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鎌ケ谷市「粟野庚申塔郡」を尋ねる✡2024年4月27日(土曜日)✡


岩波書店「旧約聖書 箴言」より

イスラエル諜報特務庁(HaMossad leModiʿin uleTafkidim Meyuḥadim)

モットーは「議士多ければ平安あり[2]ヘブライ聖書箴言集11:14』)。このほか、公式サイト上に「モサド憲章」を掲げている[1]

ウィキペディア

11:14「指導者がなければ民は倒れ、助言者が多ければ安全である。」
11:14 "Where there is no wise guidance, the nation falls, but in the multitude of counselors there is victory."

11
偽りの秤は、ヤハウェの嫌悪するもの。
だが、正しいおもりの石は、彼のお気に入り。
高慢が来れば、恥も来る。
だが、慎重な者たちには知恵。
実直な者たちの誠実さは、彼らを導く。
だが、偽装者たちのよこしまは、彼らを荒廃させる。
富は怒りの日には、役に立たない。
だが、義は死から救う。
誠実な者たちの義は、道をまっすぐにする。
だが、邪悪な者は、その悪行によって倒れる。
実直な者たちの義は、彼らを救う。
だが、偽装者たちは、欲望によって捉えられる。
邪悪な人の死ぬとき、希望は潰える。
悪人の期待は、潰えた。
義人は、銀難から救助される。
邪悪な者は、その代わりに陥る。
偽善者は口によって、その隣人をだいなしにする。
だが、義人たちは知識によって救助される。
義人たちが幸いなとき、町は喜び、
邪悪な者たちが没落するとき、歓声を挙げる。
実直な者たちの幸福によって、町は栄える。
邪悪な者たちの口によって、それは廃嘘と化す。
隣人をそしる者は、思慮に欠ける者。
だが、洞察力のある人は沈黙する。
中傷して歩き回る者は、秘密を漏らす。
だが、信頼するに足る者は、事を隠しておく。
舵取りがいなければ、民は没落する。
だが、多くの顧問官によって、勝利がある。

知らない人の保証をすると、災難がふりかかる。
だが、手を打つことを嫌う者は安全である。
優雅な女は、名誉をつかむ。
勤勉な者は、富をつかむ。
友愛に富む人は、自分自身によくしている。
だが、残忍な者は、自分の体を損なっている。
邪悪な者は、偽りの稼ぎをする。
いたしかに義はいのちにいたり、
だが、義を播く者には、真実の報酬。
たしかに義はいのちにいたり、
悪を追い求める者は、死にいたる。
心の曲がった者は、ヤハウェの嫌悪するもの。
だが、まつすぐに道を歩む者たちは、彼のお気に入り。
いかにも悪人は罰を免れられない。
だが、義人たちの子孫は救われる。
豚の鼻に金の輪、
美しい女にたしなみがない。
義人たちの望みは、よいことばかり。
だが、邪悪な者たちの期待は、怒り〔に終る〕。
播き散らして、なお増し加える者がいるが、
過度にもの惜しみをして、かえって欠乏する者もいる。
祝福する魂は、肥え太る。
潤す者は、彼もまた潤される。
穀物を売り惜しむ者、彼を人々は呪う。
だが、売りに出す者の頭には、祝福。
善を欲しがる者は、好意を探している。
だが、悪を追い求める者には、それがやって来る。
自分の富に頼る者、彼は没落する。
だが、義人たちは青葉のように繁栄する。
自分の家を損なう者は、風を嗣業とする。
愚か者は、心の賢いひとの僕となる。
義人の果実は、いのちの木。
賢者は、ひとの魂を捉える。
義人が地の上で報われるのならば、
邪悪な者や罪人は、なおさらのこと。

岩波書店「旧約聖書 箴言」

箴言』(しんげん、ヘブライ語:מִישְׁלֵיミシレイ)は、ユダヤ教では「諸書」の1つであり、キリスト教では知恵文学の1つとして『詩篇』の後に置かれる。題名はヴルガータ訳におけるタイトル『Liber Proverbiorum』に由来する。

内容は教訓の集合で、様々な徳や不徳とその結果、日常における知恵や忠告等である。『箴言』中の格言の多くはソロモン王によって作られたとされている。これは、律法に関する五書がモーセの名で呼ばれているように、知恵文学(箴言、コヘレトの言葉雅歌)はソロモンの名で呼ばれるからである。実際は彼以外にも複数の作者の言葉が収められている。

ウィキペディア

私は小池定謨こいけさだことゼミの出身者です。

”All human beings are capable of creating new sentences infinitely within the limited number of vocabulary”とはNoam Chomsky の言葉である。この理論に立ち目標言語(英語)における無 限のspeech communication の可能性に挑戦するのがこのseminar の目標である。

2000年秋冬に企画された小池定謨こいけさだことゼミの懇親会はカプリチョーザで開催されました。
当時大学三年生だった私はもう一人の三年生と一緒に二人で幹事を任されたのです。
彼と一緒に自転車で八王子駅周辺のいくつかのお店を回って選定した。
彼はゼミの集合写真で目を瞑ってしまっている。
私はNIKEエアージョーダン10(ホワイト)を履いている。
あと二人いる男性ゼミ生は海外留学組であり三年時の途中からカナダとオーストラリアへそれぞれ旅立って行った。
それ故に三年時のゼミの懇親会へは不参加でした。
その内の一人は一年時に行動をよく共にしていました。
1998年の毎日王冠はエルコンドルパサーとグラスワンダー、サイレンススズカの三強対決となり東京府中競馬場で開催されていました。
私は彼を誘ってその一大イベントを観戦に行ったのです。
その後にエルコンドルパサーはフランス凱旋門賞をモンジューの二着になるなど大活躍をしました。
もう一人は二年時に知り合いになり電算室でHOTMAILの作成を教わりました。
彼は拓殖大学を二回受験していて一回目は推薦入試で不合格となり二回目は一般入試で合格したと語っていました。
推薦入試の不合格の理由は面接時に学生服の上方のボタンを外していたからだそうです。
ただ彼は服装の乱れを面接官に指摘されたことを今でも根に持って憤慨しているようでした。
そして私は彼らと一緒にこの小池定謨こいけさだことゼミを選定した事実は一切ありません。
彼らの選定理由は海外留学組だからです。

Ni・ke [náikiː]〓
―n.
1 〖ギリシア神話〗 ニケ:勝利の女神;ローマ神話の Victoria に当たる.
2 ナイキ:米陸軍の2段ないし3段のロケットを有する一連の対空誘導弾または迎撃用誘導弾の一つ.
3 ナイキ:米国のスポーツシューズメーカー;またその靴.
[<ギリシャ語 nīkē 勝利,征服]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

Ni・ke¹ /náɪkiː/
―n. 〖ギリシャ神話〗 ニーケー, ニケ⦅勝利の女神; 片手に花輪, もう一方の手に棕梠(しゅろ)の枝を持った翼のある女の姿で現される; ローマ神話の Victoria に当たる⦆.

Níke of Sámothrace
[the ̶] サモトラケのニーケー⦅1836 年 Samothrace 島で発見された女神像; 現在は Paris の Louvre 美術館収蔵; 高さ 2.45 m, Paros 島産大理石立像で, シリアの Antiochus 三世に対するロードス人 (Rhodians) の勝利の記念碑として 190 B.C. ごろ建立されたといわれる; Winged Victory ともいう⦆.
〖⦅1867⦆ ▭ L ~ ▭ Gk Nīkē ⦅原義⦆ victory; cf. Nicholas¹〗

『新英和大辞典 第6版』 研究社

air¹ [έər]〓
―n.
II ⦅メロディー⦆
15 〖音楽〗
(1)節(tune),旋律,メロディー:〓
(2)(合唱の)主旋律;(特に)ソプラノ,最高音部:〓
(3)アリア(aria).
(4)(また ayre)エリザベス朝時代の芸術歌曲.

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

air¹ /έɚ | έəʿʳ/
―n.
7 〖音楽〗
a (高音域の流麗な)旋律 (⇨melody SYN); 多声曲の主要部⦅通例合唱曲のソプラノ声部⦆; アリア (aria); ふし, 曲 (tune)〓
b エア⦅16 世紀末の英国の歌曲の一形式⦆.

『新英和大辞典 第6版』 研究社

まえがき

「信仰」とは「誠実と真実」を確保する生き方

「誠実と真実」を確保する生き方とは「美徳」(叡知界)を示しています。

「信仰」は「誠実と真実」という「美徳」(叡知界)を確保する生き方と言える。
そう云う「美徳」(叡知界)を確保する「言葉」は「神の言葉」(叡知界)となって表出する。

「神の言葉」(叡知界)の「聖書」とは斯くある。

そして「聖書」とは「善悪を知る木」から「実」を食べた男女の歴史です。
「人間の歴史」とはこのように善悪を知ることから始まる。
「聖書」とは「歴史信仰」を持つことを示しています。

「信仰」を「美徳」(叡知界)とすることを「信徳」と言います。
全ては「神の言葉」(叡知界)への「信徳」から始まります。

friend [frénd]
[中期英語 friend,frend,古期英語 frēond 友,恋人,親族〔もとは frēogan(⇀FREE)の現在分詞;ゴート語 frijōn「愛する」と同語源〕;ドイツ語 Freund と同語源]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

吉川弘文館「キリスト教美術図典」より

白馬に乗る誠実と真実の騎士
〔典拠〕黙19:11-16
〔要旨〕天が開け、白馬に乗った誠実および真実と呼ばれた騎士が現れる。血に染まった衣をまとい、頭には多くの冠をかぶっている。口からは剣が出、鉄の杖を手にして諸国を治める。純白の麻衣を着た天の軍勢は白馬にまたがり彼に従う。中世の注釈によれば、騎士はキリスト、白馬は罪を免れた彼の肉体である。血に染まった彼の衣は、贖いの死または殉教者のそれを意味する。4人の騎士中の射手をキリストとする中世的解釈を認めるとすれば、キリストが騎士の形をとって現れるのは黙示録では2回目である。いずれもキリストは白馬に乗っているが、勝利の象徴。彼に従う天の軍勢は教会を表わす。
〔図像〕白馬にまたがり、天の軍勢を引き連れたキリストは口に剣をくわえる。

吉川弘文館「キリスト教美術図典」

岩波書店「創世記」より

神ヤハウェは人に命じて、言った、「あなたは園のどの木かまも〔実を〕取って食べてよいが、善悪を知る木、これから〔実を〕取って食べてはならない。これから取って食べる日、あなたは必ずや死ぬであろう」。

岩波書店「創世記」

エデンの園(その二)-破戒と追放
神ヤハウェが造った野のあらゆる獣のなかで、蛇が最も賢かった。蛇は妻に言った、「園のどの木からも〔実を〕取って食べてはならない、などと 神がおっしゃったとは」。妻は蛇に言った、「私たちは園のどの木の実でも食べてよいのです。ただ、園の中央にある木の実からは食べてはならない、これに触れてもならない、死ぬといけないから、と神は言われました」。蛇は妻に言った、けっして死ぬことはないよ。実はね、あなたがたがそれを食べる日、あなたがたの目が開いて、あなたがたが神のように善悪を知るようになる、と神は知っておいでなのです」。

妻が見ると、その木〔の実〕はいかにもおいしそうで、目の欲を誘っていた。 その木はまた〔人を〕聡明にしてくれそうであった。そこで彼女はその実を取って食べ、彼女と共にいた夫にも与えた。彼も食べた。すると二人の目が開かれ、彼らは自分たちが裸であることを知った。彼らはいちじくの葉をつなぎ合わせて、自分たちで腰帯を造った。

岩波書店「創世記」

神ヤハウェは言った、「みよ、人はわれらの一人のように、善悪を知るようになった。いまにも彼は手をのばし、生命の木からも〔実を〕取って食べ、永遠に生きることになるかも知れない」。そこで神ヤハウェは人をエデンの園から連れ出し、人がそこから取られた大地に仕えさせた。

こうして、神ヤハウェは人を追放し、生命の木にいたる道を守るため、エデンの園の東にケルビムと揺れ動く剣の炎を置いた。

岩波書店「創世記」

岩波書店「ヨハネの黙示録」より

終末の緒戦(黙19:11-16)
私は、天が開かれているのを見た。そして一頭の白い馬〔が現れた〕ではないか。その馬に乗っている騎士は、「信頼でき真実なる者」[と呼ばれており]、彼は正義をもってさばき、〔正義のために〕戦う。その目は火の炎[のよう]であり、その頭には多くの冠〔が戴かれていた〕。また、彼以外は誰も知らない、一つの名前が書かかれていた。彼は血で染められた着物を身にまとい、その名前は「神の言葉」と呼ばれた。

天の軍勢が、白く清い麻布の着物を身につけて、白い馬に乗って、彼に従っていた。彼の口からは鋭い太刀が出ている。その太刀で諸民族を打つためである。この者が、鉄の杖でもって彼らを支配する。また、この者が、鉄の杖でもって彼らを支配する。また、この者が、全能者なる神の激した怒りの〔込められた〕葡萄酒の酒ぶねを踏む。その者の着物にも腿にも、「王たちの王、主たちの主」という名前が書かれている。
私はまた、一人の天使が、太陽の中に立っているのを見た。この天使は、空高く飛んでいるすべての鳥に向かい、大声でこう叫んだ、「さあ、神の大宴会に集って来い。王たちの肉、千人隊長たちの肉、権勢ある者たちの肉、馬たちやその騎手たちの肉、また自由人も奴隷も、偉大な者も卑小な者も、ありとあらゆる〔人間たち〕の肉を食え」。

私はまた、かの獣と地上の王たちとその軍勢とが、馬に乗った騎士とその軍勢とに戦いを挑むために、結集しているのを見た。しかし、獣は捕らえられた。またこの獣の面前でもろもろの徴を行なって、獣の刻印を受けた者たちや獣の像を礼拝する者たちを惑わしたかの偽預言者も、獣と一緒に捕らえられた。これらの両者は、生きながらに、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。皿そして、残りの者たちは、かの〔白い〕馬に乗った騎士の口から出る太刀によって殺され、すべての鳥は、彼らの肉を飽きるほど食べた。

岩波書店「ヨハネの黙示録」

friend [frénd]〓
―n.
1 (親しい)友,友人,友達,仲よし;知人:〓
2 (…の)後援者,支持者;同調者,共鳴者,シンパ⦅of,to ...⦆;(計画などの)推進者⦅of ...⦆;⦅friends⦆ (会の名などで)…友の会,…(の環境など)を守る会;(学校・施設などの)後援者の会,義援団体:〓
3 味方(↔enemy):〓
4 国[党派など]を同じくする人,同国人,同胞,同志;盟友,仲間,同僚.
5 役立つ[助けとなる]もの,頼みの綱:〓
6 ⦅F―⦆ フレンド派(the Society of Friends)の人,クエーカー教徒(Quaker).
▶教徒間の呼びかけに用いる:〓
7 ⦅呼びかけや人を引き合いに出すときに用いて⦆ (わが)友,君(きみ),人(▶軽蔑(けいべつ)的・皮肉に用いることもある);⦅friends⦆ 皆さん:〓
8 ⦅friends⦆ ⦅主にスコット⦆ (保証人になり得る)近親,親戚(しんせき),親族,身内(kinsman).
9 愛人;情人.
▶男女どちらにも用いる.
10 (お気に入りの)デートの相手;ボーイフレンド,ガールフレンド.
11 やっかいな[迷惑な]知り合い.
12 たまたま出会った人;御仁.
13 (また little friend)⦅俗・方言⦆ 月経(period).
―v.t.
1 ⦅まれ⦆ 〈困っている人の〉友人として行動する,…に味方[助力]する,…を助ける;⦅廃⦆ …の友人になる.
2 ⦅friend it で⦆ 友達のように振る舞う.
[中期英語 friend,frend,古期英語 frēond 友,恋人,親族〔もとは frēogan(⇀FREE)の現在分詞;ゴート語 frijōn「愛する」と同語源〕;ドイツ語 Freund と同語源]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

「神の言葉」(叡知界)を嘲笑する「偶像崇拝と呪術崇拝」について

一方で「神の言葉」(叡知界)を倒錯する「エニグマ」(感性界)とは「偶像崇拝と呪術崇拝」となっています。

科学的思考を拒否して世界認識を自らの「感性界」(ドクサ)へと落とし込んでいくことは大傲慢です。
それは自己中心的なカルト思考でしかありません。
カルト思考は「感性界」(ドクサ)なのです。

一方で科学的思考は世界から「神の言葉」(叡知界)を受肉していきます。
それは「神の言葉」(叡知界)への恭順を示しています。
科学的思考は「神の言葉」(叡知界)のことなのです。

「神の言葉」(叡知界)を貶めていくあり方は「偶像崇拝と呪術崇拝」であり「感性界」(ドクサ)のことを示しています。
※「偶像崇拝と呪術崇拝」は「循環論証」(詐欺師の言葉)となっています。

マス・コミュニケーションとプロパガンダ・キャンペーン

例を示します。
マス・メディアにはマス・コミュニケーションとプロパガンダ・キャンペーンが存在します。

マス・コミュニケーションとは文字通りメッセージ(誠実と真実)を確保するコミュニケーションであって「カトリックロゴス感覚への信仰」です。
カトリックロゴス感覚を信仰することとは「言語学(理性)の成立」を意味しています。

ロゴス
logos
理性,言語,理法(法則),比例,定義などさまざまに訳されるギリシア語で,古代哲学,神学における重要な概念。ヘラクレイトスはロゴスを万物の生成を支配する永遠の理法とし,ストア派は世界を合目的的に支配する原理として神と同一視した。なおストア派は個物を形成する能動的理性を種子的ロゴス(ロゴス・スペルマチコス),分たれて個々の人間に内在する思想 ratioとしてのロゴスをロゴス・エンディアテトス,言葉として表出された oratioとしてのロゴスをロゴス・プロフォリコスと呼んだ。コダヤ神学とギリシア哲学の融合を試みたアレクサンドリアのフィロンは,ロゴスを神と同一視せず,神と世界とを仲介し世界形成に関与する神的存在とした。これは『ヨハネによる福音書』における神のひとり子イエス・キリストとして受肉したロゴスと近似しており,直接の依存関係はないがキリスト教神学に与えた影響は大きい。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

一方でプロパガンダ・キャンペーンとは「政治的宣伝コンテンツによるアジテーション」を意味しています。
「政治的宣伝コンテンツによるアジテーション」とは「ハーケンクロイツの親衛隊」が担うのです。

しんえい‐たい【親衛隊】シンヱイ‐
〓国王や国家元首などの身辺を護衛する部隊。
〓常にある人に付き従って行動する人々。特に、芸能人をとりまく熱心なファン。
〓ナチスの準軍事組織。1925年、ヒトラー護衛のために設立され、1929年以後はヒムラーのもとで警察権を掌握。占領地行政や強制収容所の管理などを行った。

『大辞泉 第二版』 小学館

しんえいたい【親衛隊】
1 the bodyguards 〖to the Queen〗.
〓ヒットラーの~
〖G〗 the Schutzstaffel (略: SS, S.S.); the Black Shirts.
2 〔芸能人などの熱烈なファン〕 ardent fans; (女性の) groupies.

『新和英大辞典 電子増補版』 研究社

親衛隊
SS(Schutzstaffel de NSDAP)
[歴史]

『人文社会37万語対訳大辞典』 日外アソシエーツ

Bláck・shìrt
―n.
1 黒シャツ隊員⦅第二次世界大戦前または大戦中のイタリアのファシスト党員 (Fascist) や Hitler の親衛隊員など; cf. Brownshirt⦆.
2 (制服に黒シャツを用いる)ファッショ団体の人.
〖⦅1922⦆ ⦅なぞり⦆ ՟ It. camicia nera〗

『新英和大辞典 第6版』 研究社

Brówn・shìrt, b―
―n. Hitler の突撃隊 (Sturmabteilung) の隊員; 茶シャツ党員, ナチ党員; ファシスト (cf. Blackshirt).
〖⦅1932⦆ ⦅なぞり⦆ ՟ G Braunhemd: その制服の色から〗

『新英和大辞典 第6版』 研究社

※ヒットラーの突撃隊(黒ミサ)とハイデッガーの突撃隊(白ミサ)を区別する必要がある。

Bláck Shìrt〓
黒シャツ党員:黒シャツを着用したファシスト組織,特にイタリアのファシスト軍団の一員.

