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聖宮崎駿ルパン三世作品論集成 第6回「聖アニメーション論」

【カトリックアニメ信仰】

friend [frénd]
[中期英語 friend,frend,古期英語 frēond 友,恋人,親族〔もとは frēogan(⇀FREE)の現在分詞;ゴート語 frijōn「愛する」と同語源〕;ドイツ語 Freund と同語源]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

イマーゴ信仰(オマージュ信仰)が受肉した名シーン

クラリスUP
はじめてルパンの名を口にする
悲しみの中にもさわやかな解放感がある
一本送を
つっぱしるフィアット

クラリス  ルパン・・・
      きっと
      きっと
      又、あえるわ

スタジオ・ジブリ 絵コンテ全集第Ⅱ期「ルパン三世 カリオストロの城」

imago Dei 〔L.〕
神の似姿〔カトリック教会〕
〈91学術・キリスト教〉

『人文社会37万語対訳大辞典』 日外アソシエーツ

hom・mage/Fr. ᴐmaʒ/
〖フランス〗
〓オマージュ《芸術家・作家・作曲家などに捧げる敬意;その敬意を表した作品(の献呈);→ homage》.

『ジーニアス英和大辞典 用例プラス』 大修館書店

「ルパン三世の殉教者(確信性の確保)」を考察する

副題 聖宮崎駿の「エチカ(倫理学)」とは?


序文 (1 1-18)
はじめに、ことばがいた。
ことばは、神のもとにいた。
ことばは、神であった。
この方は、はじめに神のもとにいた。
すべてのことは彼を介して生じた。
彼をさしおいては、なに一つ生じなかった。
彼において生じたことは、命であり、
その光は人々の光であった。
その光は闇の中にあって輝いている。
闇はこの光を阻止できなかったのである。

神のもとから遣わされて、一人の人が登場した。
その名はヨハネ。
この人は証しのため、あの光について証しするために来た。
すべての人が彼を介して信じるようになるために。
この人は光ではなく、あの光について証しするために〔の人であった〕。
〔彼の証ししようとした光が〕本物の光であった。
それは、この世の来て、すべての人を照らしている。

〔その光であることばは〕世にあり、世は彼を介してできたが、世は彼を知るにいたらなかった。
自分に属するもののところに来たが、彼に属する人々は彼を受け入れなかった。
だが、彼の名を信じる人々には、神の子供たちとなる権能を与えた。
彼らは血〔統〕からではなく、肉〔なる人〕の意志からでもなく、人の意志からでもなく、神から生れたのである。

ことばは肉〔なる人〕となって、われわれの間に幕屋を張った。
-われわれは彼の栄光を、父から〔遣わされた〕ひとり子としての栄光を観た-
〔彼は〕恵みと真理に満ちて〔いた〕。

ヨハネは彼について証しし、〔次のように〕言って叫んだのであった。
「私が『自分の後から来ようとしている人は私より優れたものとされている。私より先にいたから』
なぜなら彼の充満の中から、われわれは皆、恵みに代わる恵みまでも受けたからである。
律法はモーゼを介して与えられ、恵みと真理はイエス・キリストを介して来たからである。
神はいまだかつて誰も見たことがない。
父の胸中にいる、ひとり子なる神、この方こそが解きあかした。

岩波書店「ヨハネによる福音書」

Act 1
Thunder and lightning.Enter three Witches
First Witch
When shall we three meet again   
In thunder, lightning, or in rain?
Second Witch
When the hurlyburly's done,
When the battle's lost and won.
Third Witch
That will be ere the set of sun.
First Witch
Where the place?
Second Witch
Upon the heath.
Third Witch
There to meet with Macbeth.
Second Witch
Paddock calls.
Third Witch
Anon.
ALL
Fair is foul, and foul is fair:
Hover through the fog and filthy air.

Exeunt

Macbeth by William Shakespeare

「はじめに拘る人」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)

この聖宮崎駿ルパン三世作品論集成も残すところ後2回です。
ここまで指摘してきました要点を整理したいと思います。

「聖書」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)が賛美される時代に「黙示録」と「終末論」の間に於いて「最後の審判」の必要性を感じる。
「終末論」は「黙示録」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)である。
何故ならば「神とことば」を最も穢すのが「終末論」であるからである。

「ヲタク人(黒魔女)」の「倒錯対象」とは「ヨハネによる福音書」の「序文」だった。
「神とことば」を「倒錯対象」とした「偶像崇拝と呪術崇拝」とは最強のコンフィデンスマン(倒錯性の支配)でした。

