![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/148871708/rectangle_large_type_2_9f687f2fd91e7e3874c7c3572adb9ce2.jpeg?width=1200)
PERCHの聖月曜日 101日目
1 鴻、まず、「暗黒」についての考えをききたい。「暗黒舞踏」……なぜ君のダンスはそう呼ばれるか。
鴻 暗黒舞踏は五十年代のおわりに土方巽がまずそう名付けた。当時、全ての芸術分野をおおう攻撃的な動きにまきこまれ、まきこみながら、彼はパフォームした。それは伝統的日本と近代的(アメリカナイズされた)日本に反対するマニフェストだった。彼は私のダンスの師だが「なぜ新しいダンスを彼が「暗黒舞踏」と名付けたのか正確には知らない。私個人としては、「暗黒」の意味を日常感覚をこえる何か説明しがたいもの、我々を原初的な、又、別の状態(アルタード ステーツ)に押し出す不可視の力、あるいは我々の世界のかくれた次元と解釈している。私のいう「暗黒」をいわゆる「オリエンタリズム」、「アジア神秘主義」、自然食、ヨガ、クリシュナ、集団瞑想、占星術、なんかと混同しないでほしい。私が今言った「暗黒」はそういう(ヨーロッパ人の心にとって)「エクゾチックな」テクニックや哲学––、そういいたいなら––ではなく、人間の普遍性、普遍的態度の、ある原初的基盤なのだ。例えば、変身への、法悦への、トランスへの、錯乱への、誘惑への、愛への、そして最後に死への欲望なのだ。
ーーー細川周平「舞踏子守唄」『室伏鴻集成』2018年,p386
![](https://assets.st-note.com/img/1722213975473-RSj28pL4XO.jpg?width=1200)
Odilon Redon
1896
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?