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

ローマ‐カトリックきょうかい【ローマカトリック教会】‐ケウクワイ
《Roman Catholic Church》キリスト教最大の教会。ローマ教皇を最高首長とし、「聖なる公同の使徒的ローマ教会」と公称する。1054年、東方正教会と分裂後の西方教会をいい、特に16世紀の宗教改革以後、プロテスタント教会に対して、こうよばれる。日本には1549年渡来。カトリック。カトリック教会。ローマ教会。公教会。天主公教会。

『大辞泉 第二版』 小学館ツ

マス・コミュニケーション
mass communication
新聞,雑誌,図書,映画,テレビ,ラジオなどのマス・メディアを通して多数の人々に向けてなされる⇨コミュニケーション。パーソナル・コミュニケーションが,会話などのように,個人的,直接的な接触による相互伝達であるのに対して,時間的,空間的距離をへだてて間接的にコミュニケーションが行われ,また送り手は常に送り手であり,受け手は常に受け手であるというように,一方的な伝達である。受け手は自分に興味のもてるものでなければそのコミュニケーションとの接触を避けるので,受け手に対する訴えの効果を高めるために,受け手の感情や欲求に訴えるような刺激的な表現や扱い方が用いられる傾向がある。

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せんでん【宣伝】
プロパガンダ propagandaの訳。多数の人々の態度や行動に働きかけて,一定の方向に操作しようとする意図的・組織的試みである。論争的な政治的・経済的・社会的問題をめぐって世論を宣伝者にとって有利な方向に操作しようとする政治宣伝は,過去のいかなる政治社会においても重要な役割を果してきたが,現代の大衆民主主義のもとでは,マス・コミュニケーションの発達と結びついてますますその重要性を増しつつある。

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キャンペーン
campaign
原義は野戦の意,転じて選挙戦の意味に用いられ,さらに広く宣伝活動によって人々の知識,意見,態度,行動などに影響を与えようとする説得活動をいうようになった。(→選挙運動)

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コミュニケーション
communication
言語,身ぶり,画像などの物質的記号を媒介手段とした精神的交流のこと。語源はラテン語で「分かち合う」を意味する communicare。歴史的には物質的記号は初期の身ぶり,叫びなどの直接的で無反省な状態から,明確な言語などの普遍的かつ間接的な状態へと発達した。コミュニケーションの過程は,精神的内容を物質的に表現する送り出しの段階,受け手によって受容される段階の2段階から成る。また,その内容は分析的に知的理解のためのものと,情緒的な伝播を目指すものとに分けられる。人間社会を成立させる基礎的な条件であり,特に今日ではマス・コミュニケーションが高度に発達して大きな影響力をもっている。

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せんどう【扇動】
アジテーション agitationの訳。大衆の意見や行動を特定の方向へ直接導くための意図的活動をいう。特に大衆の感情や本能を刺激するが,視覚よりも聴覚に訴えることが効果的であるとされている。そして大衆に対してそのような働きかけをするものをアジテーター(扇動家)という。⇨レーニンは⇨宣伝と扇動を区別して,大衆の潜在的な不平不満を外に引出すための操作を扇動と呼んでいる。法律上は,他人に違法行為を実行する決意を生ぜしめ,またはすでに生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えることもいう。言動のほか,文書,図画による場合も含む。教唆的行為を正犯として独立に処罰する法規としては,破壊活動防止法,爆発物取締罰則,国税犯則取締法,地方税法,公職選挙法などがある。国家公務員法,地方公務員法でいう「⇨あおり」も同じ意味である。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

「自然林」と「人工林」

「神の言葉」(叡知界)とはコミュニケーション(マス・コミュニケーション)を示しています。
「神の言葉」(叡知界)にはメッセージ(誠実と真実)が存在している。
そして「神の言葉」(叡知界)とは「自然林」への「信仰」(誠実と真実)を示しています。

てんねん‐りん【天然林】
植林によらず、自然に生育した森林。⬌人工林。

『大辞泉 第二版』 小学館

じんこう‐りん【人工林】
種まきや植樹などにより、人為的につくった森林。⬌天然林。

『大辞泉 第二版』 小学館

ふ‐せい【不正】
〘名・形動〙
正しくないこと。また、その行為や、そのさま。「―をはたらく」「―な取引」

『大辞泉 第二版』 小学館

injury 不当な行為や仕打ちを意味することから,危害(evil),損傷(impairment),損失(loss)のいずれの意にも用いられる.
injustice 他人に対する不公平な行為,正義に反する行為:〓
wound 通例,切り傷,銃傷などについていうが,心の痛手についてもいう:〓
wrong 公的私的の不当行為:〓

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

さぎ【詐欺】
他人をだまして錯誤に陥れる違法な行為をいう。他人をだますというのは,真実でないことを真実であるとして伝える場合のほかに,真実をあえて隠す場合も含む。もっとも,後者の場合にはそれが社会観念上違法とされるものでなければならない。(1)民法上の詐欺 詐欺によって意思表示した者は,これを取消すことができる。ただし,その取消しは⇨善意の第三者に対抗することはできない(96条1項,3項)。なお詐欺によって生じた損害は,不法行為として詐欺者に損害賠償させることができる。(2)刑法上の詐欺 人をだまして財物を取得したり,財産的利益を得たりした者(だました者以外の他人が取得する場合も含む)は,詐欺罪で罰せられる(246条1項,2項)。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

さぎざい【詐欺罪】
Betrug
財産犯の一種で,他人を欺罔(ぎもう)して錯誤に陥れ財産上の処分をなさしめ,不法に財物,財産上の利益を騙取する犯罪をいう(刑法 246)。欺罔行為は言語,動作による作為のみならず,相手方の錯覚状態を利用し,法律上の告知義務のある者がこれを怠り,黙秘するという不作為によっても成立する。誇大広告も悪質なものは本罪を構成する。詐欺罪は,経済上相当の対価を支払っても成立するが,権利者が欺罔を手段として権利を実行しても罪とはならない。未遂も処罰される(250条)。詐欺罪は「人」をだました場合にのみ成立し,銀行などのコンピュータに対して虚偽のデータを用いるような場合には詐欺罪としては処罰できない。そこで,1987年の刑法一部改正によって電子計算機使用詐欺罪の規定が新設された(246条ノ2)。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

一方で「偶像崇拝と呪術崇拝」とは「定型的なカンバセーション」(コピーライティング)を示している。
「偶像崇拝と呪術崇拝」とはアジテーション(プロパガンダ・キャンペーン)のことです。
アジテーション(プロパガンダ・キャンペーン)とは定型的である故にメッセージ(誠実と真実)が存在していません。
何故ならば同じフレーズ(コピーライティング)の連呼にはメッセージ(誠実と真実)の居場所が存在しないからです。

コピーライター
copywriter
広告の文案を作成する人。アート・ディレクター,デザイナー,イラストレーターなどのスタッフと協力して広告の制作にあたるが,広告主の意図にそって常に消費者にアピールする文案を作成しなければならず,文学的センスと同時に広告全般に関する広い知識が必要な職業である。印刷媒体用の文案作成者にこの名を用い,電波媒体用のそれを CMライターと呼んで区別する場合もある。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

copywriting noun〓

●Oxford Dictionary of English, Second Edition revised

プロパガンダ・キャンペーン(政治的宣伝コンテンツ)によったアジテーションとは「人工林」を示しています。
「人工林」とは「植林」とも言います。

じんこう‐りん【人工林】
直播き・直挿し、または植樹などによってできた森林。⬌天然林。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

コミュニケーション(自然林)とアジテーション(人工林)とは「似て非なり」です。

そして「偶像崇拝と呪術崇拝」とは「典型的な信仰弾圧」なのです。

「人の手が入らなければ森は廃れる」という奇妙な概念が日本林業には存在しています。
しかしそれは「自然林」ではなく「人工林」を示しているに過ぎず、「環境問題」どころか「花粉アレルギー症」の原因でしかないでしょう。
日本林業とは「誠実と真実」を確保する「美徳商売」とは全く言えません。

「エニグマ」(愛されキラースマイル)は「感性界」(ドクサ)であり「歴史信仰」は「叡知界」

ここに示したように「偶像崇拝と呪術崇拝」に「誠実と真実」を確保する「美徳」(叡知界)が存在していないことは明らかです。
しかし「偶像崇拝と呪術崇拝」は「エニグマ」(愛されキラースマイル)を次から次へ捏造していくのです。
それは「コンフィデンスマン」の登場を意味しています。
「エニグマ」(愛されキラースマイル)とは「歴史信仰」(叡知界)を倒錯する「美徳ポジショニング」(感性界)なのです。
「情勢論」による「美徳ポジショニング」(感性界)から形成された「エニグマ」(愛されキラースマイル)が「コンフィデンスマン」なのです。
だから得体が知れません。
しかしそれは「神の右側へのポジショニング」(感性界)なのです。

「ロゴスの右側へのポジショニング」(感性界)とは「ハーケンクロイツ」

一般に「神の言葉」(叡知界)よりも高い「高尚ポジショニング」(感性界)を示しています。
それは「ロゴスの右側へのポジショニング」(感性界)であって「神の言葉」(叡知界)を嘲笑する倒錯行為です。
その代表選手はダビデと戦ったゴリアテです。

旧約聖書サムエル記「ダビデとゴリアテ」は「信徳」を示しているのです。

「ロゴスの右側へのポジショニング」(感性界)は「ハーケンクロイツ」であってタブーとされる。
ナチズムとはアンチキリストである。

岩波書店「ルカによる福音書」より

ダビデの子キリスト論への反論(ルカ 二〇 41-44)

すると彼は、彼らに対して言った、「何故彼らは、キリストがダビデの子だと言うのか。実際、ダビデ自身が詩篇の書で言っている、

主はわが主に言われた、

「私の右に座せ、
私がお前の敵どもをお前の足台として据えるまで」。


そこでダビデ自身が彼を「主」と呼んでいる。それなら彼はどうしてダビデの子なのか」。

岩波書店「ルカによる福音書」

岩波書店「旧約聖書 詩篇」より

詩篇 (百十 1-7)

ダビデの。歌。

わが主君へのヤハウェの御告げ、ー
「わが右に座せよ、
わたしがお前の敵どもを
お前の両足の足台とするまで」。

あなたの力の杖を
ヤハウェは差し出す、シオンから。
支配せよ、あなたの敵どもの真ん中で。
あなたの民は欣んであなたにつく、
あなたの兵力の日に。
聖なる栄誉の中で
曙の胎から
あなたには露があなたの若者たち。

ヤハウェは誓って、後悔しない、
あなたはとこしえに祭司、
メルキツェデクのようにして。
わが主はあなたの右に立ち
かれの怒りの日に王たちをくだき、
諸国民を審き、
屍で満たし、
頭をくだいた、
広大な地の上で。
中途の川から彼は〔水を〕飲み、
それ故に彼は頭をもたげる。

岩波書店「旧約聖書 詩篇」

聖宮崎駿「紅の豚」より

ポジショニング

ポジショニング
positioning
自社のビジネスや特定ブランドを顧客のニーズに合わせると同時に,競争企業あるいは競争ブランドと十分に差別を行ないながら顧客の記憶の中にユニークに位置づけることである。この言葉は,製品が市場に豊富に出回るようになった 1960年代の終わりに広告業界に登場し,市場が売り手市場から買い手市場に転換し,消費者をめぐる企業間競争が激化するにつれて,競争を有利に展開するための重要な考え方として普及した。競争が激しいほどポジショニングが要請され,これによって直接的な競争を避け,自社ビジネスやブランドの明確なイメージの訴求が可能になる。アサヒビールのスーパードライなどは,ポジショニングで成功した典型的な例であろう。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

ポジショニング〖positioning〗
〓適当な場所に置くこと。位置を定めること。
〓スポーツで、攻撃(守備)体制での選手の適切な位置どり。
〓競合関係にある商品・銘柄を特定の指標に従って座標空間上に位置づけること。指標としては消費者の知覚イメージ・価格・製品属性や使用者属性などが用いられる。

『大辞泉 第二版』 小学館

吉川弘文館「キリスト教美術図典」より

ダビデとゴリアト (の戦い)  F. David et Goliath
〔典拠〕 サム上17:31-52
〔要旨〕 ダビデは手に杖をとり, 5個の石を袋に入れ,石投げを持ってペリシテ人ゴリアトに立ち向かう。彼が石投げでゴリアトの額を撃 つと石は額に突き刺さり、ペリシテ人はうつむけに倒れた。ダヒデは敵の剣を取って彼を殺し、その首をはねた。
〔図像〕 ダビデとゴリアトの戦いの場面は、二つに大別される。一つ は両者が相対時している場面、他は倒れたゴリアトの首をダビデが斬ろうとする場面。以上2場面が、単独または一緒に連続して表現されることもある。ゴリアトは兜、鎧、青銅の脛当てを着け、盾と槍を持つが、多くの場合、美術家は当代の兵士の姿に描いた。初期キリスト教美術ではゴリアトはローマ軍団兵士の服装をしているが、12世紀以来の美術では鎖帷子を着て、鼻当ての付いた円錐形の兜をかぶった騎士となる。ダビデは梶棒で武装し、弓兵か歩兵のような服装をしている。なお彼の頭に光背がつけられた例は、ビザンティン美術の壁画や写本に見られる。勝利者としてのダビデの帰還とゴリアトの首をサウルに差し出す場面も中世以来表現された。

吉川弘文館「キリスト教美術図典」

「歴史信仰」(叡知界)を倒錯する「エニグマ」(愛されキラースマイル)を信用する理由とは一体何でしょうか?
答え:「循環論証」(詐欺師の言葉)です

その答えは「社会的美徳」です。
しかしそれは「循環論証」(詐欺師の言葉)と言えます。
そして「循環論証」(詐欺師の言葉)とは「情勢論」による「美徳ポジショニング」(感性界)です。

ポスト・モダン小説の旗手・高橋源一郎と「循環論証」(詐欺師の言葉)

作家・高橋源一郎は「循環論証」(詐欺師の言葉)の日本代表選手と言えます。
彼が評価された理由は「ポスト・モダン小説」というジャンルにおいて「前衛芸術の成立」が為されたと見做されたからです。
しかしそれが『「神の言葉」(叡知界)の成立』を否定する「循環論証」(詐欺師の言葉)だとすれば、その「前衛芸術の成立」は「完全な虚偽」であると言うことになる。
何故ならば汎ゆる物事は「神の言葉」(叡知界)からはじまっているからです。
「神の言葉」(叡知界)に「循環論証」(詐欺師の言葉)を据えることは「神の言葉」(叡知界)を倒錯する大冒涜となっています。
※高橋源一郎は「自称・重度の活字中毒患者」と称し文学者を気取っているがその正体とは「循環論証」(詐欺師の言葉)であって「論理上の虚偽の一つ」に過ぎなかった。
※高橋源一郎文学は真っ赤な偽物でした。

岩波書店「ヨハネによる福音書」より

はじめに、ことばがいた。
ことばは、神のもとにいた。
ことばは、神であった。

岩波書店「ヨハネによる福音書」

「神の言葉」(叡知界)への信仰と「循環論証」(詐欺師の言葉)への崇拝

「神の言葉」(叡知界)は「虚偽」ではない故に「循環論証」(詐欺師の言葉)では絶対にありません。
だから「循環論証」(詐欺師の言葉)は「神の言葉」(叡知界)を騙っているのです。

信じる者は救われる。

しかし信じるべきは「神の言葉」(叡知界)であって「循環論証」(詐欺師の言葉)ではない。

文鮮明教祖が率いた「統一教会」の信者とは「循環論証」(詐欺師の言葉)の崇拝者と言えるのです。
それは「神の言葉」(叡知界)への信仰ではなく「循環論証」(詐欺師の言葉)への崇拝と言えるでしょう。
それが「カルト」です。

ポスト・モダン芸術家や日本サブカルチャー、オタク芸術家は「カルト」でした。

これは「キュビスム」(ピカソ)と「ピュリスム」(ル・コルビュジェ)の違いとして見ることができます。
「キュビスム」(ピカソ)は「美徳ポジショニング」(感性界)であって「ピュリスム」(ル・コルビュジェ)は「美徳」(叡知界)と言えるのです。

キュビスム
Cubisme
立体派。 1907年から 14年にかけてパリで起った美術の革新運動。 08年にマチスがブラックの描いた『エスタック風景』連作(1907~08)を評して「小さな立方体(キュブ)の塊」と言ったのがその名称の由来という。ピカソの『アビニョンの娘たち』(06~07)によって先鞭がつけられたこの運動の発展は,一般に「セザンヌ風のキュビスム(07~09)」「分析的キュビスム(10~12)」「総合的キュビスム(13~14)」の3段階に分けて考えられている。セザンヌの「自然を円筒,円錐,球として取扱う」という言葉はキュビスムにとって啓示となり,彼の芸術と黒人彫刻はこの運動の初期に多大の影響を与えた。キュビスムは,ルネサンス以来の西洋絵画の伝統である遠近法や明暗法や多彩な色彩を用いて現実の描写をすることをやめ,⇨フォービスムの主情的な表現を廃し,代りに視点を複数化し,色彩も褐色と黄土色に限って,自然のもろもろの形を基本的な幾何学的形象に還元し,物の存在性を二次元のタブロー(額画)に構築的に再構成しようとした。この試みは中期にいたって対象の極度の分割となって現れるが,その後に⇨トロンプ・ルイユ(だまし絵)や⇨パピエ・コレの手法の採用をみ,これを過渡期として運動は後期に入り,ここに豊かな色彩が復活し,幾何学的色面と対象喚起力のある要素との結合,融合が起る。この運動の中心となった画家はモンマルトルの「⇨バトー・ラボアール(洗濯船)」に居住するピカソ,ブラック,J.グリスの3人であったが,ほかにモンパルナスでは画面に明るい色彩とダイナミックな動きを導入した F.レジェと R.ドローネーが,またピュトーには画面の構成原理を極度に追究し抽象芸術への道を開いた F.クプカと J.ビヨン,R.ビヨンの兄弟などがいた。 11年彼らは一堂に会してアンデパンダン展に作品を展示,翌年には「セクシオン・ドール(黄金分割)」展を開催。アポリネール,A.サルモン,M.レイナルらが批評家としてこの運動を支援した。運動としてのキュビスムは第1次世界大戦の勃発で終末を迎えたが,その成果はその後の美術,デザイン,建築などに多くの影響を与えた。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

じゅんすいしゅぎ【純粋主義】
Purisme
ピュリスム。第1次世界大戦後フランスの画家 A.⇨オザンファンと建築家ル・コルビュジエが主張した造形の純化を意図する芸術思潮。 1918年,彼らはその宣言書たる共著『キュビスム以後』 Après le Cubismeを発表するとともにパリのトマス画廊で展覧会を開催。キュビスムによる対象の解体に抗議して,対象の造形的要素を厳格な科学的規則に基づいて再構成することにより,絵画に建築的構造美を与えることを主張。また 19~25年まで雑誌『レスプリ・ヌーボー』を発行して彼らの思潮の展開,普及に努めたが,その影響は絵画よりもむしろ建築やデザインに及んだ。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

cult (kŭlt)〓
[L. cultus, an honoring, adoration].祭儀,礼拝形式,祈祷療法(教義または宗教的な教えに基づく体系化された信仰および儀式.従順な献身的な信者,指導者の非現実的な理想化,個人的な欲望や目的の放棄および伝統的な社会価値観の排除などの特徴がある).

『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

三島由紀夫賞作家の高橋源一郎さんへ
源ちゃん、潔く腹を切りましょう。
三島由紀夫さんがきっと待ってるよ!

高橋源一郎とは「日本文学詐欺事件」の主犯格なのです。
高橋源一郎さんは稀代の詐欺師であるかもしれません。
しかし稀代の詐欺師も公共に詐欺が発覚してしまえば薄汚いビッチでしかない。
ビッチ高橋源一郎なのです。

ポスト・モダン芸術家や日本サブカルチャー、オタク芸術家は全てビッチ

そういう意味でポスト・モダン芸術家や日本サブカルチャー、オタク芸術家は全てビッチと言えます。
ビッチ坂本龍一、ビッチ村上春樹、ビッチ高橋源一郎、ビッチ庵野秀明、ビッチ・・・etc

『岩波哲学小辞典』 岩波書店

循環論証
論理上の虚偽の一つ。
Aの事柄を論証するための論拠として用いられるBの事柄が、Aを論拠としていなければ論証できないという場合をいう。
例えば〈神は存在するということは聖書に書いてある。しかるに聖書は神の言葉である。ゆえに神は存在する〉という類の論証

『岩波哲学小辞典』 岩波書店

「信仰」(誠実と真実)とは「美徳」(叡知界)であり、コンフィデンスマンは「美徳ポジショニング」(感性界)

e・nig・ma [əníɡmə]〓
―n. (pl. e・nig・mas,e・nig・ma・ta[~tə])
1 なぞ,不可解な出来事[状況].⇨PUZZLE〓:〓
2 なぞの人,正体のつかめぬもの:〓
3 (なぞめいた)言葉,質問,絵;なぞなぞ.
4 ⦅E―⦆ エニグマ:1920年代初期にドイツで開発された暗号機械;当初は民間用に製造されたが,第二次世界大戦中ドイツ軍や枢軸国軍に幅広く使用された.
◊[音楽]Enigma『なぞ』Elgar の変奏曲作品36番(1898).
[1539.<ラテン語 aenigma なぞ<ギリシャ語 aínigma なぞ(aînos「寓話(ぐうわ)」の派生語 ainíssesthai「なぞめいた言葉で話す」より)]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

Cónfidence―Màn
—n.
[The ~] 『ペテン師』 ⦅Herman Melville の諷刺小説 The Confidence―Man: His Masquerade (1857); Mississippi 川の蒸汽船 Fidèle 号に最初は聾唖の若者として乗り込んだペテン師が, 次々と仮装して乗客をだましていく⦆.

