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生涯21本目の煙草(2009年6月12日記)

ポール・オースターという作家が好きだ。

最初に読んだのは「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」だった。 内容は、

『ニューヨーク・タイムズ』の編集者にクリスマスの朝刊に載せる短篇を依頼され、安請け合いして困っていた作家の「僕」が、ブルックリンにある葉巻ショップの店員オーギーにそれを打ち明けたところ、オーギーがクリスマスにまつわる実話を語った。それはある日、万引きした少年を追ったオーギーが、少年が逃げる途中で落とした財布を拾い、クリスマスにそれを少年の家に届ける。

──と、こんな感じ。

スイッチ編集部のアルバイトを始めてすぐ、仕事の暇を見つけては過去の『SWITCH』のバックナンバーを読んでいたのだが、別冊『LITERARY Switch』の3号に掲載されていた。本当にすごく短い、なんでもない話だけれど、心にじんと残る物語だった(ちなみに1995年、この短篇をもとに『スモーク』という映画が作られている)。
  
その次に読んだのは『ムーン・パレス』だった。あとはご想像どおり、すっかりハマってしまって、翻訳されているものは次々に読んだ。『鍵のかかった部屋』という作品を手にしたとき、なんだか聞き覚えのあるタイトルだなと思って、読んでいる途中で、以前、母が図書館で借りた本をどこかのトイレに置いてきて、仕方なく弁償したのがこの本だったことを思い出した。トイレの個室に本を置いてくるという事実と「鍵のかかった部屋」というタイトルがなんだか妙にリンクしたので、おぼろげに記憶していたのだろう。

昨年末、新作の『幻影の書』を読み終えたとき、mixiの「ポール・オースター」のコミュニティをうろちょろしていたら、「NYで起こった偶然」というトピックがあった。

そこにはゼミ論でオースターについて書いている男性(筆者)がNYを訪れた際、ホステルで同じ部屋になったフランス人とメキシコ人もともにオースター好きだった、という話が書かれており、その詳しい話をmixiの日記にしたためていたのだった。

これを読んで、本当にオースターばりの、ささやかだけど驚くべき偶然が現実に起こるんだなあとワクワクした。

それに日本人である彼も、フランス人の彼も、メキシコ人の彼も、オースターの書いた英語ではなく、翻訳本で読んでいるのだ。海をすいすいと渡っていく小説とは、小さなサイズにしてなんと偉大なのだろう。

私は彼の文章のリズムの心地よさに惹かれるまま他の日記にも何本か目を通し、メッセージを送った。そして、後日マイミクになった。

数日後、彼のトップページを開くと、コミュニティ一覧に「シャルロット・ゲンズブール」が見えた。

その瞬間、あることを思いついた。

私は棚からコダックの黄色い箱を取り出して開けた。そこには、スイッチ時代にカメラマンたちから譲り受けた数枚の写真がおさめられている。そこからシャルロット・ゲンズブールのモノクロプリントを取り出し、机に戻って、彼にメッセージを書いた。

「送りたいものがあるので、住所を教えていただけませんか?」と。
  
もちろん自分が額装して飾ってもいいわけだが、シャルロットのお気に入りの1枚(タバコをくゆらしているアップ)はすでに飾ってあったし、ずっと眠ったままのもう1枚を好きだという人が持っててくれたほうがいいな、という気がしたのだ。
相手は少しは警戒していたかもしれないけど、なにせオースターが好きな人だ(笑)、住んでいる大阪の住所をすんなりと教えてくれた。

数日後、彼はわざわざ写真が届いた旨を知らせてくれて、自分の日記にもそのことを書いていた。その日記を読んで、写真は正しい人のところへ渡ったな、という気がした。

2カ月後、彼から「来週東京へ行くのですが、少し逢える時間はあるでしょうか」という連絡があった。「会社の近くでランチなら喜んで」と返信すると、彼はわざわざ護国寺まで来てくれた(このころは講談社と業務委託契約を結んで働いていた)。

待ち合わせの時間、マクドナルドの前で、携帯電話で確認しつつ、それらしき人に声をかける。彼だった。

私たちは近くの蕎麦屋に入った。注文をしてから、あらためて挨拶をしたのち、彼は「忘れないうちに」とバッグからあるものを取り出した。シガーの箱だった。

それは、彼がくだんのNY訪問の際に買ったもので、「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」の主人公である作家が好んで吸っていたものであり、オースター自身も愛用している品だという。

日本では取り扱いがなく、NYでも数軒まわって見つけることができたというそれを、彼はホステルを去るときにオースター好きのフランス人とメキシコ人にも置いていった。「この葉巻は国際 ポール・オースター ファンクラブの証である。入会を希望するなら、これを吸うこと。 」というメモを添えて。

彼は一連の話を簡単にしおわってから、ちょっと恥ずかしそうに「新品じゃなくてごめんなさい」と言った。

私は私の手におさまった小さな茶色い箱を開けてみた。キレイにラップされたままの4本のシガーが入っていた。それは、2005年の彼のNY訪問から、時を空輸されてやってきたものだ。

「ありがとう。神棚に飾ります」と私は言った。照れくさくてそうとしか言えなかったのだ。 

シガーの箱は、私の大事な本がしまってある昭和初期の古い本箱(=神棚)の、ロンドンで読みもしないのに買ったオースターの原書3冊の前に飾ってある。さっき、それを取り出して、箱を開け、1本吸ってみた。普段、煙草を吸わない私には3口くらいが限界だったけれど、明け方の青い光に染まった部屋に、ゆらりとたちのぼる白い煙がただただ美しかった。

注)写真は手元に残ったほうのシャルロット・ゲンズブールの写真。撮影はnanacoさん。右上はパリでシャルロット本人にいただいたサイン。右下はリュック・ベッソンのサイン入りポラロイド。撮影は、蓮井幹生さん。

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