと

それは普段俳句を作っている人が言ったこと
「とても悩んでいたときに俳句を作れなくなった」

これは、引き続き考え続けていこうと思います。


● さいごに、
俳句は…
うーん、まだ先かな

この文章もヒドイもんですけど、もう見返しません。

以下は、番組を見ながらしたメモです



プロフェッショナル「17音、言葉の力を信じて~俳人・夏井いつき~」 のメモ


8:30~

あらゆる句を愛す

(夏井)
あらゆる句を愛すことができる体になりたいと思って

たとえば愛しにくい球が放られてきたときに
ひょっとして
この俳句の本当の良さを知らないから愛しにくいんじゃないかしらと思って

触ってほうずりして匂って
「わーすごいすてき」とか「大好き」とか「わー心が今不穏になった」とか
そうやってめでる行為

(ナレーション)
全ての句を大切に扱う姿勢は徹底している。
この日はネット上で行っている俳句教室の仕事。
夏井は数日かけてこの7,000近い句を読み尽くし丁寧に評価をつけていく。
初心者レベルの句には添削例も添える。

「走れども 凡人の我 西日かな」

(夏井)
「かな」という詠嘆を外すとか
「ども」という理屈を外すとか
この動詞がこの機械のエンジンとして働いていないとか
それが分かれば修理してあげれる

(パソコンの画面)
「~ども」に理屈が少し、「凡人の我」が説明的かなあ。どうしても「凡人」という言葉を使いたいのであれば…添削例
 
「走る走る凡人の吾に大西日」

(ナレーション)
伝えたいのは評価されやすい俳句の作り方ではなく
自分の思いを正確に表現する技術だ。

(夏井)
感性、感覚、センスの部分もないとは言わないが
言葉を組み立てていく作業というのは単なる技術

技術は身につけられる


11:08~
(ナレーション)
2週間後。
7,000近い句の中から最優秀の1句を選ぶ最後の作業を行う。

「椋鳥の 群なす理由 空がきれい」

(ナレーション)
最優秀に選んだのは「きれい」という直接的な表現を使った
俳句としては評価の分かれる1句だった。

大群で飛び フンを落とすため嫌われやすいムクドリ。
そんなムクドリに思いをはせ、空を見上げたときの気持ちをまっすぐ表現できていると見た。

(夏井)
空ってこんなにきれいなんだって当たり前のことを
ふとつぶやいてしまう、つぶやきたくなる

頭の中でこちょこちょっと作ったんじゃなくて
この人の生の心情がちゃんとここにあって
それが切実な言葉となっているっていう

俳句って「俳句らしくていい」とか、「俳句とはこうあるべき」とか
そう言いだした瞬間から俳句は根腐れしていく

ひとりひとりが自分のための俳句を作ればいいのであって
俳句のために自分を寄せる必要はないと思っている


16:40~

言葉でしか、人と人はつながれない

(夏井)
誰かと誰かが分かりあえるのは言葉以外にはありえない
それはもう事実としてそこにある

その事実だけに打ちのめされたのです私は

(ナレーション)
「言葉でしか 人と人とはつながれない」。

夏井さんがそう考えるようになった原点は
中学の国語教師をしていた20代のとき。

暴言と暴力が絶えない問題児を受け持った。
その生徒と格闘を続けるうち夏井さんは あることに気付いた。

暴言を吐いたり 手が出たりするのは
自分の思いを伝える言葉の技術が足りないからだ。

(夏井)
「言葉って本当に大変な大変なことなんだ」と思って
そういう子たちが世の中に山のようにいて

自分は本当は別なことを言いたいのに
そういう表現になっちゃう

大変な困難だと思って

自分の考えたことを
ちゃんと自分の伝えたい意味で
伝えたい熱量で
ちゃんと相手に伝えることができる

言葉の技術

それを教えておいてやらないと
「この子たちは社会に出ていったら、同じことを繰り返すんだ」と思って
とにかく言葉の技術をいろんな形で伝えたい
ちょっとでも育ててやりたい


22:35~

ありのままの、自分でいい


26:49~

「秋の蝶じわじわ狂ひはじめたる」
「淡雪や離婚届のうすみどり」

(ナレーション)
43歳のとき 夏井さんはシングルマザーになった。
精神的にも 経済的にもどん底まで追い込まれた。
でも どこにも苦しみをぶつけられない。
その思いは 俳句に注ぎ込まれた。

「まぶしさがかたまり裸木となった」

(夏井)
葉っぱを全部落とした木のことを「裸木」というんだけど
まぶしいものを見てるのもしんどいよね

人生生きていたらいろんな困難とか
しんどいことは山ほど起こってくるけど

俳句というアイテム、つえを一個持っておくと
その自分のしんどいことを

人にぶつける言葉じゃなくて
俳句という書く言葉で昇華できる


俳句は、ぬちぐすい

「命の薬」と書いて「ぬちぐすい」 沖縄のほう言葉で
美味しいものを食べることもそうだが
それだけじゃなく
心が楽しいことをするのもぬちぐすい

俳句を作ることで「ぬちぐすい」をもらいながら生きていて
それを俳句という作品で残すと
そればまた誰かの「ぬちぐすい」にもなっているという循環に気づいたことがあって

俳句はそういう効果をお互いにやり取りしながら
みんなが幸せになっていくようなそういう力をもっている文芸なんだなって


36:58~
(ナレーション)
俳句は いつ どのように生まれるのか。

勢いよく あふれ出すように俳句を書き始めていた。

(夏井)
自分の脳の中に映像をストックしていく
映像を後で引きだすための目次みたいな言葉を句帳に書きつけておけば
あとで、その目次の言葉によってその映像がカシャンカシャンって出てくる

次から次に出てくる記憶のネガみたいなものを
深堀しないでとにかく文字にしていけば
後でそれをきちんと整えなおすことはできるけど

記憶のネガが脳の中で迷い込んでしまったら
それが出てこなくなるから
適当でもいいからタッタタッタと作っておいて
後で詰めていく

(ナレーション)
昨日 見た実家の風景。その記憶のネガを文字にしていく。
まだ俳句の形になっていない言葉も素直に書いていく。

(夏井)
自分のために俳句を書くんだから
俳句のために自分の思いをゆがめるのは違うと思う

頭で空想で作っているとかっこいい言葉をみつけたから
本当はこっちを表現したかっったんだけど

最初の思いを捨てて言葉のほうに酔ってしまう

心がなかったら言葉探してもしょうがないから

(ナレーション)
俳句が生まれる その瞬間。
あることが起きると 夏井は言う。


結球、する

(夏井)
一句がきれいな球になってくれる

自分の喜怒哀楽とか、何を思ったかとか、全部がきれいにパッキングされて一句として、
自分の力でこの球はふわっと飛んでいける


プロフェッショナルとは、

(夏井)
俳句ってね 真剣な遊びなの。本当に。真剣に自分の心と体を喜ばす真剣な遊び。私は一生 真剣に遊び尽くすと。それだけ。


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