『リーダーズ・プラス』 研究社

「愛されキラースマイル」(バフォメット)とは「愛する」(ユーモア)を倒錯した「フレンドキャラ」となっています。
「フレンドキャラ」は「フレンドリーなサタン」と言えます。
「愛する」(ユーモア)を倒錯した「フレンドキャラ」とは「敵対者」(サタン)でしかないのです。

「愛される」は「バフォメット」であり、「愛する」は「ユーモア」です。
「愛されキラースマイル」(バフォメット)と「愛する」(ユーモア)の違いは文字通り「自己が他者から愛される」と「自己が他者を愛する」の違いとなっています。

「愛されキラースマイル」(バフォメット)は「自己は他者であり、他者は自己である。」となっています。
「愛する」(ユーモア)は「自己は自己であり、他者は他者である。」となっています。
「バフォメット」は「他者を倒錯するあり方」であり、「ユーモア」は「自己完結性」なのです。

このように「愛される」(バフォメット)は他者を支配する詐術となっています。
それは「ドクサ」の支配と言われます。

ドクサ
doxa
「臆見」を意味するギリシア語。⇨エピステメの対立概念。低次の認識を意味する語としてドクサを初めて使ったのはクセノファネスであるが,永遠不変の存在についての真なる確証に対して,感覚に基づくドクサを立てたのはパルメニデスである。プラトンは後者の思想をうけて,真実在についての知識(エピステメ)と感覚的事象を対象とするドクサを認識論的存在論的に峻別,さらにドクサを感覚的個物に対する確証と感覚的個物の似像に対するエイカシアに区別した。アリストテレスはこれに対して存在論的区別を退け,エピステメを一般者ないし必然的なものについての判断とし,ドクサを感覚的個物にかかわるものとしている。エピクロス派では感覚そのものは真と認めるが,感覚に近い自発的な精神作用であるドクサには感覚の明証性の限界を踏越えて誤謬の可能性があるとしている。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

かんせい‐かい【感性界】
〔哲〕(mundus sensibilis ラテン)感性的知覚を通じて与えられる事物の総体。感覚界。感官界。⬌可想界。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

「愛する」(ユーモア)は「知を愛する」を示しています。
「知を愛する」とは「哲学」を示しています。
「ユーモア」は「哲学」(知を愛する)により「叡知界」を得ていくのです。
そういった哲学者は「真の英雄」(叡知界)と見做されます。

「叡知界」(知を愛する)は「信仰」です。
「信仰」とは「誠実と真実」を確保する「美徳」(叡知界)なのです。

てつがく【哲学】
philosophy
原語であるギリシア語の philosophiaは知を愛することを意味する。哲学という訳語は西周による(1874)。愛知としての哲学はもろもろの学問のなかの一つではなく,人間の知識欲に根ざす根源的活動の一つだが,中世では神学,現代では科学との関係が問題となっている。古代から近世まで哲学は⇨形而上学のほかに自然学(→自然哲学)を含んでいたが,19世紀からの自然科学の急速な発展によって後者は哲学から独立し,哲学をおもに認識論,倫理学,美学の三者で構成する立場が生れた。現代では厳密さを求めて哲学自体を科学化しようとする傾向さえ一部にある。かつて非神学的を意味した哲学的という形容詞は現代ではしばしば非自然科学的,思弁的の意味で用いられている。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

エピステメ
epistēmē
科学的知識,職業的専門的知識,知識一般をさすが,哲学上の用語としては,実践的知識(フロネーシス)に対して理論的知識,あるいは感性に基づく臆見(→ドクサ)に対して真なる知識をいう。ドクサとエピステメの区別はすでにパルメニデスに見出されるが,それをさらに明白に区別したのはプラトンであり,彼はエピステメとエイドス(→形相)を密接に関連させつつ,ドクサとアイステタ(感性的にとらえられたもの)に対立させることによって,真なる知識の位相を認識論的,存在論的に明らかにした。アリストテレスにおいては,必然的永遠的なものを対象とする認識能力をいう。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

かそう‐かい【可想界】 ‥サウ‥
〔哲〕(mundus intelligibilis ラテン)最高の認識能力である知性によってだけとらえられる超感覚的な世界。叡知界。⬌感性界

『広辞苑 第六版』 岩波書店

えいち‐かい【叡知界】
〔哲〕〓可想界に同じ。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

えいゆう‐すうはい【英雄崇拝】
英雄のすぐれた才能や武勇を褒めたたえ、尊ぶこと。

『大辞泉 第二版』 小学館

えい‐ゆう【英雄】
〓才知・武勇にすぐれ、常人にできないことを成し遂げた人。「―を気取る」「国民的―」
〓「英雄家(えいゆうけ)」の略。「花族も―も面(おもて)をむかへ肩をならぶる人なし」〈平家・一〉

『大辞泉 第二版』 小学館

英雄
(エイユウ)
才能・武勇の非常にすぐれた人。〔唐、杜甫、蜀相詩〕長使英雄涙満襟(ながくエイユウをしてなみだえりにみたしむ)。➡いつまでも後世の英雄たちに、愛惜の涙によって襟(えり)をぬらさせる。

『新漢語林』 大修館書店

サッカーの譬え

「愛される」(バフォメット)の例を挙げれば「愛され末っ子のライバル心」が体感的に分かり易いと思います。

「愛され末っ子」とは「アダルトチルドレン・ポジショニング」として特権的な立場を維持します。
いつまでも「末っ子」は「子供ポジション」(感性界)というわけです。
「子供ポジション」(感性界)とは「大人」(叡知界)として果たすべき「インフォームド・コンセント」を免除された「コンフィデンスマン」です。
「子供ポジション」(感性界)に於いては「インフォームド・コンセント」を否定した「お医者さんごっこ」が赦されてしまうのです。
ただそういった「子供ポジション」(感性界)による「お医者さんごっこ」は「医療詐欺」(感性界)でしかない。
このように「コンフィデンスマン」は「医療詐欺」(感性界)によって「営利追求」をするのです。

えい‐り【営利】
財産上・金銭上の利益を得る目的をもって事を行うこと。

『大辞泉 第二版』 小学館

えいり‐しゅぎ【営利主義】
営利を特に重視して事業を経営しようとする立場。商業主義。

『大辞泉 第二版』 小学館

このように「愛され末っ子のライバル心」とは「愛され末っ子」の「いいとこどり」(営利追求)を示しています。

いいとこ‐どり【▿好いとこ取り】
全体の中から、いい部分だけを取り出すこと。「日本と北欧の両方から―をした建築」「―の着メロ集」

『大辞泉 第二版』 小学館

いいとこ‐どり【いいとこ取り】
自分の利益になるところだけを選んで取り、不都合なところは引き受けないこと。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

美味しいところを持っていくのが「愛され末っ子」の「いいとこどり」(営利追求)です。
しかし美味しいところを追求することと「美徳」(叡知界)は全く違います。
美味しいところを持っていくことは「営利追求」でしかなく「美徳」(叡知界)ではないからです。
「美味しんぼ」(感性界)と「美徳」(叡知界)は全く違うのです。

「営利追求」と「私利私欲の追求」は同様と言えます。

しり‐しよく【私利私欲】
自分だけの利益や欲望。また、それをむさぼること。「—に走る」

『広辞苑 第六版』 岩波書店

び‐とく【美徳】
美しい徳。ほめるべき立派な徳。⬌悪徳

『広辞苑 第六版』 岩波書店

それはサッカーのポジショニングを競っている感覚と同様でしょう。
良いポジショニングをキープすればシュートは決まります。
それが「愛されポジショニング(感性界)の覇者」です。
だからサッカー選手は「ライバル心」を剥き出しにして「愛されポジショニング(感性界)の覇者」をキープするのです。
そして「愛されポジショニング(感性界)の覇者」とは「英雄ポジショニング(感性界)の覇者」とされます。

「美徳ポジショニング」には「叡知界」(知を愛する)と「感性界」(ドクサ)の2つがある

「ポジショニング」とは「美徳ポジショニング」の総称なのです。
ただ「美徳ポジショニング」には「叡知界」(知を愛する)と「感性界」(ドクサ)があります。

しかし「歴史信仰」(叡知界)を倒錯する「美徳ポジショニング」(感性界)とは「ドクサ」の主張となります。
何故なら根拠が全くないからです。
そういった根拠のない「美徳ポジショニング」(感性界)とは「コンフィデンスマン」の登場を招きます。
それは「循環論証」(詐欺師の言葉)により根拠を捏造することで形成される「虚偽理屈」と言えます。
そのような「循環論証」(詐欺師の言葉)は屁理屈の代表選手です。
屁理屈の代表選手は「情勢論」による「美徳ポジショニング」(感性界)なのです。
それが「コンフィデンスマン」です。

「愛されポジショニング(感性界)の覇者」とは「優位性ポジショニング(感性界)の覇者」です。
「優位性ポジショニング(感性界)の覇者」とは「昨日の敵は今日の友」とも言います。
しかしそれはいつ裏切るか分からない味方を意味し「信仰」(誠実と真実)を確保する「美徳」(叡知界)は絶対にあり得ません。
そこには「信仰」(誠実と真実)を確保する「美徳」(叡知界)が全く無いのです。

そういった「ポジショニング(感性界)の産物」とはエニグマ(愛されキラースマイル)を示しています。

「美徳」(叡知界)を倒錯する「美徳ポジショニング」(感性界)とは「コンフィデンスマン」を可能としていきます。
それは「情勢論」による「美徳ポジショニング」(感性界)です。

何故ならそれは「打算の産物」であり「誠実と真実」を倒錯していくからです。
そしてそこに「一方的産物」が発生して行きます。

「愛する」(ユーモア)に対して「愛される」(バフォメット)が一方的な「愛されポジショニング(感性界)の覇者」を形成します。
それは「愛する」(ユーモア)に対する一方的な「優位性ポジショニング(感性界)の覇者」となります。

何故そうなるかと言えば「哲学」(知を愛する)は「ドクサ」を嫌うからです。
そうなると「優位性ポジショニング(感性界)の覇者」は「愛される」(バフォメット)からしか為されません。
「ドクサ」は「愛する」(ユーモア)に対して一方的な「優位性ポジショニング(感性界)の覇者」を形成していきます。
ただ「一方的なポジショニング」(感性界)とは完全犯罪を意味しています。

完全犯罪は「犯罪者のイマーゴ」です。
しかし「犯罪者のイマーゴ」(完全犯罪)とは「神の似姿」ではなく「サタンの下僕」を意味しています。

そして「叡知界」(知を愛する)に於いて「ドクサ」の「優位性ポジショニング(感性界)の覇者」に価値は全くありません。
「叡知界」(知を愛する)とは「哲学」(知を愛する)であり完全な「美徳」(叡知界)だからです。
そうなると「叡知界」(知を愛する)に於いて「犯罪者のイマーゴ」(完全犯罪)は不可能となります。

ここに「犯罪者のイマーゴ」(完全犯罪)はイマーゴ(神の似姿)を持っていないことが完全に証明されました。

「叡知界」(知を愛する)から「堕落」して「ポジショニング」(感性界)となり、それを「犯罪者のイマーゴ」(完全犯罪)と云う

「犯罪者のイマーゴ」(完全犯罪)とは「堕落」を意味していると言えます。
イマーゴ(神の似姿)の「堕落」を示しているのです。
そこで「叡知界」(知を愛する)の抹殺が一方的なポジショニング(感性界)から為されていきます。
それは「叡知界」(知を愛する)を堕落させ「感性界」(ドクサ)へ引きずり込むことを示しています。
「犯罪者のイマーゴ」(完全犯罪)とはイマーゴ(神の似姿)を堕落させる「最悪の疫病神」なのです。
※「シャーロック・ホームズの冒険」を読むとシャーロック・ホームズはモリアーティ教授から刺客を送られ危機一髪となっていきます。

逆に「感性界」(ドクサ)に於いて「劣等性ポジショニング(感性界)の覇者」は「英雄ポジショニング(感性界)の覇者」と見做されます。
「感性界」(ドクサ)とは「愛される」(他者の感覚)であり「美徳ポジショニング」(感性界)が命となります。
「情勢論」による「美徳ポジショニング」(感性界)が「生命線」なのです。
「美徳ポジショニング」(感性界)とは「コンフィデンスマン」と同義です。

そういった「優位性ポジショニング(感性界)の覇者」(劣等性ポジショニング(感性界)の覇者)が「愛され末っ子ポジショニング(感性界)の覇者」と言う訳です。

「感性界」(ドクサ)へ堕落させる小説家・村上春樹に「叡知界」(知を愛する)はない

このような「倒錯」はナチズムと同じと言えます。
「倒錯文学者」でありノーベル文学賞候補者としてもたいへん有名な小説家・村上春樹はナチズムへの親和性を告白していました。
まさに村上春樹は露悪趣味に走ったと言えるでしょう。
村上春樹とは「美徳ポジショニング(感性界)の産物」であり「コンフィデンスマン」なのです。
「情勢論」による「美徳ポジショニング」(感性界)が村上春樹のモットーです。

「真の英雄」(叡知界)と「英雄ポジショニング」(感性界)は「似て非なり」と言えるのです。
村上春樹は「真の英雄」(叡知界)ではなく「英雄ポジショニング(感性界)の覇者」なのです。
「叡知界」(知を愛する)と「感性界」(ドクサ)の違いは「真」と「偽」の違いとなります。

「キングカズ」のポジショニング(感性界)

「立ち位置で決まるキャラクター」とは「愛されポジショニング(感性界)の覇者」が命となります。
いつまでもスター気取りの三浦知良(キングカズ)と同様です。
いつまでも続ける「愛され末っ子ポジショニング(感性界)の覇者」と同様なのです。
三浦知良は「劣等性ポジショニング(感性界)の覇者」と見做されます。

「良い歳をした叔母さんの醜態」

私の父親の「末妹」は「叔母」となった後でも「甥と姪」に対して「愛され末っ子ポジショニング(感性界)」をいつまでも競ってきました。
彼女は「愛され叔母さん」ではなく「愛されポジショニング(感性界)の叔母さん」でした。
彼女にとっては「愛されポジショニング(感性界)の覇者」が命となっています。
彼女は甘い容姿の上に甘え上手であり女を武器にしながら「愛され末っ子ポジショニング(感性界)の覇者」をキープしていくつわものの日本代表選手でした。
彼女の「エニグマ」(愛されキラースマイル)は名人の域に達していました。
しかしそれは「愛する」(ユーモア)ではなく「愛される」(バフォメット)であって自分本位の「軽薄短小」でしかありませんでした。
彼女は全く「誠実と真実」はなく完全な「軽薄短小」だったのです。
ただ私には「良い歳をした叔母さんの醜態」にしか見えなかったのです。
彼女はギャグ漫画みたいに卑劣な人間でした。
そういう人をビッチというのでしょう。
ビッチとは「劣等性ポジショニング(感性界)の覇者」なのです。
そして「英雄ポジショニング(感性界)の覇者」です。
それらは「美徳ポジショニング(感性界)の産物」であり「コンフィデンスマン」なのです。
そういったビッチは「情勢論」による「美徳ポジショニング(感性界)の名人」なのです。
彼女は「敵対者」(サタン)とされます。
これはわかり易い例です。

サタン
Satan
ヘブライ語 Sātānに由来し「敵対する者」を表わす。旧約聖書では「敵」「仇」など人間について用いられた例も多いが,『ゼカリヤ書』(3・1~2),『ヨブ記』などユダヤ教後期の聖典では,超人間的存在とされている。しかし,旧約聖書では,これもヤハウェによる試練として人間に課されるものであり,新約聖書にみられる超自然的「⇨悪魔」としてのサタンの観念は,善悪二元論に立つペルシア宗教の影響である。新約聖書では,サタンは神の計画の成就を妨げ,キリストを試し,信仰者を誘惑するものとされるが,ここでも神と二元的に対立するものではなく,最後には神の支配下におかれ,滅ぼされる。イスラム教でもユダヤ教,キリスト教,ゾロアスター教などの影響を受け,悪をなすシャイタン(サタン)を教義のなかにもっている。これらは古来文学や絵画などで描かれ,ルキフェル,メフィストフェレスなどは有名である。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

「ライバル」と「フレンド」

「敵対者」(サタン)を「ライバル」と言うなら「愛する」(ユーモア)とは全く反対です。
「ライバル」は「フレンドポジショニング」(感性界)であり「敵対者」(サタン)です。
「フレンドポジショニング」(感性界)に叡知界(知を愛する)はあり得ません。

そして最高善の神のライバルは最高悪サタンと言えます。
しかし唯一神のライバルは存在しません。
何故ならば唯一神は絶対だからです。
最高善の神のライバルは存在しない故に最高悪サタンとは「神の言葉」(叡知界)への反逆者と見做されます。
それが堕天使ルシファーです。

ri・val [ráivəl]〓
―n.
1 (…を競い合う)競争相手⦅for ...⦆,(…における)対抗者,敵手⦅in ...⦆
▶日本語の「ライバル」に見られるよき友人という含みはない.⇨OPPONENT〓:〓
2 匹敵する人[もの],比肩し得る人もの:〓
3 ⦅廃⦆ 同僚,仕事仲間,相役:〓
―adj. 競争[対抗]している,張り合っている(competing):〓
―v.t. (―valed,ri・val・ing;⦅特に英⦆ ―valled,―val・ling)
1 (…で)…と競う,張り合う,競争する⦅in,for ...⦆ ⇨COMPETE〓:〓
2 …に(…の点で)好敵手となる,匹敵する⦅in ...⦆:〓
―v.i. (―valed,ri・val・ing;⦅特に英⦆ ―valled,―val・ling) (…と)競争する,張り合う⦅with ...⦆:〓
◊[演劇]The Rivals『恋敵』R.B.Sheridan 作の喜劇(1775),Malaprop 夫人が登場.
[1577.<ラテン語 rīvālis,もとは「他の人と共同で川を使う人」(rīvus「(小)川」より)]
ri・val・less
―adj.

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

ri・val /ráɪvəɫ, ―vɫ/
―n.
1 競争相手, 対抗者, ライバル〓
2 肩を並べる人, 匹敵する者; 好適手, 対等の人〓
3 (質的に)匹敵するもの, 肩を並べるもの.
4 ⦅廃⦆ 同僚, 相棒.
―adj. [限定的] 競争する, 対抗する〓
―vt. (ri・valed, ―valled; ―val・ing, ―val・ling)
1 …と競争する, 対抗する, 張り合う〓
2 …と比べられる, …に似ている〓
―vi. ⦅古⦆ 競争する, 張り合う, 争う 〔with〕.
〖⦅1577⦆ ▭ L rīvālis ⦅原義⦆ one who uses the same stream with another ՟ rīvus stream ՟ IE *rei― ‘to flow, RUN’: ⇨river¹, ―al¹〗
〓〓

『新英和大辞典 第6版』 研究社

ルキフェル
Lucifer
ギリシアのフォスフォロスのローマ名で,明けの明星。曙女神の息子とみなされ,通常,たいまつを手にした青年の姿で表わされ,キリスト教の伝承では,ルキフェルは,「黎明の子,明けの明星よ,あなたは天から落ちてしまった」という『イザヤ書』 14章 12の章句に基づいて,堕天使の頭サタンと同一視され,もっぱらその別名として用いられるようになった。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

「黎明期・黙示録」は「叡知界」(知を愛する)における建築
「信徳は精神的建物の土台を作り、望徳はそれを建て、愛徳は屋根をつける」

「黎明期・黙示録」はカトリック信仰となります。
何故なら汎ゆる物事は「神の言葉」(叡知界)からはじまっているからです。
それを「信徳」(星)と言います。

Columbia Broadcasting System

Confraternity of the Blessed Sacrament

アメリカのパイオニアとはコロンビアなのです。
そしてコロンビアとはCBSグループを指します。

CBS /ˌsiː biː ˈes/
abbr.
Columbia Broadcasting System (an American recording and broadcasting company that produces records, television programmes, etc.)

『Oxford Advanced Learner’s Dictionary, Eighth Edition』 Oxford University Press

CBS /síːbìːέs/
⦅略⦆ Columbia Broadcasting System, Inc. ⦅1974 年から正式名称 CBS Incorporated; 米国三大放送網の一つ; 他の二つは ABC, NBC⦆; Confraternity of the Blessed Sacrament.

