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逝く時

父の病院にひょこひょこついていった時だった。
普段から会話の少ない親子選手権では上位入賞するであろう我ら、椅子に座ってそれぞれ順番を待っていた。わたしは本を読む。父はもそもそ動いてわたしにイラッとされる。
そんな時。ふと、父が言った。

「あのあれ…床屋、逝ってまったね」

父がずっと通っていた床屋さん。父より10歳ほど年上の方で、友達と呼べる人物はいないと豪語する父と仲良くしてくれていた。
1度この病院で会ったことがある。向こうも何かしらの病気があるようだ。

去年くらいから体調が悪く、床屋も廃業していた。どこの床屋にすればいいかと悩んでいたことがあったなと思い出す。

わたしとはまったく面識がないので、床屋のことも知らなかったし病院で会ったときも、さてどなたかな?状態であった。

「こないだあの、車引っ張って歩いてらんだいな。悪いってらばってな…逝ってまったね」

ああそうか、父にとっては床屋さんは友達だったんだな。それが亡くなってしまったんだもんな。

わたしは今年四十歳、不惑だったっけ?違うか?
まだ親しい友人で亡くなった人はいない。同級生が病気で亡くなったという話はあっても、親しかったわけでないし何なら顔と名前が一致しない程度だ。

だからわからない。親しい人がいなくなることが。

わたしが亡くしたのは愛犬と、祖母と、母だ。全て家族、友人とはまた違う。

父の年齢になれば友人知人でも亡くなる方は出てくるだろう。

それは、どんな気持ちなのだろうか。

悲しいよりは、寂しいんだろうか。

もう会えない、どんなに切望しても絶対に会えないのだという事実は息が出来なくなるくらいに辛い。

それも時が経てば薄れていくのだろうか。いや、時が経つほどに色濃くのしかかる。2度と会えないのだと。

名前も知らない床屋さん。
父と仲良くしてくれて、ありがとう。

どうぞ安らかに。

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