自己紹介
もともとは順当にこのエッセイからスタートする方が綺麗かと、そりゃそうだろって話なんですが、年齢の変わり目という節目に一念発起し、鮮度の高い状態でファーストエッセイを届けたくて「24歳→25歳」を先に出しました。
自己紹介が遅れました。はじめまして。新潟県出身、人生で転機の地となった富山県へと移り、現在は宮城県在住の25歳、男子、B型、てんびん座です。会社員1年目。ラジオと音楽と本、走ることが大好きで学歴的には理系ですが、言葉が大好きな文系気質です。
そもそも21の頃から書き始めた日記は、今もさぼりがちながらも続けてはいるのですが、文を書き始めた理由について記憶の引き出しから取り出しやすくするために書いておこうと思います。フリートーク苦手なので。
人生で最初に文章に触れる瞬間、それは児童向けの書籍を読んだときでしょうか。小さいころは母方の祖母の影響で「ぐりとぐら」シリーズをよく読んでいました。2人の小さな体で大きなホットケーキを作る話がかなり印象に残っていますが、やっぱりあの落差が素直に焼き付くのでしょう。
では初めて文章を書く瞬間、それは母親への感謝の手紙?絵日記?読書感想文?そのどれかが正解なのでしょうが、今それはどうでもよくって、小さい頃はとにかく文章を書くのが苦手でした。誰しもそう思うのかもしれないのでしょうが、日々と人とモノに対する感想なんてありませんでした。
それを物語るのは写真撮影で仏頂面をする私の顔です。小学生のころまで全っ然笑ってない。何ならここに添付して提出したいくらいです。でもさすがに広いネットの海に浮かべるのは嫌だからやめとくけど。それにしても、何がそんなに気に食わなかったのだろうかと思うのですが、総じてあのころの表現力はまだまだ乏しかったのです。言葉もまだまだ知らないし、だから小さい頃って分厚くて邪魔にしかならないもの、国語辞典を持たせるのかと今になって腑に落ちました。言葉が足りないから、その欠けた言葉を満たすための道具であり、稀にみる小さい頃の「為になったねえ(もう中学生)」な学習なんですね。
20代に入ってから、語彙を増やすこと、同じ表現でも微妙な違いを知ることが日を追うごとに楽しみに思っています。国語辞典が欲しいって強く思えるし、主体的に学べるってのはこんなに嬉しいのかと「勉強」から「学習」になった段階でやっと思えました。でも実は「勉強」を嬉しくないと思っていたわけではあまりありませんでした。流れで雑談をしやすかった環境に恵まれていたこともあり、数学、理科、社会はよく質問に行きました。あれほど理解に苦しんだけど、今となっては好きなのは不思議なものです。たまーにセンター試験とかやりたくなっちゃう。そして、習ったことが生活に直結しやすい今では「学習」の楽しさを理解できていることも嬉しく思うところです。
語彙と表現の引き出し、これらを増やしたいと思ったことが文を書く1つ目の理由です。そして、もう1つの理由は富山にあります。富山という場所に来てから一気に経験の新規性と質が上がりました。私は高校卒業後、一般後期試験まで戦い抜き、辛くも現役状態で大学に進み、そこから6年間富山県の大学で学んでいました。高校生の頃、近所にあった交通量の多いロードサイドチェーン店舗商店街に呆れた私は敢えて新潟を飛び出し、別の世界を見ようとしました。軽音楽や方言、まちづくり、サークル、マルシェなど、結果的に世界を広げることに達成し、エッセイを書き始める理由にもなりました。そこで、良くも悪くもいろんな人に出会えたこと、ものを見れたこと、年の離れた友達と異性の親友ができたことが新しく質の高い経験として書きたいと思わせる動機になりました。だから、富山を離れても第2の故郷として時々帰るのが楽しみだし、顔を出すという感覚で遊びに帰りたいと思います。エッセイは得られた新しい感覚と知を残し、忘れることなく、未来の自分と今の他人が読み返すための贈り物として書いているのです。
というわけで、自分が見てきたものと日々の考えをちょっと見てってくださいな。ここはこうしたら?というアドバイスも歓迎です。