『新英和大辞典 第6版』 研究社

シービーエス【CBS】
CBS, Inc.
アメリカの三大商業テレビ・ネットワークの一つ。 1927年,前年に発足した⇨NBCに次いで全国ラジオ・ネットワークとして設立。 41年 NBCとともに商業テレビ放送を開始し,第2次世界大戦後その規模を拡大,特に 50年代なかばから約 20年間にわたってプライムタイムの視聴率競争で NBC,⇨ABCを押えて首位を独占し,アメリカ最強のテレビ・ネットワークとしての地歩を固めた。テレビ,ラジオの全国ネットワークを所有運営するほか,レコード,出版,楽器,教育玩具の製造販売など,多彩な事業を展開。 95年大手総合電機メーカーの⇨ウェスチングハウス・エレクトリックに買収された。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

シービーエス【CBS】
CBS Corp.
アメリカの放送会社。総合電機メーカーの旧⇨ウェスチングハウス・エレクトリック社を継承する会社で,1997年 12月設立。 1886年の創立以来 GEとともにアメリカの電機産業を支えてきたウェスチングハウス・エレクトリックが,95年 11月にアメリカの三大テレビ・ネットワークの⇨CBS,Inc.,96年 12月にはラジオ局のインフィニティー・ブロードキャスティング,さらに 97年には2つのケーブルテレビ局を買収し,放送事業に進出するとともに,従来の機器製造部門をスピンオフして再出発したもの。 98年現在,CBSテレビ・ネットワークとして 18局,CBSラジオ・ネットワーク 70局を保有・運営している。 99年には映画,テレビ,ビデオ,出版を扱うメディア大手企業のバイアコムとの合併を発表している。年間売上高 53億 6300万ドル,総資産 167億 1500万ドル,従業員数8万 4399名(1997)。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

ウェスチングハウス・エレクトリック
Westinghouse Electric Corp.
アメリカの総合電機メーカー。メロン財閥直系の企業として 1886年に創立。早くから重電部門で多角化を進めてきたが,第2次世界大戦中から戦後にかけて軍需関係の比重が増加,1948年には GEにさきがけて原子力部門へ進出。 66年に経営を刷新するとともに有力企業の買収を重ねて一層の多角化を進めた。特に重電部門に圧倒的強みをもち,原子力発電では世界でも指導的立場にあった。海外活動も近年積極的に展開し,
海外8ヵ国に 18工場をもち,多国籍企業への脱皮をはかった。事業内容としては発電・送配電機器部門,産業用機器部門,軍・官公需部門のほかに現在はハイテク製品メーカーとして資本財,電子,環境,放送,金融など多くの分野に進出した。その後,子会社のウェスチングハウス・ブロードキャスティングによってラジオ局,テレビ局を運営していたが,95年アメリカの三大テレビ・ネットワークの⇨CBS,Inc.を,さらに 96年にはラジオ局のインフィニティー・ブロードキャスティングを買収し,テレビとラジオのネットワークを拡大した。以後,放送事業と工業製品部門を中心に事業展開していたが,97年,中核事業の一つである防衛電子機器部門をノースロップ・グラマン社に売却するとともに,従来の工業製品部門をスピンオフし,同年 12月にはメディア会社,⇨CBS Corp.として再出発した。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

サクラメント
Sacramentum; sacrament
秘跡の意。内的,霊的な恩恵 invisibilis gratiaのしるしで,かつこの恩恵を与える外面的儀式ないし形式 visibilis forma。秘跡的な思想はキリスト教固有のものではないが,サクラメントといわれるときは特にキリスト教の用語を意味する。サクラメントはイエス・キリストにより定められたものとされている。ローマ・カトリック教会では,これを洗礼 baptisma,堅信 confirmatio,聖餐 eucharistia,告解 poenitentia,病人の塗油 unctio,叙階 ordinatio,結婚 matrimoniumの7つに分ち,秘跡は成聖の恩恵を下し,またはすでに受けた恩恵を増し,またおのおのの秘跡は,その特別な目的に相当する助力の恩恵を下すとする。東方正教会もほぼ同じ教義に立つが,機密という語で呼ばれる。一方多くのプロテスタント教会では,サクラメントは洗礼と聖餐のみを意味し,神のみ言葉としての聖書が同等に尊重され,またサクラメントもそれぞれ異なった形で象徴的に解されている。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

sac・ra・ment [sǽkrəmənt]〓
―n.
1 〖キリスト教〗 サクラメント:心に与えられる恩寵(おんちょう)の目に見える有形のしるし;特に,恩寵を授け,それを形で表すためにイエス・キリストが定めたとされる儀式の一つ;プロテスタントでは「聖礼典」といい,洗礼(baptism)と聖餐(せいさん)(the Lord’s Supper)を指す;ローマカトリックでは「秘跡」といい,洗礼(baptism),堅信(confirmation),聖体(the Eucharist),婚姻(matrimony),告解・悔悛(かいしゅん)(penance),叙階(holy orders),終油(extreme unction)の七秘跡;ギリシア正教では「機密」(mysteries)といい,洗礼・聖洗(baptism),傅膏(ふこう)(chrismation),聖体(the Eucharist),婚配(matrimony),痛悔(confession,penance),神品(holy orders),聖傅(せいふ)(holy unction)の七機密.
2 ⦅通例 the sacrament⦆ ⦅しばしば S―⦆ 聖餐(式),聖体(祭儀),聖(体)機密(the Eucharist,the Lord’s Supper).
▶Holy [Blessed] Sacrament ともいう:〓
3 祝別[成聖]された祭品(elements);(ローマカトリックで)聖体(聖変化したパン);(ギリシア正教で)聖餅(せいへい),聖祭品;ミサ[聖体礼儀]用のパン.
4 神聖とされるもの;神秘.
5 印,象徴.
6 誓い,誓約,宣誓:〓
[中期英語<中世ラテン語 sacrāmentum「契約,宣誓」,後期ラテン語「秘義,典礼」,ラテン語 sacrāre「ささげる」より.⇀SACRED]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

サクラメント〖sacrament〗
キリストによって定められた神の恩恵にあずかる儀式。カトリック教会では秘跡といい、洗礼・堅信・聖体・ゆるし・病者の塗油・叙階・婚姻の七つ。プロテスタント諸教派では聖礼典(礼典)と称し、洗礼と聖餐(せいさん)式とをいう。

『大辞泉 第二版』 小学館

岩波書店「ヨハネによる福音書」より

はじめに、ことばがいた。
ことばは、神のもとにいた。
ことばは、神であった。
この方は、はじめに神のもとにいた。
すべてのことは彼を介して生じた。
彼をさしおいては、なに一つ生じなかった。
彼において生じたことは、命であり、
その光は人々の光であった。
その光は闇の中にあって輝いている。
闇はこの光を阻止できなかったのである。

岩波書店「ヨハネによる福音書」

カトリック神学の三対神徳とは信徳・望徳・愛徳を示し、神学者達は「信徳は精神的建物の土台を作り、望徳はそれを建て、愛徳は屋根をつける」と各役割を説明しています。
「歴史信仰」(叡知界)は「美徳」(叡知界)であるのです。

吉川弘文館「キリスト教美術図典」より

美 徳 E. Virtues. L. Virtus.
キリスト教での美徳、三対神徳Virtus theologicae (信徳Fides、望徳Spes、愛徳Caritas) と四枢要徳Virtus cardinales (賢明Prudentia、節制Temperantia、剛毅Fortitudo、正義Justitia)から構成されている。対神徳については,すでに聖パウロのコリントの信徒への手紙1(13:13)に言及されている。ほかに神学者たちは「信徳は精神的建物の土台を作り、望徳はそれを建て、愛徳は屋根をつける」 と各役割を説明する。
枢要徳は扉の蝶番からきているが、これについてアンブロシウスが、プラトンの『国家lをキリスト教思想に適合させ、さらにアウグスティヌス、トマス・アクイナスが体系化した。 トマスの「神学大全』では、 さらにこれら七美徳の付随的美徳を定義している。 また同時代のロラン・ ドレアンはその「王の大全」において、四枢要徳を「賢者の堅固な家の四つの塔」にたとえている。 さらにセネカ著とされる「徳について」は、15世紀に大いに流行した。 これら七美徳の位階について、 アンブロシウス(4世紀) とグレゴリウス(6世紀)は枢要徳の中で、「節制」をキリスト教徒の生活の「要」のひとつとみなした。アウグスティヌスはパウロを引用し「愛徳」を対神徳の中で最重要の美徳とみなし、これに反してトマス・アクイナスは、 「節制」は肉体的欲望を抑制する徳ゆえに、他の美徳より低く評価した。 しかし13世紀以降、 「節制」はとくに騎士道において再評価される。ついに15世紀のフランスの写本『アリストテレスの倫理学』 (ルーアン市立図書館、Ms. 927.fol. 17v.)では、 「節制」が他の美徳に君臨するかのように中央に位置するようになる。 このように美徳の位階や順序は時代によって異なる。

吉川弘文館「キリスト教美術図典」

「末法思想・終末論」は「スターポジショニング(感性界)の覇者」

しかし「黎明期・黙示録」の後に勃興する「末法思想・終末論」がカトリック信仰を弾圧していきます。
「黎明期・黙示録」の後に勃興する「末法思想・終末論」とは「黎明の子、暁の子、明けの明星」と呼ばれます。
それは「神の言葉」(叡知界)を倒錯する「堕天使ルシファーの統治」が為されることを示しています。
それは「星ポジショニング」(感性界)と言われます。
そういった「スターポジショニング(感性界)の覇者」とは「スーパースター」と言われます。
※現在の「スターポジショニング(感性界)の覇者」は大谷翔平が有名です。

岩波書店「イザヤ書」より

「どうしてお前は天から落ちたのか、明けの明星、暁の子よ」

「堕天使ルシファーの統治」から形成される「エニグマ」(愛されキラースマイル)を使った「コンフィデンスマン」とは自分自身を一切意識しない。
「コンフィデンスマン」は「叡知界」(知を愛する)を否定している。
「コンフィデンスマン」とは「ポジショニング(感性界)」だけの存在を目指します。

「コンフィデンスマン」とは「神棚ポジショニング(感性界)の覇者」であり人を非難する存在となります。
「コンフィデンスマン」とは自分自身を「神棚ポジショニング(感性界)の覇者」として絶えず「別格」に扱う。
そうやって「別格」とは人を非難する「敵対者」(サタン)となっていく。

そういった「敵対者」(サタン)を「正義感ポジショニング(感性界)の覇者」と言います。
「敵対者」(サタン)は自分自身を「神棚」に上げて人を非難する。
そういった「敵対者」(サタン)の攻撃は「正義感ポジショニング(感性界)の覇者」によってなされます。
絶えず「正義感ポジショニング(感性界)の覇者」となっていく行動は「神棚」に上がる「別格」のあり方と言え「カリスマ」の存在を示しています。
そういった「愛され末っ子ポジショニング(感性界)」は「別格」としてとても有名です。
しかしそれらに根拠はありません。

それは「100万人の妹的ポジショニング」(感性界)と言った感じでしょうか?

中学校時代の愚劣な同級生

私は中学校時代の卑劣な同級生からアベコベに「宗磨は悪魔だよ!」と言われ非難されたことがありました。
私はこの卑劣な同級生が弄する「正義感ポジショニング」(感性界)に対し嫌悪感を抱きつつ完全に沈黙してしまいました。
最も愚劣な相手に対して私は言葉を完全に失ってしまったのです。

その卑劣な同級生は自分自身を「別格」として扱った「敵対者」(サタン)でした。

Sa・tan [séitn]〓
―n.
1 (キリスト教で)サタン,悪魔(▶the devil の固有名詞);悪魔のような人間:Satan reproving sin 罪を責める悪魔(自分の弱点・欠点を棚に上げて人を非難する人のこと):〓
2 〖軍事〗 セイタン:旧ソ連の ICBM の NATO コード名.
[900年以前. 中期英語,古期英語<後期ラテン語<ギリシャ語 Satân,Satán<ヘブライ語 śātān 敵]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

あくま【悪魔】
ユダヤ教,キリスト教などで神にそむく悪や不義を擬人化したもの。ときにデビル devil,ときにサタン satanという。両者の区別は明確ではないが,サタンあるいはデビルは悪霊たちの長ともされる。サタンは旧約聖書ではヤハウェの「検察官」として現れ,必ずしも神に敵対するものではなかったが,後期ユダヤ教やキリスト教ではデビルと同じように考えられた。デビルは元来「中傷者」「誹謗者」をいい,人々を神から離反させ罪に陥れる者をいう。ユダヤ・キリスト教では悪魔は,天使の堕落したものであって,神と並ぶ究極の支配者ではない。このような人格化された悪の表象は,イスラムの⇨イブリース,ゾロアスター教の⇨アーリマン,バビロニアのウトウクスなど他の諸宗教にもみられる。古代ギリシアのダイモンも悪魔とされるが,これはソクラテスの場合にみられるように善神としても働いた。これら悪の表象である悪魔は,さまざまな図像に表現されている。仏教では⇨魔とも魔羅ともいわれる。魔はサンスクリット語 Māraの音写。仏に敵対する鬼神のようなもので,pāpīyas(一層邪悪なる)という語とともに用いられる。釈尊が悟りを得たときに軍勢をもって威嚇し,自身の娘3人を派遣して釈尊を誘惑したという。また,心理的な疑惑,煩悩,怠惰なども意味する。仏教の魔に関する思想は,パーリ語による仏典の相応部 Samyuttanikāyaのうち,魔相応 Mārasaṃyuttaにまとめられている。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

「オレオレ詐欺」

それでは「神棚」に上がり人を非難している「別格」とは具体的に誰なのでしょうか?

「コンフィデンスマン」はこの質問に「俺俺オレオレ」と答えます。
この意味は「コンフィデンスマン」の正体が「オレオレ詐欺」であることを如実に指し示しています。
「コンフィデンスマン」とは「エニグマ」(愛されキラースマイル)であり「特殊詐欺」であるのです。

ここでお解りのように「信仰」(誠実と真実)と「コンフィデンスマン」とは「信用問題」に関して「似て非なり」となっています。

それは「美徳」(叡知界)と「エニグマ」(特殊詐欺)の決定的違いです。

「信仰」は「誠実と真実」を持って「美徳」(叡知界)とします。
「コンフィデンスマン」とは「エニグマ」(愛されキラースマイル)を使った「特殊詐欺」なのです。

「医療」(叡知界)と「医療詐欺」(感性界)

その違いは「医者の説明責任」によく現れています。
「信仰」(誠実と真実)とは「医療」(叡知界)の「インフォームド・コンセント」を示しています。
一方で「コンフィデンスマン」とは「医療詐欺」(感性界)であるため「インフォームド・コンセント」は全くあり得ません。

インフォームド・コンセント
informed consent
直訳すると「知らされた上での同意」。医師が患者に治療法の種類や長所・短所などをすべて話した上で,患者の考えを反映させて医療の内容を決めていく方式。臓器移植等の危険を伴う措置に先立って,また脳死状態になったときに生命維持装置をはずすか否か,といったケースでは,このインフォームド・コンセントが必要とされる。米英が発祥とされる。日本の医療は,医師が患者に一方的に「与える」あるいは「施す」ものであり,医療内容に関して患者が意見を述べるなどということは考えられなかった。だが,医療というものは本来,医師と患者の共同作業で進められていく性格のものである。 1990年1月の日本医師会の生命倫理懇談会がまとめた「説明と同意」の報告書では,医師が日常診療の場で,(1)病名と病気の現状,(2)行なおうとする治療の方法,(3)その治療方法の危険度,(4)病気についての将来予測等を患者に説明し,同意を得るよう求めている。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

informed consent (in‐fōrmd′ kŏn‐sent′).
インフォームドコンセント(目的,方法,手段,有益性およびリスクについて説明を受けた後に,ある調査,ワクチン接種計画,治験,侵襲的医療などへの参加に対し,ある個人ないし患者の法的代理人(親など)によって行われる任意の同意.インフォームドコンセントの必須の条件は,本人が知識と理解の両者をもつこと,同意は強制や不当な圧力なしで自由に行われること,いつでも中止できる権利があることを患者に伝えてあることである.疫学的および生物医学的な研究に関連したその他のインフォームドコンセントの内容,およびそれを得る際に直面する条件についてはInternational Guidelines for Ethical Review of Epidemiologic Studies (Geneva: CIOMS/WHO 1991)およびInternational Ethical Guidelines for Biomedical Research Involving Human Subjects (Geneva: CIOMS/WHO 1993)に示されている).

『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

インフォームド・コンセント
[英] informed consent
[同義語] 【説明と同意】
〓医療における患者の自己決定を実現し,その利益を保護するための過程。基本的には,医師が患者の病状,予想される予後,適応のある診断方法,治療方針,成功率,不確実性,診療行為に伴う副作用や合併症などを患者に説明し,患者がそれらを十分理解したうえで,自らの価値観や希望に沿った決定を下す過程である。また医師は,医療が最善と考える診療方針を推薦する他に,代替案の掲示も行わなくてはならないとされる。さらに患者が決定を下す際に,外部からの強制や不当な介入がないことが条件となる。インフォームド・コンセント取得が治療方針決定に際して例外的に必要ないとされる状況として,患者が緊急な医学的処置を必要とする場合,患者に十分な判断能力がなく自己決定を下せない場合,患者が自己決定や詳細な説明を希望しない場合,さらに患者に対する説明が非常に高い確率で患者に害を与えると予想される場合がある。

〓精神科臨床においては,①統合失調症などの病名を告知しないで治療が行われていることが多いこと,②患者が自覚する疾患あるいは病状と周囲の人が感じるそれとの間に相違があること,③患者の同意能力に欠陥がある場合があること,④治療法の中に患者の社会的権利の制限を伴うようなものがあることなどのために,インフォームド・コンセントに関わる問題は,他の身体疾患の場合と比較して複雑な課題を多く含んでいる。
(271001)(511028)

『医学書院 医学大辞典』 医学書院

「医療」(叡知界)とは「インフォームド・コンセント」を意味し、「医療詐欺」(感性界)とは「コンフィデンスマン」によってなされます。

「医者の美徳商売」(叡知界)とは「インフォームドコンセント」を指し示しています。
「医者」は「インフォームド・コンセント」によって「誠実と真実」を「患者」に示すことができるのです。
それが「医者の美徳」(叡知界)であって「医者の信仰」(誠実と真実)なのです。

「偶像崇拝と呪術崇拝」により形成された「定型的なカンバセーション」(コピーライティング)とは「エニグマ」(愛されキラースマイル)を指し示しています。
「コンフィデンスマン」とは「信仰弾圧」によって成立した「エニグマ」(愛されキラースマイル)なのです。
そういった「コンフィデンスマン」とは「患者」を「エニグマ」(愛されキラースマイル)で騙し抜く「医療詐欺」(感性界)となっているのです。
そこに「誠実と真実」はあり得ません。
「コンフィデンスマン」とは「誠実と真実」を確保する「美徳」(叡知界)への倒錯を「エニグマ」(愛されキラースマイル)を使用して行う暴挙なのです。

「三国志演義」の関羽雲長

「信仰」(誠実と真実)を確保する「美徳商売」(叡知界)は「三国志演義」の関羽雲長がとても有名です。
「誠実と真実」を確保する関羽雲長とは中華民国に於いて「商売の神」とされているのです。
関羽雲長は「信仰」(誠実と真実)を確保する「美徳商売」(叡知界)を示していると言えます。

「信仰」(誠実と真実)を確保する「美徳商売」(叡知界)とは「信仰生活」と言えます。
「名医」とはこのような「信仰生活」を指し示している。
「信仰生活」とは「誠実と真実」を確保する「キリスト」への「信仰」(誠実と真実)と言えるでしょう。

筆者紹介

今日、2024年4月27日(土曜日)に鎌ケ谷市にある「信仰の場所」を尋ねてみました。
私は1990年に千葉県立船橋旭高等学校(現・船橋啓明高等学校)を卒業した後に鎌ケ谷市初富にある秋元病院の近くに転居してきました。
それから30年以上鎌ケ谷市に在住しています。
一時期、大学通学のために八王子市にある多摩御陵近くの学生アパートに住んでいました。
ただ住民票は鎌ケ谷市のままで八王子市に移しませんでした。
住民票の登録上は1990年以来、鎌ケ谷市民となっています。

最後に一言。

私は千葉ロッテマリーンズへ名将・広岡達朗がGMとしてやってきた時、本当に嬉しかったし感動もしました。
広岡達朗は千葉ロッテマリーンズの初代GMであったのです。
日本のプロ野球球団GM制度のパイオニアは広岡達朗でありました。

広岡達朗は指導監督において「先ず基本が大切だ!」と常々語っていたとされている。
そして常勝球団ではなく弱小球団を敢えて指導監督し常勝集団へ育て上げていった。
そこが盟友・森祇晶との違いと言える。

しかし広岡達朗GMは自ら招聘した闘将・バレンタイン監督と指導方針を巡って確執を持つことになる。
広岡達朗GMが現場の指導監督をすることにボビー・バレンタイン監督は激しく反発したからです。
そして広岡達朗GMは2位となって優勝を逃したバレンタイン監督を解任しました。
翌年就任した江尻亮監督は5位となり同じく優勝を逃しました。
その結果を受け広岡達朗GMは潔くGMを解任され千葉ロッテマリーンズを去っていった。
一方でその数年後にバレンタイン監督は千葉ロッテマリーンズ監督へ復帰し日本シリーズも勝利することになった。
それは千葉ロッテマリーンズ球団のみならず千葉県民にとってもたいへん華々しい出来事であったと思う。
しかし広岡達朗GMのいない千葉ロッテマリーンズの活躍はたいへん不幸な出来事であったし、それは世界市民にとってもたいへん不幸な出来事であったと私は思っている。
何故なら広岡達朗GMが示していたものはカトリック神学の三対神徳であったからです。

