(雑記)

(金を払って女から蹴ってもらったりしていた。誰にでもそういう時期がある。奴隷になりたいです、と屈託なく私が申し出ると、契約を結ぶ運びになった。一度会って以降は梨のつぶて、大した会話もなく、金の無心ばかり目立つ。私にはもう女と乞食の区別がつかなくなっていた。人並みの女性嫌悪に陥って、世の中の女という女のことが憎くなり、知り合いの風俗嬢にレスバを仕掛けてはブロックされるなどした。下賤な女は子宮全摘! なんて、しらふの人間が赤の他人に送りつけてよい文言ではない。私はいったい何をしているんだ。わからなかった。間違っていることだけはわかった。わかっていても、やめられない。いちど曲げた根性は、ふたたびまっすぐになることはないのだ。女なんてろくなものを書かない。彼女らのことばに値打ちはない。子宮を持っている人間を心の底から羨んでは、その優位に甘んじて堕落している類の生き物に、投げかけるヘイトはいくらでもあった。しかし己も子宮から息づき生まれた身、自分の生まれを呪ってはそれをひた隠すように女を憎んだ。俺に子宮があればガキを十人二十人でも産んでやるのに。そんなことを思っては、私は何に怒って何が嫌で何を求めているのかほとほとわからなくなった)

(母親が仕事の研修という名目で郷里から札幌に来た。三月の半ばのことだ。札幌駅近くで女が来るのを待った。母親のことを女と呼ぶのはやめた方がいい。うるさい。女はホテルにチェックインしてから俺と落ち合った。思えばコロナ禍以来に顔を合わせた。女の顔は相応に老けていた。俺は目をそらした。俺の家を見たいという。大胆な女だ。俺と女は地下鉄に乗って、最寄り駅まで向かった。我が家は地下鉄駅すぐの場所にある。いい立地だね、と女が言った。俺はつっけんどんな返事をした。テレビも何もない部屋に女を迎える。いちおう連れ込むことを考えてきれいにしていたから、ためらいはなかった。トイレなんて実家よりもきれいにしている自信があった。女は我が家の唯一といっていい家具の本棚をじっと見た。安倍晋三の写真集はたやすく見つかった。やだ、気持ち悪い、何買ってんの。俺は答えた。絶版になったら手に入りづらそうだから。女はそれから家探しするように我が家を見て回った。図々しい女だ。クローゼットを空けられたとき、天袋に隠していた電マの先端が見えていたのでヒヤッとした。頭隠して尻隠さず、もっと念入りに片付けておくべきだった。母さん! 俺は大声を出した。それよりさどこか飯行こうよ。女はクローゼットを静かに閉めた。近くのファミレスで夕食をとる。味は何も覚えていない)

(村上春樹の新刊が出るので、村上春樹を読もうと思った。読めなかった。読む気力がわかなかった。村上春樹は人生が好調のときにしか読めない。私にとってはそういう作家だ。だから村上春樹を読めた時期が私は乏しい。長篇なんかは特に読めずに、短編や中編ばかりをなんとかもっぱら読んだ。「1973年のピンボール」が好きだ。以前ユニクロと村上春樹がコラボしたシャツも、ピンボール版を購った。ともあれたとえば「ノルウェイの森」だとか「騎士団長殺し」だとか、文庫で上下巻以上になる作品はまったく触れていないので、私は村上春樹のよい読者ではない。けれど今月には新刊が出る。ぜひともそれまでにある程度網羅しておきたいと、積読の山から村上春樹を引きずり出して、それきりだ。一ページさえ読めていない。人生がこう失調しているときに、村上春樹の文章は苦しい)

(そのくせ新たにまた新たに、書店にブックオフに行っては積読本を増やしている。病気だよ。先日もブックオフに行った。ラインナップはだいぶ変わっていた。芥川賞作品の文庫が100円でたくさん落ちていた。私はめぼしいものをざっと買った。吉田知子「無明長夜」(新潮文庫)はその時に入手した一冊。私は高校生のとき国語便覧が大好きだったので、芥川賞受賞者として見知った名前だった。芥川賞をとった表題作含む、短篇集らしい。こういうのはたいてい面白くないんだよな。たいして期待せずに読んでみた。最初に収録されている「寓話」、これは凡作、まあ次も読んでみるかと続けて所収されている「豊原」、私はこの一作にすっかりやられた。大好きな小説だった。戦前と戦後、満州に移住し引き揚げるまでのとある一家の小説、冒頭は引き揚げ当日の朝、母の死の描写からはじまり、そこから遍歴が語られ、最後、主人公は母も荷物も捨てながら引き揚げの船へと向かう。どの文章も張りつめていて、最後の一段落に至ると私は泣いてしまった。何の気なしに読んだ小説が心奥にえぐりこむ一瞬がある。そういう瞬間こそ、読書を趣味にしてきた甲斐を感じる。読もうと思って読んだ本より、退屈しのぎに手にした一篇、心構えもろくにできていないからこそ、一文そして一文をたどっていくうちに小説世界にのめりこみ、呼吸も忘れ夢中にさせられる、傑作。私はこの小説に出会いたかった。遅くもなく早くもなく、出会うべき時に出会えた気がした。吉田知子。調べた。選集が出ている。地元の書店でもまだ扱いがある。買わなきゃ。読まなきゃ。本との出会いは一期一会、機会を失えば再会するのは難しくなる。もう村上春樹なんて問題じゃない。吉田知子。あなた。あなたを読みたい。調べた。まだ生きている。勝手にもう死んでいると思っていた。ごめんなさい。長生きしてくれ。大江健三郎よりずっと永く)

(女が嫌いだとのたまいながら、俺は、女から生まれて、女の書くものに打ちのめされて、あまりに不徹底に過ぎるな? 嫌うのならば嫌いつづけなければならない。透徹させない嫌悪にいっさいの値打ちはない。なくていい。まがいものだ。俺は赤染晶子が好きだよ。角田光代も好きだよ。川上見映子も好きだ。高橋たか子も好きだ。海外に行こうか。オースティンが好きだ。ファン・ジョンウンも好きだ。誰もが知っているアガサ・クリスティなんて最高じゃないか。そんな好きな作家のひとりに吉田知子、生きているうちに出会えてよかった、性別で書くものの良し悪しを分けるなんてくだらないな。赤染晶子をオースティンを吉田知子を、女性嫌悪をこじらせて正しく読めなくなるのなら、偏見で読めない作家が増えるなら、滅びた方がいい)

(読書の愉しみにまた触れた。いくたび味わっても足らない)

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