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命の選択

あの時、選んだから今がある。
たとえそれが間違っていたとしても、『今』は正しく存在している。

あの選択は正しかったのだろうか、間違っていたのだろうか。そんなふうに考えてしまうことが、ひとつだけある。

つまりそれは、選んだ『今』に不満があるということなんだろう。
当たり前だ。だってそれは、最愛の母に関することだからだ。


今から5年前の春、桜が満開になった日に母は逝った。


亡くなる1年程前に、母は大腸癌の宣告を受けた。冬から体調不良が続き、病院嫌いの母もさすがに音を上げて病院へいった。そこで、癌であることを告げられた。
わたしは用事があり病院へはいけなかったが、家族も来てくれというのでなんとなく察するところはあった。
母からあっさりした電話をもらい、わたしはその場で泣いた。

何故ですか神様。

わたしなら耐えてみせられるから、わたしと母と変わってほしい。

何度も思った。

もちろん母の前でそんなそぶりは見せない。1度だけ弱音を吐いて泣いた時以外、わたしは母にマイナスなことは言わなかった。

治療はしんどかった。
癌が神経に触れているので、痛みがずっと続く。この痛みさえなければ頑張れるのに、と母はよく漏らしていた。

その治療をする病院の選択、これは癌を宣告された病院からの紹介で行ったのだけれど、わたしはその場にいなかったから出来なかったけれど、
もし出来るのなら、この病院は選ばなかった。

地域の大病院だ。まず間違いはないだろう。

でも、でも。

主治医が酷かった。毎日たくさんの患者と接していて、そのうちのひとりでしかないだろうけれど、人間ですか?というくらい血の通っているのを感じられなかった。いや、冗談を言ったりはしているけれど、とにかく信頼出来ないのだ。「セカンドオピニオンしてもいいですよ。結果は変わりませんけどね」なんて言われて、言い方考えられないのかと殴りたかった。

でもこの人は名医だ。母を治してくれるのだ。だから、耐えよう。

結果として、抗がん剤で癌を小さくしてから手術で取り除こうという医師の言うことは叶わなかった。
抗がん剤治療から3ヶ月、小さくなるはずの癌は大きくなっていた。手術のために入院したその日にわかった。

母は抗がん剤が効かない遺伝子だと言うのだ。

手術では取り除けない。このまま何もしなければ、余命は半年。

これは母が亡くなった2年後、今度は父に大腸癌が見つかった時に主治医から説明を受けているときに知ったのだが、抗がん剤が効くかの遺伝子検査を事前にしますと言うのだ。

それなら、母は?
母の時はここよりもっと高度な医療機関なんだから、当然遺伝子検査するのでは?
なぜしないで、効きもしないただ苦しんだだけの抗がん剤治療をしたの?

その当時は知らなかった。
だから、何も言わずに従った。

その後母は別の病院で(週に1度主治医が来る)抗がん剤治療をすることになった。
主治医が来るんだから、この病院でいいよねと思ったが、これもまた亡くなったあとに親戚から叩かれた。なんであの病院にしたんだと。
いわゆる姥捨て山だ、まともに治療してくれないところだ、と。

知らなかったし、主治医を信じたのだ。

結果、抗がん剤など効かず、ただ衰えてゆくだけの母を、主治医は点滴するだけで、何もしてくれなかった。

もう入院したら家には戻れません、そう言われて覚悟を決めて入院させた。さいごなのだ。

痛み止めが強いせいか、せん妄などが出てまともに会話も出来なくなったある日、見舞いにいくと主治医(入院したので主治医が変わった)から呼ばれた。

延命治療についてだった。

延命するか、しないか。
さあ選べという。

母が元気だった頃、延命治療なんて絶対しないでくれと言っていた記憶はある。
だけど今は?
痛みがなくなって、そこらじゅうを走り回る夢を見た、そう言う母は今、どうなんだろう。
少しでもながく生きたいと思っているだろうか。それともこの苦しみから早く逃れたいだろうか。

わからない。

わからないけど、選ばなくてはいけない。
母の命を、わたしが。

結果的には延命治療はしないことにした。
母が言っていたのだし、延命治療したとて完治などしないのだから、苦しみが長引くだけかもしれないのだ。
それならば、母を、解放してあげたい。

わたしはしっかり署名した。
母の命を、選んだ。

それから10日ほどして、母は亡くなった。

葬儀のあと、母の弟である叔父と話した。
母から癌であることを告げられた叔父はひどく動揺して、入院してからも見舞いにきても母と目を合わせられないくらいだった。ふたりの母である祖母が亡くなってまだ何年もしていないことが、叔父を怯えさせていた。

セカンドオピニオンすればよかった、他の病院でも診て貰うべきだったと叔父は言った。お金ならいくらかかってもよかったと。

わたしも、その時になって思った。もう遅いけれど。

色んな選択をした結果、わたしは母を失ったけれど、たとえば病院選びからやり直したとしても、結果は変わらなかったと思っている。見つかった時がもうステージ4だったのだ。

その課程は少し違ったかもしれないが。

だけど考えてしまうのだ、あの時選ばなければ違う未来があったのではないかと。

選んだろうこと、選ばなかったことでたくさんの後悔がある。

「誰に何を言われても消えない後悔なら、自分で一生抱えていくしかないのよ」

わたしの敬愛する作家、村山由佳さんの作品で頭にガツンと食らったセリフだ。

そう、わたしもきっと一生抱えていく。
母の命を選んだ後悔。

それはそのまま、母への愛であるのだから。

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