カトリック神学の三対神徳とは信徳・望徳・愛徳を示し、神学者達は「信徳は精神的建物の土台を作り、望徳はそれを建て、愛徳は屋根をつける」と各役割を説明しています。
「歴史信仰」(叡知界)は「美徳」(叡知界)であるのです。

カトリック神学の三対神徳による勝利こそ「神の恵み」(ガラシャ)であったと言えるのです。
そして広岡達朗GMが目指した千葉ロッテマリーンズとは「信徳は精神的建物の土台を作り、望徳はそれを建て、愛徳は屋根をつける」からの球団建設でありイマーゴ(神の似姿)でした。

imago Dei 〔L.〕
神の似姿〔カトリック教会〕
〈91学術・キリスト教〉

『人文社会37万語対訳大辞典』 日外アソシエーツ

千葉ロッテマリーンズがイマーゴ(神の似姿)を断念したことは「種蒔きの譬」を想起させます。

岩波書店「ルカによる福音書」より

種蒔きの譽
さて、多くの群衆が集まって来、〔人々が〕町という町から彼のもとへやって来たので、彼は譬を通じて語った。「種蒔く人が彼の種を蒔きに出て行った。そして彼が種を蒔いているうちに、ある種は道端に落ち、踏みつけられてしまった。そして空の烏たちがそれを食べてしまった。他のある種は、岩の上に落ちこぼれた。そして生え出はしたが、水分がないために枯れ果ててしまった。また他のある種は茨の只中に落ちた。すると茨が一緒に生え出て、その〔種の〕息の根を止めてしまった。またほかのある種は善い地に落ちた。すると、〔その種は〕生え出て、 百倍の実を結んだ」。これらのことを語りながら、彼は叫び続けた、「聞く耳ある者は聞け」。

譬で語る意義
そこで彼の弟子たちは、この譬が何であるか彼にたずねた。すると彼は言った、「あなたたちには神の王国の奥義を知ることが〔すでに〕許されている。しかし、ほかの者たちには〔さまざまの〕譬で〔語られる〕、それは〔次のように〕なるためだ、
彼らは見ることは見るが、認めない。
また、聞くことは聞くが、悟らない。

種蒔きの譬の解釈
〔先ほどの〕あの譬は、〔次のような次第〕だ。種とは、神の御言葉なのだ。『道端に』〔蒔かれる〕者たちとは、〔御言葉を〕聞く人たちではありが、その後で悪魔がやって来て、彼らの心から御言葉を奪ってしまう。そのため、彼らは信じて救われるということがなくなってしまうのだ。また、『岩の上に』〔蒔かれる〕者たちとは、聞く時は喜んで御言葉を受け取る人たちであるが、こうした者たちは根がなく、信じてもその場限りで、試みの時には棄教してしまうのだ。『茨の中に』落ちる者たちとは、〔御言葉を〕聞く人たちではあるが、彼らは進み行く時に〔さまざまな〕思い煩いや富や人生の〔いろいろな〕快楽によって窒息させられてしまい、熟した実を結ぶまでにいたらないのだ。また、『善い地の上に』〔蒔かれた〕者たちとはこういう者たちのことだ。つまり美しい、善い心で御言葉を聞き、〔それを〕保ち、不屈さの中で実を結ぶ者たちだ」。

岩波書店「ルカによる福音書」

広岡達朗の指導監督は「先ず基本が大切だ!」でありました。
それは「信徳は精神的建物の土台を作り」を指し示している。
このように広岡達朗はカトリック神学の三対神徳により最強チームを育てていったのです。

名将・広岡達朗監督と盟友・森祇晶監督との違いはここにありました。
広岡達朗にはイマーゴ(神の似姿)があったのです。
※アニメ「電脳コイル」参照

名将・広岡達朗監督は東京ヤクルトスワローズと埼玉西武ライオンズに於いてチームを日本シリーズの勝利へ導いた。
私も一度だけ名将・広岡達朗監督が指揮した日本シリーズを名古屋球場で拝見したことがありました。
※闘将・近藤貞雄監督が率いる中日ドラゴンズと名将・広岡達朗が率いる埼玉西武ライオンズの日本シリーズ第一戦(小松辰雄 ✕ 東尾修)です。

名古屋時代の記念品

これを「神の恵み」(ガラシャ)と言わず何と言いますか?

私は名将・広岡達朗監督のファンです。
広岡達朗は「自然林」への「信仰」(誠実と真実)であり「神の言葉」(叡知界)と言えます。

大谷翔平選手の小話

アメリカメジャーリーグにおける日本一の野球選手は「大谷翔平」だと言われています。
最近、大谷翔平選手はトトロポーズを頻繁に披露するようになりました。

「となりのトトロ」とは「広岡達朗」と同様に「自然林」への「信仰」(誠実と真実)であり「神の言葉」(叡知界)を示しています。

それは三対神徳の「信徳は精神的建物の土台を作り、望徳はそれを建て、愛徳は屋根をつける」のあり方なのです。

しかし肝心要の大谷翔平選手のトトロポーズはプロパガンダ・キャンペーン(政治的宣伝コンテンツ)によったアジテーションであり「人工林」を示しているように見えます。
「人工林」とは「植林」(明治維新政府)とも言います。
そして「植林」(明治維新政府)は「美徳ポジショニング」(感性界)を示しています。

昭和天皇はカトリックだった

昭和天皇はカトリックだから明治維新政府派からのイジメも強烈だった。
植樹祭はイジメそのものだった。
昭和天皇の死に様も良くなかった。
下血という奇妙な症状が大々的に報道(宣伝)された。
かわいそうだったな!
こういった信仰弾圧が「皇室(愛する)」には付き纏っている。
かわいそうな「皇室(愛する)」の信仰者たちでした。
昭和天皇は「カトリックエレクト」の資質があった。
「皇室(愛する)」とは殉教者(確信性の確保)を根拠として形成された筈だった。
だから「皇室(愛する)」とは「自然林」への「信仰」(誠実と真実)であり「神の言葉」(叡知界)を示しています。
「皇室(愛する)」が皆殺しにされないことをただひたすら祈るばかりです。

では平成天皇と令和天皇はどうだろうか?

彼らも深刻なイジメの被害者であるかもしれない。
美智子さまは「失語症」になられた。
これは「いじめの政治学」(中井久夫)である。

「錨」と「魚(イクトゥス)」

an・chor [ǽŋkər]〓
―n.
1 錨(いかり):〓

3 (心の)支え,よりどころ,力になってくれるもの,頼みの綱:〓
4 〖テレビ・ラジオ〗 (ニュース・スポーツ番組の)総合司会者,アンカーマン,ニュースキャスター;放送討論などの司会者.
▶英国では presenter に当たるが anchor も用いられつつある. 男性にも女性にも用いる.2人以上のとき co―anchors.
5 ⦅俗⦆ 〖テレビ〗 (視聴者を釘(くぎ)付けにする)人気番組.

12 〖紋章〗 錨の図形:希望(hope)の象徴.

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

日本テレビの『日曜日だョ!ドリフターズ!!』の意味とは?

A:安息日(日曜日)を示しています。(これはこのページのウィキペディアの筆者がユーモアで記したのでしょう。)

魔女と魔術師 D.Hexe und Zauberer.  E.Witch and Magician.
人間社会に害を与える超自然的能力を備えた人たち。魔女は普通、いずれもひげのある老醜女とされている。その起源は恐らくオリエントの異教に発し、北欧諸民族の民話と混渚し、とくに十字軍以後、東方との接触が密になってアラビア人やユダヤ人の魔術信仰も加わり、ついにはキリスト教内部にまで浸透するに至った。14世紀以来、魔女裁判が盛んになったが、16世紀の宗教改革期は異端者をもこれに巻き込み、「女呪術師などは生かしておけない」(出22:17)「あなたの間に 呪術師などがいてはいけない」(申18:10以下)などの聖句をもとに恐るべき拷問や残酷な処刑が18世紀まで続けられた。一般に彼らは悪魔と契約して、血で署名した羊皮紙に心身を悪魔に委ねる旨明記する。その見返りに金銭を得、肉体に悪魔の印刻が残る。彼らは(1)天候を左右する。(2)農作物の収穫に影響する。(3)自他ともに動物(狼、猫、ひきがえるなど)に変身させる。(4)預言する。(5)空中や海上を箒や笊を使って自由に飛行、航行する。(6)邪魔者は呪い殺す。(7)無生物 に生命を吹き込む等々の超能力の持ち主。彼らは安息日の夜集会し、猥褻な儀式を行なって、牡牛や牡羊の形の偶像を礼拝する。彼らは、 不感症のため針や釘で身体を突いたり刺されたりしても痛痒を感じないし、感情がないので泣いたりわめいたりしない。初期キリスト教美術には、あたかも魔法使いのように杖か棒で奇跡を行うモーセやキリ ストをカタコンベの壁画、石棺浮彫に見るが、これらの図像は中世には見られない。 しかし, 15世紀後半から宗教改革の盛期には魔女、魔女裁判の図像がことに北欧版画に多くなり、ショーンガウア、デューラー、クラナハ等巨匠の作品にも見られる。

吉川弘文館「キリスト教美術図典」

ちゅうとう【中東】<古代の>
Middle East, ancient
東方 Orient(ラテン語の日の出 oriensに由来)の領域は普通イタリア半島より東方をさし,中東とはそのうちバルカン半島および小アジア,そしてときにシリア,パレスチナなどのレバント地方をも含んだ地域をさすが,現在では西アジアを中東または中近東と称している。またそこにはアフリカ北東部のエジプトなどを含むこともある。バルカン半島では前 2000年頃からその南端のヘラスの地にギリシア世界が成立し,イリュリア人,トラキア人,ダキア人がそれぞれ西・東・北部を占めていたが,アドリア海,エーゲ海,黒海の沿岸地域はギリシアの植民都市が支配した。その状態はアレクサンドロス3世(大王)の東征まで続いた。一方小アジアでは前 18世紀,ハリュス川沿いのハットゥシャシュ(現ボガズキョイ)を首都として⇨ヒッタイト王国が成立して小アジアの中央部を平定し,さらにシリアや北メソポタミアに進出した。しかし前 1200年頃からエーゲ海から進出したと思われる「⇨海の民」の大移動とトラキア人の攻撃を受けてヒッタイトは滅び,代ってフリュギア王国が成立した。前7世紀はキンメリア人が東方から侵入し,フリュギア王国を滅ぼした。またサルディスを都としたリュディア王国は前 546年キュロス2世の率いる⇨アケメネス朝ペルシアによって滅ぼされ,小アジアは4つの総督領とされた。シリア地方では前3千~2千年紀ビブロス,ウガリトなどの港で都市国家が繁栄し,前8世紀の初め頃まで独立を保った。この時期のパレスチナではヘブライ人がカナンに定着し,ダビデ,ソロモンの統一国家が形成され,エルサレムが都となった。その後,⇨アッシリア帝国が再興し,シリアとパレスチナのイスラエル(北)王国が征服された。南のユダ王国だけが残ったが,アッシリアのあとに⇨新バビロニアが興って,ユダ王国も滅んだ。その後ペルシアがシリアとユダを支配したが,前 334~331年のアレクサンドロス3世(大王)の東征によって全近東がヘレニズム世界に組込まれた。その後,7世紀にアラブに征服されるまで,いくつかの王国が形成された。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

o・ri・ent [ɔːriənt,―riènt|―riənt,ɔr―]〓
―n.
1 ⦅the O―⦆
(1)アジア諸国,(特に)東アジア[極東]の国々.
(2)(もと地中海東部・南東部の諸国を指して)東邦,東方諸国,東洋(の国々).
(3)東半球(Eastern Hemisphere)(↔the Occident).
2 〖宝石〗
(1)東洋真珠:光沢のある上等の真珠.
(2)真珠光沢.
3 ⦅通例 the orient⦆ ⦅詩語⦆ 東(the east);東方地域,東洋;東天,東の空.
4 ⦅古⦆ 夜明け(dawn),日の出(sunrise).
―[ɔːriènt|ɔːr―,ɔr―] v.t.
1 〈考えなどを〉(環境・情況・事実に即して)調整する,適応[順応]させる⦅to,toward ...⦆:〓
2 〈人を〉(新しい環境に)慣れさせる,なじませる⦅to,toward ...⦆:〓
3 〈建物などを〉(一定の方位・場所に)合わせて配置する[建てる]:〓
4 〈物を〉(ある対象物に)向ける[向けて置く]⦅toward ...⦆.
5 …の位置を確定する,方位を見定める.
6 〈建物などを〉東へ向ける,東向きにする,〈特に教会を〉主祭壇が東に,正面入り口が西に位置するように建てる;〈死者を〉足が東に向くよう埋葬する.
7 〖測量〗
(1)定位[定置]する:地図や平板の北を実際の方位の北に合わせる.
(2)標定する:測量器の水平目盛盤の読みが正しい方位を示すように置く.
(3)(写真測量で)標定する.
8 〖数学〗 方向づける:曲面に対しその上の各点で一定の外向きの方向を指定する.
9 〖化学〗 〈分子を〉配向する:特定方向に優先的に配列する.
―[ɔːriènt|ɔːr―,ɔr―] v.i.
1 東に向く;(特定の方向へ)向く.
2 (環境に)順応する.
―[ɔːriənt,―ènt|ənt] adj.
1 ⦅文語⦆ 〈宝石・真珠が〉真珠光沢の,光沢がある,光り輝く.
▶古くは宝石,真珠が東洋からもたらされたことから.
2 ⦅詩語⦆ 東方の,東の;東洋の.
3 ⦅古⦆ (特に地平線から)昇る,現れる:〓
[c1375.中期英語(名詞)<中期フランス語<ラテン語 oriēns 東,日の出(orīrī「昇る」の現在分詞の名詞用法)]
o・ri・ent・er
―n.

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

い‐きょう【異教】‐ケウ
ある特定の宗教を奉ずる者の立場からみた他の宗教。特に、キリスト教の立場から、キリスト教以外の宗教。「―徒」

『大辞泉 第二版』 小学館

異教[いきょう]
邪教[じゃきょう] / 邪宗[じゃしゅう] / 邪法[じゃほう] / 外道[げどう]
【共通する意味】
正しくない宗教。誤った教え。
【英】heathenism
【使い方の例】
〖異教〗異教の民 / 異教徒
〖邪教〗邪教は信じるな / 淫詞[いんし]邪教
〖邪宗〗私はそんな邪宗は信じない
〖邪法〗邪法を打ち破る
〖外道〗寺では、そういう外道の話は慎んでいただきたい
【それぞれの意味と使い分け】
(1)五語とも、中立的立場からではなく、ある宗教の側から他の宗教をさして悪くいうときの語。
(2)「異教」は、自分たちの信じるものと異なる教えや宗教。特に、キリスト教でキリスト教以外の宗教をさすことが多い。
(3)「邪教」は、誤った教義を持ち、世に害毒を流すとされる宗教。
(4)「邪宗」は、不正、有害な宗旨または宗教。
(5)「邪法」は、正しくない教え。また、正しくないやり方もいう。
(6)「外道」は、真理に背く説。または、それを唱える人。仏教者が仏教以外の教え、また、それを信奉する人をいう。

『使い方の分かる類語例解辞典』 小学館

hea・then・ism [híːðənìzm]
―n.
1 異教[邪教]の信仰.
2 偶像崇拝(idolatry).
3 無宗教,無信仰.
4 野蛮な風習,野蛮,蛮風.

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

にっしょうき【日章旗】
日本の国旗である日の丸の旗。嘉永6(1853)年の M.ペリー来航後,対外関係のうえから国旗の制定が不可避となり,薩摩藩主⇨島津斉彬の考案に基づいて日の丸が採用された。明治3(1870)年1月明治新政府は郵船及商船規則(太政官布告 57号)で商船の掲げるべき国旗として,さらに同年 10月の太政官布告 651号では軍艦用の国旗として日章旗の規格などについて定めた。しかし,これは日章旗を国旗と定める明文の法規定を伴ったものではなく,既成事実としてその後も使用されてきたものであった。そのため 1999年8月に「国旗・国歌法」を制定し,正式に日章旗を国旗と規定した。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

オクシデント〖Occident〗
《もとラテン語で、太陽が落ちる所の意》西欧。西洋。⬌オリエント。

『大辞泉 第二版』 小学館

Oc・ci・dent [áksədənt|ɔk―]〓
―n.
1 ⦅the Occident⦆ ⦅文語⦆
(1)(ヨーロッパと米国を含めて)欧米,西洋(the West).
(2)=Western Hemisphere.
2 ⦅the o―⦆ ⦅文語⦆ 西方(the west);西部地方.
[c1375.中期英語<中期フランス語<ラテン語 occidēns〔occidere「落ちる,(太陽が)沈む」の現在分詞〕=oc― OC―+cid―(cadere「落ちる」の連結形)+―ēns ―ENT;cf. ORIENT]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

ロゴス〖(ギリシャ)logos〗
〓ギリシャ語で、言葉・理性の意。
〓古代ギリシャ哲学・スコラ学で、世界万物を支配する理法・宇宙理性。
〓言葉を通じて表される理性的活動。言語・思想・教説など。
〓キリスト教で、神の言葉の人格化としての神の子イエス=キリスト。

『大辞泉 第二版』 小学館

ロゴス
logos
理性,言語,理法(法則),比例,定義などさまざまに訳されるギリシア語で,古代哲学,神学における重要な概念。ヘラクレイトスはロゴスを万物の生成を支配する永遠の理法とし,ストア派は世界を合目的的に支配する原理として神と同一視した。なおストア派は個物を形成する能動的理性を種子的ロゴス(ロゴス・スペルマチコス),分たれて個々の人間に内在する思想 ratioとしてのロゴスをロゴス・エンディアテトス,言葉として表出された oratioとしてのロゴスをロゴス・プロフォリコスと呼んだ。コダヤ神学とギリシア哲学の融合を試みたアレクサンドリアのフィロンは,ロゴスを神と同一視せず,神と世界とを仲介し世界形成に関与する神的存在とした。これは『ヨハネによる福音書』における神のひとり子イエス・キリストとして受肉したロゴスと近似しており,直接の依存関係はないがキリスト教神学に与えた影響は大きい。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

lo・gos [lóuɡɑs,―ɡous,láɡɑs|lɔɡᴐs]〓
―n.
1 ⦅しばしば L―⦆ 〖哲学〗 (古代ギリシア哲学で)ロゴス,理法:宇宙を支配し展開させる一定の調和・統一のある理性的法則.
2 ⦅L―⦆ 〖神学〗 (イエス・キリストにおいて人となって語った)神の言(ことば),ロゴス;(三位一体の第二位である)聖子,キリスト. cf.〖聖書〗 John 1:1-14.
[1587.<ギリシャ語 lógos 言葉,言うこと,談話,論説,考え,割合,比,計算(légein「選ぶ,集める,話す」と同根);cf. LECTION]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

「ザ・ドリフターズ」のリーダーとして、日本テレビの『日曜日だョ!ドリフターズ!!』や、フジテレビの『ドリフ大爆笑』で一世を風靡。1980年代後半からは主に俳優として活躍。「お笑い」のイメージとは一線を画した演技を見せた。

ウィキペディア(2024年5月31日現在)

8時だョ!全員集合』(はちじだよぜんいんしゅうごう)は、1969年10月4日から1971年3月27日、および同年10月2日から1985年9月28日までの2期にわたってTBS系列で毎週土曜日の20:00 - 20:54 (JST、1972年9月までは20:56、1982年9月までは20:55)に放送されていた日本お笑い番組・公開バラエティ番組である。全803回。

本項では、番組が終了した後のつなぎ番組である『ドリフフェスティバル・全員集合ベスト100』についても記述する。

ウィキペディア

自然林は「神の言葉」(叡知界)を示しています。
人工林は「ドクサ」(感性界)を示しています。

この意味は「錨」を「神の言葉」(叡知界)へ下ろすことで「船」が最も安定することを示しています。
しかし「錨」を「ドクサ」(感性界)へ下ろしていたら「船」は最も不安定となるでしょう。

何処に「錨」を下ろしているのかが「船」にとって最重要であるのです。

「錨」と「魚(イクトゥス)」の組み合わせは「世界の安定」を示している。
何故ならば「魚(イクトゥス)」は「神の言葉」(叡知界)を信仰する「キリスト教」を示しているからです。
「キリスト教」は「自然林」への「信仰」(誠実と真実)と言えます。

神奈川県中郡相川村(現在の厚木市)で生まれる[1][2]慶應義塾で事務などの仕事をしながら、勉学に励んだ[2]1914年大正3年)に毎日新聞社に入社し、営業、販売で活躍し、1942年昭和17年)から専務を務めるが[3]、戦後、公職追放となり辞任した[4]

1951年(昭和26年)にラジオ東京(後の東京放送、現在のTBSホールディングス)の設立と同時に足立正社長の下で専務を務め、1960年(昭和35年)5月から足立の後を継ぐ形で社長となる[1][3]。社長在任時には、赤坂でのTBS本館の建設及びテレビ局増設、財政基盤の強化により、TBSを「民放の雄」と呼ばれる地位に導いた[5]1965年(昭和40年)11月からは相談役を務めた[1]

ほかに、毎日新聞社最高顧問や日本モーターボート協会会長なども歴任した[1]

1969年(昭和44年)10月23日、心不全のために東京都内の自宅で死去[6]。84歳没。

ウィキペディア

1925年大正14年)に京都帝国大学経済学部卒業[1]大阪商船(現在の商船三井)での勤務を経て、1952年昭和27年)にラジオ東京(現在のTBSホールディングス)に入社した[1]

1965年(昭和40年)からは東京放送社長を務め、テレビドラマと報道番組の強化により、「報道とドラマのTBS」として一時代を築いた[1][2]1969年(昭和44年)11月28日から会長、1976年(昭和51年)からは相談役を歴任した[1]

その一方で、1968年(昭和43年)から1974年(昭和49年)までは日本民間放送連盟会長を務めた[3]

またゴルフ好きでも有名であり、埼玉県吉川市TBS越谷ゴルフ倶楽部(現在のKOSHIGAYA GOLF CLUB)を造成し、TBS主催によるゴルフ競技大会「TBS女子オープンゴルフ大会」(現在の日本女子オープン)の開催に漕ぎ着けた[4]

1979年(昭和54年)5月25日、胃潰瘍のために東京都順天堂病院で死去[5]。78歳没。

ウィキペディア

そういった「ロゴスの右側へのポジショニング」(感性界)は「ハーケンクロイツ」であってタブーとされます。
ナチズムとはアンチキリストだからです。
しかしアメリカメジャーリーグに於いてアンチキリストは最大のタブーです。

ただこういった大谷翔平選手のプロパガンダ・キャンペーン(政治的宣伝コンテンツ)は大谷翔平本人が主導して考案していないだろうと想像されます。
誰かが糸を引いているのでしょう。
「偶像崇拝と呪術崇拝」により形成された「定型的なカンバセーション」(コピーライティング)とは「エニグマ」(愛されキラースマイル)を指し示しています。
私の第一感としてヨーゼフ・ゲッペルス宣伝部隊の暗躍が存在しているようです。
その具体的な正体は公共放送NHKであるかもしれないし他のメディア関係の専門部隊かもしれません。
ただ私は業界通ではないので具体的にみなさんに指し示すことはできません。
これが私の限界です。

聖宮崎駿「となりのトトロ」より

渾身の力をこめてひきぬくように
ドンドコ

ヌヌヌと

後半 力かけてグイッとひきぬいたかんじ
トット

ポン!!というかんじで双葉が芽ばえる
ドンドコ
トット


一瞬、光りが散る。

ワァッとなる二人。
(前屈のうごきで)

二人  ワアッ!

それから「万才!!」のように伸び上る

スタジオジブリ絵コンテ全集3「となりのトトロ」

種蒔きの譽
さて、多くの群衆が集まって来、〔人々が〕町という町から彼のもとへやって来たので、彼は譬を通じて語った。「種蒔く人が彼の種を蒔きに出て行った。そして彼が種を蒔いているうちに、ある種は道端に落ち、踏みつけられてしまった。そして空の烏たちがそれを食べてしまった。他のある種は、岩の上に落ちこぼれた。そして生え出はしたが、水分がないために枯れ果ててしまった。また他のある種は茨の只中に落ちた。すると茨が一緒に生え出て、その〔種の〕息の根を止めてしまった。またほかのある種は善い地に落ちた。すると、〔その種は〕生え出て、 百倍の実を結んだ」。これらのことを語りながら、彼は叫び続けた、「聞く耳ある者は聞け」。

譬で語る意義
そこで彼の弟子たちは、この譬が何であるか彼にたずねた。すると彼は言った、「あなたたちには神の王国の奥義を知ることが〔すでに〕許されている。しかし、ほかの者たちには〔さまざまの〕譬で〔語られる〕、それは〔次のように〕なるためだ、
彼らは見ることは見るが、認めない。
また、聞くことは聞くが、悟らない。

種蒔きの譬の解釈
〔先ほどの〕あの譬は、〔次のような次第〕だ。種とは、神の御言葉なのだ。『道端に』〔蒔かれる〕者たちとは、〔御言葉を〕聞く人たちではありが、その後で悪魔がやって来て、彼らの心から御言葉を奪ってしまう。そのため、彼らは信じて救われるということがなくなってしまうのだ。また、『岩の上に』〔蒔かれる〕者たちとは、聞く時は喜んで御言葉を受け取る人たちであるが、こうした者たちは根がなく、信じてもその場限りで、試みの時には棄教してしまうのだ。『茨の中に』落ちる者たちとは、〔御言葉を〕聞く人たちではあるが、彼らは進み行く時に〔さまざまな〕思い煩いや富や人生の〔いろいろな〕快楽によって窒息させられてしまい、熟した実を結ぶまでにいたらないのだ。また、『善い地の上に』〔蒔かれた〕者たちとはこういう者たちのことだ。つまり美しい、善い心で御言葉を聞き、〔それを〕保ち、不屈さの中で実を結ぶ者たちだ」。

岩波書店「ルカによる福音書」

聖宮崎駿「となりのトトロ」より

オープニングよりつづく

五月の美しい青空
麦畑の中の道を引越し荷物を満載したオート三輪がのどかに通りすぎていく

オート三輪
但、一ヶ所穴をこえたかんじでゴトンをつける。

麦畑をいくFollow
ありとあらゆる日常家具◯
キチンとかくこと
単調なブレに、大きなユレをまぜる

荷台の中、机の下でサツキとメイが今しもキャラメルを分配している。

メイにわたし
また二つ程出して

ヒザをおろして身をのり出す

スタジオジブリ絵コンテ全集3「となりのトトロ」

スタジオジブリ[編集]
徳間書店社長の徳間康快を社長に据え、原はスタジオの責任者として常務取締役に就任した。ジブリ時代の原はかねてからプロデューサーとして堅実な経営を目指し、ジブリの大作主義をハイリスクとして懸念を示していたが、『おもひでぽろぽろ』制作の遅れでストレスの溜まった宮崎が立案したジブリの新スタジオ建立案を巡って、経営圧迫を理由に反対[3]。宮崎に賛同した徳間、鈴木敏夫らと袂を分かち、1991年6月にスタジオジブリを退社した。

ウィキペディア

このウィキペディアの記事は「原徹」と「高畑勲(※鈴木敏夫)」が袂を分ったことを黙示している。
原徹に賛同したのは宮崎駿、徳間康快だったのだろう。
「高畑勲(※鈴木敏夫)」とは「ハーケンクロイツの親衛隊」だったのです。
日本に於いて「明治維新政府」とは「植林」を示し「ハーケンクロイツの親衛隊」でした。

サツキとメイ(ペンテコステ)

さ‐つき【五‒月・皐⁼月・▿早月】
〓陰暦5月のこと。《季 夏》「庭土に―の蠅の親しさよ/竜之介」
〓ツツジ科の常緑低木。関東以西の河岸の岩上などに自生。初夏、枝先に紅紫色の花をつける。観賞用で、数多くの園芸品種がある。さつきつつじ。《季 夏》「―咲く庭や岩根の黴(かび)ながら/太祇」

『大辞泉 第二版』 小学館

May¹ [méi]〓
―n.
1 5月.
2 ⦅詩語⦆ 盛り,青春(prime):〓
3 五月祭(May Day)のいろいろな催し.
4 ⦅the Mays⦆ ⦅英⦆
(1)(Cambridge 大学の)五月試験.
(2)(同大学の各学寮間の)五月ボートレース(May races)(▶現在は5月下旬または6月初旬に行われる).
5 ⦅m―⦆ ⦅英⦆ =hawthorn.
6 女子の名.
7 米国の百貨店 May Department Stores Co.
―v.i. ⦅しばしば m―⦆ 五月祭を祝う;メーデーに参加する;春の花を摘む.
[中期英語,古期英語 Maius<ラテン語,Maius mēnsis「女神 Maia の月」の短縮形;Maia は Faunus の娘で,Vulcan の妻,春の女神]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

ごじゅんせつ【五旬節】
(1)Pentēcostē; Pentecost ギリシア語で 50を意味するペンテコステの訳。モーセによるユダヤ民族のエジプト脱出を記念する「⇨過越祭」から 50日目に行われるユダヤ教の祝日。イエスの復活が過越祭と合致し,聖霊の降臨がそれから 50日目のユダヤ人の祝日に合致したと信じられるところから,聖霊降臨の祝日を五旬節と呼ぶキリスト教の教会もある。(2)quinquagesima カトリック教会の典礼暦で復活祭に先立つ 40日を四旬節と称し,その第1日目である水曜日を灰の水曜日というが,これに先立つ日曜日を五旬節の日曜日という。四旬節の苦業と断食の期間直前の日曜日として,これに続く月,火曜日とともに歓楽に興じる俗習が生じた。(→カーニバル)

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

ユダヤ教の三大祭

ペンテコステ〖(ギリシャ)pentēkostē〗
《50日目の意》
〓ユダヤ教の三大祭の一。過ぎ越しの祭から7週過ぎた50日目にあたり、穀物の収穫と神から律法を授けられたことを感謝する祭り。五旬節。
→仮庵の祭
→過ぎ越しの祭
〓キリスト教では、聖霊降臨日。《季 夏》

『大辞泉 第二版』 小学館

かりいお‐の‐まつり【仮庵の祭】かりいほ‐
ユダヤ教の三大祭りの一。祖先がエジプト脱出後、荒野をさまよった生活を記念して、野外に仮小屋を設けて起居し、秋のぶどうや他の果実の収穫を神に感謝する祭り。ユダヤ暦の正月15日から1週間。スッコート。
→過ぎ越しの祭
→ペンテコステ〓

『大辞泉 第二版』 小学館

すぎこし‐の‐まつり【過ぎ越しの祭】
ユダヤ教の三大祭の一。小羊の血を戸口の柱に塗ったイスラエル人の家を神ヤーウェが通り過ぎて、エジプト人にのみ難を与えたというエジプト脱出の故事を記念する春の祭り。過ぎ越しの祝。
→仮庵の祭
→ペンテコステ〓

『大辞泉 第二版』 小学館

教会の三大祝日

せいれい‐こうりんび【聖霊降臨日】‐カウリンび
キリストの復活後50日目、昇天日の10日後の日曜日。聖霊が使徒たちの上に降臨したのを記念する日。降誕日(クリスマス)・復活日(イースター)とともに教会の三大祝日。ペンテコステ。

『大辞泉 第二版』 小学館

イースター〖Easter〗
キリストの復活を記念するキリスト教の祝日。春分後の最初の満月の次の日曜日に行われる。イースターサンデー。復活祭。《季 春》

『大辞泉 第二版』 小学館

クリスマス〖Christmas;Xmas〗
イエス=キリストの誕生を祝う祭り。12月25日に行われる。多くの民族の間にみられた、太陽の再生を祝う冬至の祭りと融合したものといわれる。聖誕祭。降誕祭。《季 冬》「ほんものの樅(もみ)は嵐や―/正雄」
◈「Xマス」とも書く。

『大辞泉 第二版』 小学館
筆者自宅(秋元病院が見える)
庭のモクレン
「モクレン」の花言葉は、「自然への愛」「崇高」「忍耐」「威厳」「持続」
「紫木蓮」の花言葉は、「高潔な心」

柳田国男全集「祭から祭礼へ/日本の祭」より


第三の問題は更に根本的のものである。即ち祭礼が亦一つの祭だとするならば、さうしてマツリが古くからの忘るべからざる日本語であるとするならば、その大小各種の祭にも、必ず共通した大切な意味が無ければならぬのだが、それは何れの点に求むくきものであらうか。我邦の祭が時代の文化の影響を受けてへ世とともに徐々と様式を改め、しかも各御社毎に、それぞれ単独に発達して、外に現れた祭殊に祭礼の形が互ひにちがって居るといふことは、一段とこの根本的な共通点を見遁がすべからざるものにする。さうして又幸ひにして此状態が、それを見つけ出すのに都合がよいのである。仮に仏教の信仰行事のやうに、一宗一派で制定し教育し、全国御揃ひにきまって居るものだったら、よほど確かな記録でも無い限り、その一つ以前の形に復原することは難かったらうが、祭の様式は社毎に古例があって、それが変遷の各段階を存し、又思ひ思ひの改定が加へられて居る。我々は今まで馴れて怪しまうともしなか
ったが、同じ地方の祭又は祭礼といふものにも、こんなにもちがふかと思ふほどの変化が見られる。是を一つの信仰の現はれとして、少しも不審を抱かなかったのも、国民の持って生れた確信の一例で、外から観た者ならば疑ふ方が当り前である。さういふ状態のままではいつまでも置けぬだらう。

それでこの三つの問題の中では、当然に第三のものに最も多くの力を入れなければならぬことになるのだが、其手段としては、やはり第二の問題を通って行く方が便利である。諸君の故郷の氏神様には、年に五十度七十度といふほど、数多い祭があることを報告せられて居る御社もあるに拘らず、通例マツリの概念として胸に浮かぶのは、小さな頃に目を見張った「祭礼」の光景ばかりで、たまたま田舎をあるいて、是でもマツリだろうかと思うような静かな質素な小社な祭を見ると、あれは信徒に力が乏しくて、万ず簡略を旨とし、ただ形ばかりを行うて居るのだろうという想像も起こりがちだが、それは今一つ他の一面に、「祭礼」の方が後に色々の趣向を凝らし、新たな催し物などを附け添えて、斯ういふ花々しいものにしたのだろうといふ見方も成立つので、実際は其方が多く当って居るのである。

実例によって話をする方がわかりがよいであらう。祭礼といふと大抵の人が聯想するのは提灯のさまざまで、たとへぱ飛騨の高山などの祭礼には、町毎に御揃ひの長い提灯を軒につるし、その模様がいかにも落着いて居て、是をこそ御祭気分と感じない者は無いのだが、少し考へて見ると蝋燭はいつから日本にあるか、紙はいつから自由に供給せられ、是を割竹のひごを細く僥めたものに貼り付けて伸縮を自在にし、桐油を是に塗って雨に霜れても、破れぬ様にするまでの技術は、いつの頃から普及したか。この二つのものが合体しなければ提灯は無く、又それ以前から我邦には祭はあった。現に今でも祭の夜に限って篝を焚き松明の火を用ゐ、さういふ特徴を以て祭の名とするものも地方にはあるのである。

柳田国男全集「祭から祭礼へ/日本の祭」

鎌ケ谷市指定文化財第29号 粟野庚申講あわのこうしんこう  無形民俗文化財
鎌ケ谷市指定文化財第30号 粟野庚申塔郡あわのこうしんとうぐん 有形民俗文化財

指定年月日 平成25年5月1日 
所在地   鎌ケ谷市粟野208

粟野は、祭礼やオコモリなど昔から続く民俗学的行事が多く残っていて、地位の結びつきの強い地区です。その中でも、庚申講は、形を変えながらも江戸時代から現在まで継承されています。そして、庚申講により、江戸時代前期の元禄12年(1815)から現在までの間(1845年と1850年をのぞく)は、5年おきに1基という規則性を守って建てられています。このことは、全国的にみても珍しい事例です。

粟野の庚申塔は、現在、八坂神社境内に44基と粟野保育園の北西角の路傍に1基、合計45基建っています。その内文化12年以前に建てられた塔は、当時の流行を反映していて、一か所で様々な形態を観察できる資料としても非常に貴重です。

〈庚申講・庚申塔とは?〉
庚申信仰は、平安時代に中国から入ってきた道教の「三尸説(さんしせつ)」をもとに、日本の様々な信仰や風習が重なって広まっていった信仰です。60日に1度めぐってくる「庚申(十干・十二支の組合せ)の日」に、人の体内にいる三尸(さんし)の虫が、その人が寝ている間に天に昇って、その人の悪事を天帝に告げることにより寿命が縮められるとされ、世を徹して飲食をしながら過ごす信仰が行われていました。江戸時代になって広く庶民に受け入れられ、各地で「庚申講」という集まりが作られ、盛んに行われました。夜通しの信仰を繰り返すと三尸の虫がいなくなるとされ、その大願成就を記念して造られたのが庚申塔です。

現在の粟野では、夜通し行う講は行われていませんが、講による庚申塔の造塔が継承されています。

平成25年7月 鎌ケ谷市教育委員会

八坂神社

鎌ケ谷市郷土資料館に張り出されていた鎌ケ谷市文化財マップ(拡大図)

鎌ケ谷市文化財マップ(全体図)

八坂大神とあります。

八坂神社の鳥居

庚申塔は八坂神社の左側に並んでいました。
「自然林」と思われる大木が印象的でした。
「信仰」(誠実と真実)に於いて「自然林」と「人工林」は全く違います。
何故なら「自然林」とは天の私の父が植えた植物を意味し「神の言葉」(叡知界)を示しているからです。
「神の言葉」(叡知界)は「誠実と真実」を示し「自然林」を信仰することを意味しています。

岩波書店「マタイによる福音書」より

天の私の父が植えられたのではない植物はすべて、根こそぎにされるであろう。

穢れに関する論争(マタイ 一五 1-20)

そのあと、〔幾人かの〕ファリサイ人たちと律法学者たちとが、エルサレムからイエスのところにやって来て言う、「なぜお前の弟子たちは父祖たちの言い伝えを破るのか。彼らは、パンを食べるときに〔自分たちの〕手を洗わないではないか」。すると彼は答えて彼らに言った、「お前たちこそ、なぜお前たちの言い伝えで神の掟を破るのか。というのは、神は父と母を敬えと言い、父や母を呪うものは必ず死ぬべしと言われたにもかかわらず、お前たちは〔次のようなことを〕言っている、『父や母に対し、「あなたが差し上げるはずだったものは、供え物〔となります〕と言う者は、その父を敬う〔必要が〕ないであろう』、と。こうしてお前たちは、お前たちの言い伝えで神の言葉を台無しにしてしまった。偽善者どもよ、お前たちについて、イザヤはみごとにも預言して〔次のように〕言った、

この民は唇で私を敬うが、
その心は私からはるかに隔たっている。
彼らは私をいたずらに敬うが〔に過ぎない〕、
人間たちの〔さまざまな〕戒めを〔しょうこりもなく〕教えとして教えながら」。

そして群衆を呼び寄せ、彼らに言った、「聞け、そして悟れ。口の中に入って来るものは、人間を穢さない。むしろその口から出ていくもの、それこそが、その人間を穢すのだ」。
そのあと、弟子たちがやって来て彼に言う、「ファリサイ人たちが〔今の〕御言葉を聞いて躓いたのをご存じですか」。すると彼は答えて言った、「天の私の父が植えられたのではない植物はすべて、根こそぎにされるであろう。彼らをそのままにしておくがよい。彼らは[盲人〔を導く〕]盲目の道案内どもだ。しかし、もし盲人が盲人の道案内をするなら、両者とも溝に落ち込んでしまうであろう」。

するとぺトロが答えて彼に言った、「[この]譬を私たちに解釈してください」。すると彼は言った、「あなたたちも、悟りがないままなのか。すべて外から口の中に入って来るものは、腹の中に入って行き、便所へと出されてしまうことがわからないのか。しかし、口から出てくる〔もろもろの〕ものは、心の中から出て来る。それこそがその人間を穢すのだ。なぜならば、心の中からこそ、悪しき想い、殺人、姦淫、淫行、盗み、偽証、瀆言が出て来る。これらのものが、その人間を穢すものである。しかし、洗わない手で食べることがその人間を穢すことはない。

岩波書店「マタイによる福音書」

粟野庚申塔郡へのアクセスは船取線から東武アーバンパークラインの方へ道を曲がり踏切を渡ってすぐでした。

粟野庚申塔郡あわのこうしんとうぐん

新旧庚申塔郡

庚申塔郡個別解説

出羽三山講

でわさんざん【出羽三山】
山形県中央部にある⇨月山(1984m),⇨湯殿山(1500m),⇨羽黒山(414m)の3山をいう。中世以来3山とも山岳信仰の対象で山伏の修験道場である。月山は山頂に月山神社をまつり,手向(とうげ)には宿坊が多い。弥陀ヶ原を中心に⇨クロユリ,⇨ミヤマウスユキソウなど 130種ほどの高山植物が咲き乱れる。火山で頂上付近には大雪原がある。ここの夏山スキーは有名。湯殿山は月山の南西山腹の一部で,農業の神として湯殿山神社をまつるが,姥ヶ岳(1670m)中腹から湧出する温泉を神体とし社殿はない。羽黒山は月山表参道の北に連なる丘陵で,山頂には出羽(羽黒)神社,三山の合祭殿があり,出羽三山関係の資料を陳列した歴史博物館もある。山内の五重塔は国宝,黄金堂は重要文化財,参道のスギ並木は特別天然記念物に指定されている。出羽三山は磐梯朝日国立公園に属する。

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出羽三山に登拝する集団のことを出羽三山講や三山講(さんやまこう)と言う[6]。八日講と称する講もあり、湯殿山の開山日が8日であるため[10]とも、湯殿山のお歳夜(神様の年越し)が12月8日であるため[11]ともいわれる。なお、秋田県内にも八日講があるが、これは八日大神とも呼ばれる唐松様信仰の講である[12]

新潟県内では上方とは逆に向かうため「おしも講」と呼ばれ、岩手県内では最上講といい鳥海山にも登拝する。千葉県内では奥州講とも呼ばれる[13]。講中による登拝の記念に三山を築き、供養塔を造立した[4]
講は特定の宿坊との師檀関係にあり、宿坊は檀那場や霞と呼ばれる担当地域が定められていた[14]。明治になると赤心報国教会(翌年に敬愛教社と改称)が檀那場の権利を保障するようになるが、のちに神社が檀那場の権利を授与するように改められた[15]

千葉県では天道念仏と出羽三山信仰の習合がみられ、白衣を着た出羽三山講の行者が鉦と太鼓を鳴らしながら念仏を唱え、梵天(大型の御幣)を立てたヤグラの回りを踊る[16]。終了後に梵天を三山塚に納めることもある[17]。梵天は湯殿山信仰の象徴であり、神の依り代、行人の身代りとしての意味を持つ[18]

ウィキペディア

庚申信仰

庚申信仰
こうしんしんこう
庚申の日に徹夜して眠らず,身を慎めば長生できるという信仰。
[中国]  庚申の信仰は,晋の損洪(かつこう)の《抱朴子》に,人間の体内には三尸(さんし)がおり,庚申の日に天に昇って,寿命をつかさどる神に人間の過失を報告し早死させようとすると記すことに由来する。くだって梁の陶弘景の編纂した《真誥(しんこう)》には,庚申の日に,夫妻は同席せず,終夜,尸鬼の警備にあたるべきことが説かれ,北周の《無上秘要》には,この日,昼夜,清斎して神を思えば三尸は天に昇って人の罪状を告げることができないと述べている。したがって庚申信仰の原形は南北朝時代には確立されていたとみられる。ついで晩唐の許渾の詩には〈守庚申〉の集まりのことが見え,段成式の《酉陽雑俎(ゆうようざつそ)》には,7度,庚申を守れば三尸が滅するとされ,宋の《雲蓉七籤(うんきゆうしちせん)》にも,同様のことをのべる。また宋代の善書《太上感応篇》には,《抱朴子》の記述が踏襲され,その影響もあって,以後,広く〈守庚申〉のことが行われた。                       
砂山 稔

[日本]  日本では,庚申信仰は中国の道教で説く三尸説を中心に,仏教,神道,修験道,呪術的な医学,日本の民間のさまざまな信仰や習俗が習合して独自な展開をした。日本に庚申信仰が伝わったのは,おそらく8世紀の後半で,朝鮮半島経由ではなかったかと思われる。これは円仁《入唐求法巡礼行記(につとうぐほうじゆんれいこうき)》承和5年(838)11月26日の条に,その晩に中国の人はみな寝なかったのは,日本の正月庚申の夜と同じと記されているためである。10世紀になると,天皇を中心とする庚申待が,宮中で恒例として行われたが,そのやり方は,中国の仏教で行った守庚申会と同様に,参集の王縁や侍臣たちに酒饌を賜り,碁,詩歌管絃その他の遊びをしながらの徹夜であった。形式こそ道教の説く三尸説とちがうが,目的と精神とは三尸説と同様,長生きであった。したがって,碁などの遊びは眠けざましの方便であった。藤原頼長や源俊房だけは,老子の画像をかけて《道徳経》を講読したり,ある宗教儀礼を行っているが,その他の公縁や武将たちは15世紀前半ごろまでは,従来同様のやり方で庚申の晩に徹夜をしていた。
ところが,15世紀の後半には,《老子守庚申求長生経》に基づいて,僧侶によって《庚申縁起》がつくられ,これが庚申信仰のよりどころとなる経典とされて,仏教的な信仰が発生した。こうして,庚申講が組織されることになったが,17世紀初頭までは,まだ一般庶民のあいだには普及しなかった。けれども,15世紀の後半以後庚申塔の前身である庚申板碑が造立されはじめ,庚申の夜の徹夜も庚申待とよばれるようになった。16世紀末には,宮中においてさえ〈庚申の本尊〉をかけるようになったから,仏教的庚申信仰がしだいに力を得ていったことがわかる。仏教的庚申信仰が広く一般に普及したのは江戸時代だが,この時代は日本の庚申信仰史のうちで,もっとも多彩で,しかもさかんな時代だった。天皇,大名,武士,農民,町人すべての人々が庚申待を行い,庚申講も各地で多く組織され,それらの人々の手によって,庚申塔も多く造立されはじめた。庚申塔は,今日では60年に1度の庚申年に造立すると考える所もあるが,本来は3年間連続庚申講を行った18回目に,大きな供養をした記念に造立する供養塔だった。このような風潮に刺激されて,山崎闇斎が斯田彦大神(さるたひこのおおかみ)を本尊とする神道式庚申信仰を説きだす一方,修験道でもそれなりの庚申信仰を鼓吹したから,江戸時代には3通りの庚申信仰が行われていたことになる。青面金剛(しようめんこんごう)童子を庚申の本尊とする考えが定着したのも,四天王寺の庚申堂以下の庚申堂が各地に建立され,現在いわれている御利益やタブーが説かれだしたのも,江戸時代であった。明治の廃仏毀釈で衰えたが,第2次大戦までは各地でさかんに信仰されていた。   
窪 徳忠
 
庚申信仰が民間に広まりはじめたのは室町時代後期とされ,近世に入ると各地で庚申講が結成されてもっとも一般的な講集団となった。庚申講は村落の全戸または有志で組織され,庚申の日のたびに宿に集まって庚申の画像をかかげて真言や般若心経を唱えてまつったあと,共同飲食しながら夜を徹して談笑した。〈話は庚申の晩〉というように,この夜は昔話など村の諸伝承が伝えられるよい機会であった。また庚申講は葬式組や金融の互助組織を兼ねたり,庚申供養塔や塚を築いたりした。庚申信仰は早くから猿を神使とする日吉山王信仰と結びつき,のちには斯田彦に付会されて道祖神と習合したり,三猿が庚申塔に刻まれたりした。近世には山王に代わって青面金剛が庚申の本尊とされるようになり,さまざまな伝承が生まれたが,猿の信仰はそのまま残った。庚申は土地によって作神,福神,治病神など多くの現世利益的な機能を果たしている。庚申の夜は徹夜し謹慎して過ごすほかに,夫婦の同衾が禁ぜられていた。もしこれを犯せば不具や盗人の子どもが生まれるといい,またこの日生まれた子どもが盗人にならぬように金の字の名前をつける風習もあった。このほか,庚申の日には洗濯,裁縫,夜業,結髪,鉄漿(かね)つけも禁ぜられ,山や漁にも行かない所が多い。また庚申には精進料理を用い,供物は七色菓子のほか,だんごや果物などまるいものや赤飯,小豆粥など赤いものがよいとされる。歯固めや腹の掃除だといって,いり豆やこんにゃくを食べる所もある。ほかに,庚申信仰の習俗として,地震や火事があれば庚申待をやりなおすことや初庚申に左縄を家のはりに結びつけて火難や盗難よけとすること,また60年に1度の庚申年は富士の御縁年といって富士登山をすることなどもみられる。               
飯島 吉晴

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青面金剛

しょうめん‐こんごう【青面金剛】シヤウメンコンガウ
帝釈天(たいしゃくてん)の使者の金剛童子。身体は青色で、六臂(ろっぴ)または二臂、四臂、目は赤くて三眼で、怒りの形相をとる。病魔を退散させる威力があるとする。後世、道家の説が加わり、庚申(こうしん)待ちの本尊とする。せいめんこんごう。

『大辞泉 第二版』 小学館

しょうめん‐こんごう【青面金剛】 シヤウ‥ガウ
顔の色が青い金剛童子。大威力があって病魔・病鬼を払い除く。四臂または六臂で、赤い三眼の忿怒相をしている。民間で行われる庚申待(こうしんまち)に本尊として祀られる。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

三猿

さんえん【三猿】
「見ざる,言わざる,聞かざる」の意を表わした目,口,耳を押えた3匹の猿の像。⇨庚申塚の石塔に青面(しょうめん)金剛を彫り,その下に三猿を配することが多い。「耳は人の非を聞かず,目は人の非を見ず,口は人の過を言わず」という天台宗の止観の空,仮,中の教えに基づくものといわれ,京都の粟田口に最澄の作という三猿像がある。あるいは道教の説の,庚申待(こうしんまち)の夜に天にのぼるという三尸虫(さんしちゅう)に三猿をあてたともいわれる。日光東照宮の三猿などが著名。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

庚申(こうしん)は中国から伝えられた信仰で,この日の夜に身体にすむ三尸(さんし)虫が天に登って天帝にその人の悪事を告げるといわれ,それを防ぐために集まって語りあかす庚申講が中世以来盛んになった。この際に庚申の猿にちなんで青面金剛の神像下に3頭の猿(三猿(さんえん))を描き,これを俗に〈言わざる,見ざる,聞かざる〉と称し,このような行為をつつしむことで人生を安全幸福におくることができるとする教えが尊ばれた。庚申信仰はもと日吉神社の神使が猿であるとされたように,山の神の使わしめを猿と考える民間信仰を基礎とし,中国伝来の教義をもって形をととのえたために,貴賤をとわず全国的に信仰されるに至ったものではなかろうかと考えられている。3年ごとに庚申供養の儀礼を行い,庚申塔を建立する風習は江戸時代に盛行し,神道でも庚申を斯田彦大神(さるたひこのおおかみ)(猿田彦命)と説くようになったが,これも庚申と猿との関連を無視しえなかったためであろう。
猿は動作,姿が人に似るため昔話や伝説の主人公としても人気があり,猿神譚,猿聟入(さるむこいり),猿地蔵,猿蟹合戦などの口承伝承の主人公としても活躍している。        
千葉 徳爾

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さん‐えん【三猿】‐ヱン
三様の姿をした3匹の猿。それぞれ、両手で両眼・両耳・口を覆って、「見ざる・聞かざる・言わざる」の意味を表す。さんざる。

『大辞泉 第二版』 小学館

○見猿(みざる)聞(き)か猿(ざる)言(い)わ猿(ざる)
両手でそれぞれ、両目・両耳・口をふさいだ3匹の猿の像。余計なことは見ない、聞かない、言わない、ということを表す。

『大辞泉 第二版』 小学館

さん‐えん【三猿】 ‥ヱン
三様の姿勢をした猿の像。両眼、両耳、口をそれぞれ手でおおう。猿に「ざる」をかけて、「見ざる・聞かざる・言わざる」の意を寓したもの。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

「東照」(東の光)とは「はじめのことば」を示している。

序文 (1 1-18)
はじめに、ことばがいた。
ことばは、神のもとにいた。
ことばは、神であった。
この方は、はじめに神のもとにいた。
すべてのことは彼を介して生じた。
彼をさしおいては、なに一つ生じなかった。
彼において生じたことは、命であり、
その光は人々の光であった。
その光は闇の中にあって輝いている。
闇はこの光を阻止できなかったのである。

神のもとから遣わされて、一人の人が登場した。
その名はヨハネ。
この人は証しのため、あの光について証しするために来た。
すべての人が彼を介して信じるようになるために。
この人は光ではなく、あの光について証しするために〔の人であった〕。
〔彼の証ししようとした光が〕本物の光であった。
それは、この世の来て、すべての人を照らしている。

〔その光であることばは〕世にあり、世は彼を介してできたが、世は彼を知るにいたらなかった。
自分に属するもののところに来たが、彼に属する人々は彼を受け入れなかった。
だが、彼の名を信じる人々には、神の子供たちとなる権能を与えた。
彼らは血〔統〕からではなく、肉〔なる人〕の意志からでもなく、人の意志からでもなく、神から生れたのである。

ことばは肉〔なる人〕となって、われわれの間に幕屋を張った。
-われわれは彼の栄光を、父から〔遣わされた〕ひとり子としての栄光を観た-
〔彼は〕恵みと真理に満ちて〔いた〕。

ヨハネは彼について証しし、〔次のように〕言って叫んだのであった。
「私が『自分の後から来ようとしている人は私より優れたものとされている。私より先にいたから』
なぜなら彼の充満の中から、われわれは皆、恵みに代わる恵みまでも受けたからである。
律法はモーゼを介して与えられ、恵みと真理はイエス・キリストを介して来たからである。
神はいまだかつて誰も見たことがない。
父の胸中にいる、ひとり子なる神、この方こそが解きあかした。

岩波書店「ヨハネによる福音書」

とうしょう‐ぐう【東照宮】トウセウ‐
〓徳川家康を祭る神社。初めは東照社と称された。家康は初め久能山に葬られたが、日光に社殿が営まれ東照大権現として奉斎。正保2年(1645)宮号を授けられると、全国の社も東照宮と改称した。

『大辞泉 第二版』 小学館

「東照」(東の光)は「キリスト教カトリック信仰」を示している。
カトリックロゴス感覚を信仰することは言語学(理性)の成立だったのです。

撮影:関戸 勇
三猿(日光東照宮)

聖徳太子

「信仰」(誠実と真実)と聖徳太子は縁が深い。
少なくとも日本仏教信仰の黎明期・黄金時代とは聖徳太子であった。
その後に浄土教一向宗の末法思想が勃興し聖織田信長と死闘を繰り広げたことは耳目に新しいだろう。
それがメシアの由来である。
聖徳太子はキリスト信仰と言えるだろう。
そして聖織田信長を示しているのです。

しょうとくたいし【聖徳太子】
[生] 敏達3(574).大和
[没] 推古30(622).2.22. 大和
古代,推古朝の摂政。厩戸皇子,豊聡耳(とよとみみ)皇子といい,また上宮太子とも称する。用明天皇の皇子,母は穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后。叔母推古天皇の皇太子となり,摂政として内政,外交,仏教の興隆に力を尽した。皇太子摂政の慣習はここに始ったが,これは従来大臣,大連にゆだねられてきた国政総理の職掌を皇室に取戻そうとしたものである。推古 11(603)年⇨冠位十二階を,翌 12年『⇨十七条憲法』を定め,豪族勢力を押えて中央集権的官僚国家建設の準備を整えた。外交面では任那回復のための⇨新羅征討が重大問題で,また新羅問題を有利にし先進文化を輸入するため隋とも国交を開始し,同 15年に⇨小野妹子を派遣した。仏教を深く信仰し,これを弘通させることに努力し,⇨法隆寺,四天王寺などを建立し,仏典の注釈『三経義疏』を著わしたと伝えられる。墓は大阪府南河内郡太子町の磯長墓(しながのはか)。

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おののいもこ【小野妹子】
生没年未詳
古代(推古朝頃)の官人。隋では蘇因高と称した。天押帯日子命(あめおしたらしひこのみこと)の後裔と伝えられる。近江国滋賀郡小野の出といわれる。推古 15(607)年⇨聖徳太子に登用され,最初の⇨遣隋使として中国に渡った。地位は大礼。翌年隋使⇨裴世清(はいせいせい),下客 12人とともに帰国。朝廷は難波吉士雄成(なにわのきしのおなり)を筑紫につかわして裴世清を迎え,難波の津の新館に住わせた。妹子は,隋の煬帝(ようだい)から授かった国書を途中で百済人にかすめ取られた旨を報告。朝廷はその罪をとがめ,妹子を流刑に処そうとしたが,隋使来朝を考慮して特に許した。おそらくその国書は,日本を隋の朝貢国として扱うという内容であったためであろう。同 16年裴世清の帰国に際し,再び遣隋大使に任じられた。これには小使吉士雄成,通事鞍作福利(くらつくりのふくり)のほかに高向玄理(たかむこのくろまろ),南淵請安(みなぶちのしょうあん)ら学生,学問僧8人が随行した。妹子は翌年帰国。のち大徳冠となる。中国における隋統一帝国の成立に対応した,聖徳太子の新しい外交政策の実践者としてその使命を果し,その業績は遣唐使の派遣として後世に引継がれた。

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聖徳太子 ?‐622(推古30)
しょうとくたいし
6世紀末~7世紀前半の政治家,仏教文化推進者。用明天皇の皇子で母は穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后(欽明天皇皇女)。生年は《上宮聖徳法王帝説》に甲午年(574)とあるが確かでない。幼名を遠戸豊聡耳(うまやどのとよとみみ)皇子といい,のちに上宮聖王,聖徳王,法大王(のりのおおきみ),法主王などとも呼ばれた。聖徳太子の称は《懐風藻》の序文(751)が初見。初め上宮(うえのみや)に住み,後に斑鳩宮(いかるがのみや)(いまの法隆寺東院の地)に移ったというが,14,15歳のころ蘇我馬子の軍に加わって物部守屋を討ち,そのとき四天王に祈念して勝利を得たので,のちに難波に四天王寺を建立したという。《日本書紀》によれば,592年(崇峻5)11月に馬子が崇峻天皇を殺すと,翌月に推古女帝(敏達天皇皇后)が即位し,翌年(推古1)4月に太子を皇太子にして万機を摂政させたというが,この時期はまだ大兄(おおえ)の制が行われており,単一の皇位継承予定者である中国的な皇太子の制がすでに存在したかどうかは疑わしく,《日本書紀》以前に太子のことを太子と記した確かな史料もほとんどない。また太子の執政をもって積極的な皇権回復策とする見方もあるが,推古天皇の即位は崇峻天皇の暗殺という異常な事態の下で行われたことであり,女帝即位の初例であったためとみるのが妥当である。この時期は蘇我氏権力がまさにその絶頂にさしかかったときであり,推古朝の政治は基本的には蘇我氏の政治であって,女帝も太子も蘇我氏に対してきわめて協調的であったといってよい。したがって,この時期に多く見られる大陸の文物・制度の影響を強く受けた斬新な政策はみな太子の独自の見識から出たものであり,とくにその中の冠位十二階の制定,十七条憲法の作成,遣隋使の派遣,《天皇記》《国記》以下の史書の編纂などは,蘇我氏権力を否定し,律令制を指向する性格のものだったとする見方が一般化しているが,これらもすべて基本的には太子の協力の下に行われた蘇我氏の政治の一環とみるべきものである。
しかし太子は若くして高句麗僧慧慈(えじ)に仏典を,博士覚桶(かくか)に儒学等の典籍を学び,その資質と文化的素養は時流を抜くものがあったらしい。みずから十七条憲法の文章を作ってその第2条に〈篤く三宝を敬え〉と述べ,仏典を講説して法華・維摩・勝鬘3経のいわゆる《三経義疏(ぎしよ)》を著したと伝えられ,また四天王・法隆・中宮・橘・広隆・法起・妙安の7寺を興したと伝えられるなど,当時の仏教文化の興隆に大きな役割を果たしたことを物語る所伝が少なくない。ただしそのためか,太子は聖(ひじり)であったとか,中国南岳の慧思禅師の後身であるとか述べて,超人間的存在であったごとく説くことが,主として仏家の間に早くから生じた。太子の伝記は《書紀》に劣らず古いとされる《上宮記》《上宮聖徳法王帝説》などから始まって,数多く作られた。917年(延喜17)成立の《聖徳太子伝暦》に至って,太子の伝説化はほぼ完成されたといってよく,以後平安時代から鎌倉時代にかけて,太子信仰が広く普及していった。太子は敏達・推古両天皇の女の測道貝鮹(うじのかいだこ)皇女,膳加多夫古(かしわでのかたぶこ)の女の菩岐岐美郎女(ほききみのいらつめ),蘇我馬子の女の刀自古郎女(とじこのいらつめ),尾治(おわり)王の女の猪名部橘(いなべのたちばな)女王などを妃として,山背大兄(やましろのおおえ)王(刀自古郎女の所生)をはじめ数多くの子女を生んだが,622年2月22日に斑鳩宮で病死し,河内の磯長墓(しながのはか)(いま大阪府南河内郡太子町太子の叡福寺境内)に葬られた。              
関 晃

[聖徳太子の伝承]  《日本書紀》がすでにその事跡を神秘化している聖徳太子は,奈良時代には法隆寺や四天王寺でまつられていた。法隆寺では天平年間(729‐749)に行信によって上宮王院(東院)が創建され,太子をかたどった観音像(救世(ぐぜ)観音)が八角円堂(夢殿)に安置された。当時の太子伝承は《上宮聖徳法王帝説》に記され,太子が一時に8人の言をわきまえた聡敏な人であったこと,《維摩経》や《法華経》の疏を製作中,夢に金人が現れて解答を与えたことなどを記す。この説話は,《上宮皇太子菩醍伝》に夢堂の禅定,《上宮聖徳太子伝補闕記》に大殿の三昧定という形を経て,10世紀に成立した編年体の《聖徳太子伝暦》で夢殿にこもって金人より妙義を聴き,また夢殿入定中に唐へ渡り前生所持の法華経を持ち帰るという説話となる。このような説話の発展が示すように,太子は日本における仏教の伝来と流布を象徴する貴種であった。《伝暦》が百済の阿佐王子の敬礼文として〈救世大慈,観音菩醍,妙教流通,東方日国,四十九歳,伝灯演説,大慈大悲,敬礼菩醍〉を伝えるように,太子は救世観音,また如意輪観音の化身とされ,あるいは聖武天皇に再誕して大仏を造ったともいう。真言宗では,平安時代に弘法大師や聖宝に再誕したという説が生まれ,天台宗では,最澄がすでに太子を聖人としてたたえ,《伝暦》などにみえる《七代記》逸文によれば,太子の前生に天台宗の祖である南岳慧思禅師をあて,衡(こう)山で達磨大師とめぐり会いともに日本に転生して仏法を流布しようと誓ったという。すでに《書紀》にみえる,〈太子が片岡に遊行した際,飢者に遇って衣食を与え,哀れんで歌を詠む。飢者は死んで葬られ,太子が命じて墓を調べるとその屍は消えていた〉という説話は神仙譚的な性格をもち,以降《日本霊異記》《補闕記》などに記され,《伝暦》ではさきの説話と結びつき,慧思は太子,達磨は飢人であるとする。
一方,《法王帝説》には,太子が蘇我馬子とともに物部守屋と戦ったとき,四天王像を挙げて,守屋を滅ぼせば四天王の寺を造ろうと誓い勝利を得たという,四天王寺創建の縁起が含まれる。この太子と守屋の合戦譚は,《補闕記》《伝暦》《四天王寺御手印縁起》等,四天王寺の縁起を中心に,古代における仏教の勝利を代表するものとなり,やがて中世には寓意と霊験に満ちた合戦物語として太子伝唱導の中心となった。《善光寺縁起》にも,この説話は,物部氏が難波の堀江に攘(はら)い捨てた,天笠の月蓋長者の造ったという一光三尊阿弥陀如来像を,本田善光が信濃国まで運んでまつるという,本尊一光三尊阿弥陀如来の将来をめぐる記述のなかに含まれ,太子伝とも重なって絵解きされていた。四天王寺にはすでに奈良時代に聖霊院と絵堂が建立され,当時《障子伝》と呼ばれる絵解きのための伝記が作られたらしい。12世紀には《台記》に絵解きの消息が知られる。1069年(延久1)には法隆寺東院絵殿に障子絵伝が描かれ,1121年(保安2)には西院に聖霊院が造立されたのは四天王寺の影響があろう。
中世には,橘寺,広隆寺など周辺の太子にかかわる天台寺院,そして,太子創建と伝える京都の六角堂に参籠した親鸞が夢告を受け回心したと伝える(聖徳太子内因曼荼羅)ことを契機とする,親鸞の太子信仰を継承する高田専修寺派を中心とする浄土真宗寺院によって太子伝の絵解き唱導が広く行われ,大量の絵伝と物語化した太子伝記が生みだされた。その典型は,1320年(元応2)ころに四天王寺で製作された《正法輪蔵》で,それは中世に醸成された太子をめぐる豊かな秘事口伝を含む。たとえば太子の乗る黒(烏)駒は,《補闕記》に烏斑の駒に乗り富士や北国に遊行したことを記すが,《伝暦》以降,これを甲斐の黒駒として,最愛の妃膳(かしわで)大娘をめとる事跡とともに27歳の条に記される。《正法輪蔵》ではこれを輪王の七宝中の馬宝と女宝であると解釈し,黒駒に乗る太子は,諸国の霊山を巡行して熊野や伊勢などの神々の本地垂迹(ほんじすいじやく)の相を明らかにし問答して結縁する。それは,東北に多い黒駒太子像が示すように山岳宗教と結びついて生まれた伝承だろう。黒駒とともに太子に随行する舎人(とねり)の調子麿(丸)は,太子没後も墓を守ったというが,13世紀に法隆寺の顕真がその子孫と称して太子伝の秘事口伝《聖徳太子伝私記》を集成したように,太子伝承を担う存在として意識されていた。その秘事口伝は,《上宮菩醍秘伝》を作った叡尊門下の律僧集団にも伝えられ,また絵解きの展開と深く結びついている。
その過程で成立した代表的な説話が,膳妃に関するものである。太子行幸の際,三輪川の辺で老母を養うため芹を摘み礼をなさぬ少女を見とがめて問答し,かえってその孝心を賞して住居の陋屋を訪れ婚儀をなす。これは漢籍《蒙求》などの採桑妃説話などを換骨奪胎したものだが,同時に膳妃は勢至菩醍が月輪として降った化人であるという。それは,太子を観音,母后間人妃を阿弥陀とするのに応じ,やがて磯長(しなが)の太子妓(叡福寺)は,三骨一妓としてこの3人を葬り,弥陀三尊をかたどる浄土教の聖地となる。四天王寺も,太子が西門は極楽の東門である(御手印縁起)といい,また日想観も太子が始めたとして浄土教の中心となり,太子と浄土信仰は不可分の関係にある。
 《伝暦》には,太子が周囲の人々と自身の運命や過去の因果,また遷都や寺院建立について,さまざまな予言をすることが述べられる。それは中世に《聖徳太子未来記》という形で盛んに意識された一種の歴史的認識ともかかわり,太子が,神仏ならびに聖界と人間世界との媒介者であることを物語ると思われる。また《伝暦》以降の太子伝は,仏教とともに半島から諸技芸などの移入を太子に結びつけて記すが,中世を経て現代まで,寺院の周辺で活動していた大工や猿楽(能楽)などの諸芸能は太子を開祖とする縁起をもつ。金春禅竹の《明宿集》などはその好例であるが,それは,中世に諸職人や諸道の人々が王権と結びついて活動していたこととかかわるものだろう。⇒太子信仰                      
阿部 泰郎

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御神木

「自然林」の御神木と思われます。
先程も指摘しましたが「自然林」とは「神の言葉」(叡知界)への「信仰」(誠実と真実)です。
このようにマス・コミュニケーションにはメッセージ(誠実と真実)が存在することを指し示しています。

その反対に「人工林」は「アンチ信仰」を象徴しています。
神宮外苑の森林伐採問題とは「人工林」(植林)を暗に示しています。
それは「アンチ信仰」のアジテーションとしてあったのです。
「アンチ信仰」のアジテーションとは「信仰弾圧」を示しています。

八坂神社 本殿

八坂神社の神紋は「織田木瓜」(おだもっこう)に似ていました。

聖織田信長の家紋「織田木瓜」(おだもっこう)
八坂神社の神紋(拡大図)

阿吽

あうん【阿吽】
a-hūmˊ
サンスクリット語のアルファベットの最初の字音である「ア」と最後の字音である「フーム」をさす言葉。密教では,この2字が万有の始原と究極を象徴するとし,それぞれ万有の原理,それらの帰着する智徳を示すとする。また,前者を悟りを求める心(菩提心),後者をその結果としての涅槃(ねはん)にあてることもある。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

阿吽
阿吽(あうん、サンスクリット語: अहूँ、a-hūṃ)
〈阿〉字は口を開くと最初に出てくる音で,梵字アルファベットの最初の字。いっさいの字,いっさいの音声は a を本源とするから,a 字は諸法の本初を表す。また,〈吽〉字は口を閉じた最後の音で,諸法の終極を表す。したがって〈阿吽〉の2字をもっていっさいの存在者が生起する根源たる実相(諸法の存在論的根拠たる存在そのもの)と,智慧をもって迷いを破してその本源へ帰滅すべきであるという存在の真実を表現する。    
津田 真一

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「キリストのモノグラムとアルファ・オメガ」(浮彫)11世紀、トゥールーズ、オーギュスタン博物館。
キリストのモノグラム(XP)の中にアルファとオメガの文字があり、それを2人の天使が支えている。初期キリスト教の象徴の名残である。アルファとオメガは黙示録美術のなかで最も古い図像表現であり、すべての始まりと終りを意味する。この言葉は黙示録の中で3度使われる。

「キリストと四匹の生き物」パリ、ノートルダム大聖堂のティンパヌム(入口上部にある半円形の小壁)、1144-55年頃。
ライオン、雄牛、鷲、人間の4匹の生き物がキリストの周りを取り囲んでいる。4章8節では「各々が6つの翼を持っている」とされているが、この彫刻では翼は2つである。またこの構図はマエスタ・ドミニ(荘厳のキリスト)として知られている。

○アルファにしてオメガ
《新約聖書「ヨハネの黙示録」から》最初にして最後であること。全部。すべて。「アルファでありオメガである」とも。

『大辞泉 第二版』 小学館

岩波書店「ヨハネの黙示録」より

冒頭の挨拶
ヨハネからアシア州にある七つの教会に〔挨拶を送る〕。現在居まし、かつても居まし、これから来る方から、また、その方の玉座の前に〔侍って〕いる七つの霊から、恵みと平安とがあなたがたにあるように。さらに、イエス・キリストからも。イエス・キリストは、信頼に足る証人であり、死人たちの中から最初に〔命へと〕生まれた者、また地上のもろもろの王の支配者である。

私たちをいつも愛し、また自分の血でもって、私たちのもろもろの罪から、私たちを解放した者、そして彼の父である神に私たちが祭司として仕えるために、私たちを用いて王国を造り上げた者、この方に、栄光と権力とが[世々]永遠にありますように、アーメン。

見よ、その方が雲に乗って来る。
そしてあらゆる人の目が彼を見る、
彼を突き刺した者たちさえも。
地上のあらゆる部族は、彼のゆえに胸を打ち叩いて嘆く。

然り、アーメン。

全能者にして神なる主、現在居まし、かつても居まし、またこれから来るものが、こう言われる、「私はアルファであり、オメガである」

岩波書店「ヨハネの黙示録」

天のエルサレム
また私は新しい天と新しい地とを見た。最初の天と最初の地とは消え去って、もはや海もなかったからである。また、私は聖なる都、新しいエルサレムが、あたかも夫のために美しく着飾った花嫁のようにすっかり用意を整えられて、神のもとから〔送り出され〕、天から降って来るのを見た。また玉座から大きな声がして、こう言うのを聞いた、

「今や、神の幕屋が人の間に〔立てられ〕、神が人と共に住まわれる。人は神の民となり、神ご自身が人と共におられ[、彼らの神となられ]る。〔神は〕人の目から〔流れる〕涙を一滴残らず拭い去って下さる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。古い秩序の事柄は消え去った[からである]」。

すると、玉座に座っている者が言った、「見よ、私は万物を新しくする」。また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実だから」とも言う。また私に向かって言った、「ことは成就した。私はアルファでありオメガ[である]、すなわち、〔万物の〕初めでありその終り[である]。渇いている者には、私は命の水〔が湧く〕泉からただで飲ませよう。勝利する者はこれらのものを受け継ぐ。私は彼の神となり、彼は私の子となる。しかし、臆病者と不信仰者、また忌まわしい者、殺人者、淫らな者、魔法を行なう者、偶像を拝むもの、〔要するに、〕すべての偽り者たちには、彼らの受け取る分け前は、火と硫黄の燃える池である。それが第二の死である。」

岩波書店「ヨハネの黙示録」

奨励と結び
また〔天使は〕私に言った、「これらの言葉は信頼でき、また真実のものである。預言者たちに霊を吹き込まれる神であられる主は、すぐにも起こるはずのことを自分の僕たちに示そうとして、自分の天使を遣わされたのである。心しなさい。私はすぐにも来る。この書〔に含まれた〕預言の言葉を守る人は幸いである」。

これらのことを聞きまた見たのは、この私ヨハネである。私は、聞き終りまた見終った時、これらのことを私に見せてくれた天使の足もとに平伏して礼拝しようとした。すると、天使は私に言う、「そんなことをしてはいけない。私はあなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書に書かれた言葉を守っている者たちと同じ、〔神に仕える〕僕仲間なのだ。〔私ではなく〕神を礼拝しなさい」。

〔天使は、〕私にこうも言う、「この書に書かれた預言の言葉を秘密にしておいてはならない。〔それらの言葉が実現する〕時は間近だからである。〔その間、〕不義を行なう者は不義を行なうままにさせ、穢れた者は穢れるままにさせておきなさい。しかし、義しい者は正義を行ない続け、聖なる者は聖化され続けさせなさい」。

「心しなさい、私はすぐにも来る。〔私が〕各々の行ないに応じて報酬を与えるために、私の〔与える〕報酬も私と一緒〔について来る〕。私はアルファでありオメガである、すなわち、最初の者であり最後の者であり、〔万物の〕初めであり終りである。

命の木に近づく権利を得、門を通って都に入るために、自分たちの衣を洗い浄める者たちは幸いである。犬ども、魔法を行なう者、淫らな者、殺人者、偶像を拝む者、またすべて嘘を好みまた行なう者は、〔都の〕外に〔留め置かれる〕。

岩波書店「ヨハネの黙示録」

エピローグ
私イエスは、諸教会について、これらのことをあなたがたに証言するために、私の使いを遣わした。私はダビデの根また子孫であり、輝く明けの明星である」。

霊と花嫁も言う、「来て下さい」。〔これを〕聞く者も、「来て下さい」と言いなさい。渇いている者は来なさい、そして飲みたい者は、ただで命の水を飲みなさい。

私としては、この書〔に記されている〕預言の言葉を聞く者すべてに警告する。もし、それに書き加える者があれば、神がその者の上に、この書に書き記されている災いを加えられる。もし、この預言の害の言葉から〔一部でも〕取り除く者があれば、神が、この害に書き記されているような、〔彼が受け取るはずの〕命の木と聖なる都の取り前を取り除かれる。
これらのことを証言する者が言われる、「然り、私はすぐに来る」。アーメン、主イエスよ、来て下さい。

主イエスの恵みが、〔あなたたち〕すべての者たちと共に〔あるように〕。

岩波書店「ヨハネの黙示録」

いにしえも 今も変らぬ わが◯と◯ かを◯も深き 八坂大神

粂次郎作
重左衛門出身

「いにしえの 今も変わらぬ」は細川幽斎(一五三四〜一六一〇年)が読んだ短歌から来ていると思われる。

慶長五年の関ヶ原の戦のさなか田辺城籠城中に詠まれた。細川忠興が上杉討伐のために徳川家康に従って出陣している間、石田三成挙兵の情報を入手するや、幽斎は丹後の他の諸城を自焼して、兵糧、武器、弾薬を集積し、わずかに残っていた兵をまとめて田辺城に立て籠もったのである。

学校法人尚絅学園より

古も 今もかはらぬ よの中に 心のたねを のこすことの葉

細川幽斎作

「ことの葉」は「神の言葉」(叡知界)を示しています。
「ことの葉」とは「誠実と真実」を確保する「言葉」なのです。

「神の言葉」(叡知界)とは「キリスト」を示しています。

信長家臣時代[編集]
義昭と信長の対立が表面化すると、元亀4年(1573年)3月、軍勢を率いて上洛した信長を出迎えて恭順の姿勢を示した。義昭が信長に逆心を抱く節があることを密かに藤孝から信長に伝えられていたことが信長の手紙からわかっている。義昭が追放された後の10月10日に桂川の西の一職支配権を許されのを機に名字を改めて長岡藤孝と名乗った[4]
8月には池田勝正、三淵藤英と共に岩成友通を山城淀城の戦い(第二次淀古城の戦い)で滅ぼす功を挙げ、以後は信長の武将として畿内各地を転戦。高屋城の戦い越前一向一揆征伐、石山合戦紀州征伐のほか、山陰方面軍総大将の明智光秀の与力としても活躍した(黒井城の戦い)。天正5年(1577年)、信長に反旗を翻した松永久秀の籠る大和信貴山城を光秀と共に落とした(信貴山城の戦い)。
天正6年(1578年)、信長の薦めによって嫡男忠興と光秀の娘(ガラシャ)の婚儀がなる。光秀の与力として天正8年(1580年)には長岡家単独で丹後国に進攻するが、同国守護一色氏に反撃され失敗。後に光秀の加勢によってようやく丹後南部を平定し、信長から丹後南半国(加佐郡与謝郡)の領有を認められて宮津城を居城とした(北半国である中郡竹野郡熊野郡は旧丹後守護家である一色満信(義定)の領有が信長から認められた)。甲州征伐には一色満信と共に出陣。
同年正月12日付の信長から藤孝宛ての黒印状にて、尾張国知多半島で取れた肉を信長が朝廷に献上したうえで、家臣である藤孝にも裾分けする旨を述べている[14]

ウィキペディア

後記

鎌ケ谷市「粟野庚申塔郡あわのこうしんとうぐん」とは「信仰」(誠実と真実)の場所でありました。

愛を込めて Soma Oishi.

「ルネッサンスとヒューマニズム」(トーマの心臓)
あなたは永遠です。
Your forever friend Soma Oishi

最愛の言葉

friend [frénd]
[中期英語 friend,frend,古期英語 frēond 友,恋人,親族〔もとは frēogan(⇀FREE)の現在分詞;ゴート語 frijōn「愛する」と同語源〕;ドイツ語 Freund と同語源]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

柳田国男全集「人を知る為に」より

柳田国男
人を知る為に


そんなら以前はそれ程面倒であり又厄介であった旅行に、或いは好き好んで一生の半分を費やし、又は旅をすればする程、次第に旅行ずきになる人が中々多かったのはどうしたわけか。是は社会心理学という学問で、是から後研究せらるべき面白い問題の一つである。早い話が鳥や獣はいつでも閑で、又一時もぢつとして居られぬものだが、ついぞ其の群を離れて一人で奮発して遠くへ行くといふことは無い。人の中でも野蛮人などといはれる者には、逐われて生命の危い時でも無いと、知らぬ人の中へ入って行こうとはせぬ。又盲や聾もあまり旅行をしない。其以外の人だけが、何かといふとよく出あるくのは、単純なる好奇心というよりも、今一層強い具体的の目的が、知らず識らずの中に誘うてゐるのではないか。即ち旅をすれば「人」を知るから、而うして「人」はいつでも我々にとって、興味深き題目であるから、うつかりと引付けられるのではなかろうか。

我々は古くから此の漠然としたあるものを、世間と謂ひ、又は他人の中などと謂って居た。つまりは多くの場合には斯んな語に当たるものが、旅行をした時ばかりは特に我々とぶつっかるのである。魚が水に居り人が空気の中に住んで、水空気に馴れて感ぜぬ如く、生まれたときから周囲の人ばかりと接して居ては何とも思わなかったものが、一旦其間から抜け出して振返り、或は前と後とを比較して見る時に、始めて少しづつ自分と周囲との関係が分かって来る。是が所謂旅をさせよの意味であったと思ふ。子供が始めて学校へ行き出した時、又は久しく来ぬ叔父叔母などが尋ねて来た時に抱く所の感じを、稍拡大したものが旅行であって、結局は字が読めるようになると本を開いて見たくなり、本が沢山あれば其中の一番面白さうなものを先づ手に取るのと、おなじような心持から起る人の行為であろうと思う。

もしそうだとすれば若いうちによく考へて見なければならぬ。無闇にやたらに何でもかでも、そこらにある本を読み散らして居ても,それ相応には役に立つかも知らぬが、実は学問の真の意味を解し、一定の方針を立てて読書する人だけが、之によって生涯を正しく導き得ると同じ様に、この旅行といふものの意味をよく知つて、短い一日二日の旅行でも心を留めて見てあるく人が、時即ち人生を一番良く使った理想的の旅人といふことになるのである。

但し私の今日の話は諸君を旅行ずきにして見たいといふ考からでは無い。寧ろ之とは反対に、書籍は図書館か友人の蔵書家か、又は本屋のある町まで行かぬとどうしても手に入らぬが、旅行の方は其目的とする人間研究には、必ずしもそれだけの手数は要しない。我々の心掛け又人に対する態度如何によっては、今まで見馴れ住馴れて居る最も狭い周囲に於てすらも、同じだけの興味と教訓が得られる。それ程に材料が手近に完備して居るのだから、必ずしも旅行に由らざれば得られぬものではないといふこと、今一つにはそれだけの用意も無く又経験も無い人々の旅行が徒に萍草の如き軽くして根の無いもの、生活とは縁の薄い誠に不経済な辛労に終るかも知れぬことを、少しばかり説いて見たいのである。私のような境遇の者には非常に無理な都合をして十日とか、わざわざ遠くまで出かけ漸く得られるような大切な智識が、諸君ならば至って手軽に、たとえば泉から清水を汲む如く自由自在に求め得られるのだといふことを、篤と諸君の為に説いて見たいと思うふのである。

柳田国男全集「人を知る為に」

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