「はじめ」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)は「おわりに拘る人(黒魔女)」です。
「はじめ」を「倒錯対象」とする「おわり」が行われる。
「はじめ」とは「ヨハネによる福音書」の「神とことば」でありました。
そして「おわり」とは「神とことば」を「倒錯対象」とする「偶像崇拝と呪術崇拝」です。
そして「偶像崇拝と呪術崇拝」とは「終末論」を意味しています。

そういう意味で「はじめに拘る人(白魔女)」は「ペルソナ(オリジナル)」の形成と見做されます。
何故ならば「神とことば」の殉教者(確信性の確保)とは「イマーゴ(神の似姿)とロゴス(恵みと真理)」を受肉しているからです。
又、「神とことば」は「イマーゴ(神の似姿)とロゴス(恵みと真理)」でありイエス・キリストを介して来るとされています。
そういう意味で「はじめに拘る人(白魔女)」は全てキリスト者です。

このように「はじめに拘る人(白魔女)」は殉教者(確信性の確保)であり得るだろう人物と思われます。
そういった人はホワイトマジシャンであり文化社会を守護し形成していきます。
「はじめに拘る人(白魔女)」は「守護聖人」と言えるのです。

そして「はじめに拘る人(白魔女)」の「黙示録」とは「最後の審判」なのです。
「はじめに拘る人(白魔女)」は「最後の審判」の殉教者(確信性の確保)であり得るだろう。
「おわりに拘る人(黒魔女)」は「終末論」のコンフィデンスマン(倒錯性の支配)であるだろう。

しかし「神とことば」を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)は「最大の罪」です。
その罪に対し「はじめに拘る人(白魔女)」の「最後の審判」がなされ「最大の罰」が下るだろうと予想されます。
そのことは「ヨハネの黙示録」に記されています。

一方で「はじめに拘る人(白魔女)」を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)が賛美されていきます。
それは「おわりに拘る人(黒魔女)」の「終末論」となっています。

「終末論」とはイエス・キリストを「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を賛美していくことを示しています。
そのようなアンチキリストはブラックマジシャンであり文化破壊を齎し世界を破滅へ導いていきます。

「おわりに拘る人(黒魔女)」の「終末論」とは「黒ミサの儀式」です。
それは「おわりに拘る人(黒魔女)」によった「世界の破滅」であって「最後の審判」の不可能性を示しています。

ハルマゲドンとは「はじめに拘る人(白魔女)」と「おわりに拘る人(黒魔女)」の聖戦のことを指し示しています。

「最後の審判」の阻止を謀った「終末論」と言えるでしょう。
一方で「終末論」に対する「最後の審判」が「黙示録」と言えるでしょう。

Ar・ma・ged・don /ɑɚməgέdṇ | ɑː―/
―n.
1 ハルマゲドン⦅世界の終末における善と悪との最後の大決戦(場); cf. Rev. 16: 16⦆.
2 最後の大決戦; (国際的な)大決戦動乱.
〖⦅1811⦆ ▭ LL ~ ▭ Gk Harmagedṓn ▭ ? Heb. har Mᵉghiddṓ mountain (district) of Megiddo〗

『新英和大辞典 第6版』 研究社

七つの平鉢の七つの災い
その後、私が見ていると、天にある証しの幕屋の神殿〔の扉〕が打ち開かれた。そしてその神殿から、七つの災いを携えて〔いる〕七人の天使たちひかか、清い、光り輝く亜麻布を身にまとい、胸には金の帯を締め〔た姿で〕、出て来た。四匹の生き物のうちの一つが、世々永遠に生きる神の憤激で溢れんばかりの七つの金の平鉢を、これらの七人の天使たちに与えた。すると、神殿は神の栄光と神の力とから〔立ちのぼる〕煙で一杯になり、七人の天使たちの〔携えた〕七つの災いが終えられてしまうまでは、誰一人として殿に入ることかできなかった。 

岩波書店「ヨハネの黙示録」

第六の〔天使〕が自分の〔持っている〕平鉢〔の中身〕を大ユーフラテス河に注いだ。すると、河の水は干上がった。それは、太陽の出る方角から〔攻めのぼって〕来る王たちのための道が準備されるためであった。私はまた、竜の口から、獣の口から、また偽預言者の口から、蛙のような三つの穢れた霊〔が出て来るの〕を見た。これら〔の霊〕は徴を行なう悪霊どもの霊であって、全世界のもろもろの王のもとに出向いて、全能者なる神の大いなる日における戦いのために、彼らを召集する。ー心せよ、私は盗人のように来る。目を覚ましており、裸で歩き回って、人々にそれを見られて恥をかいたりすることのないよう、自分の着物を〔身に〕着けている人は幸いである-。そして、〔かの三つの霊は、〕ヘブライ語で「ハルマゲドーン」と呼ばれる場所にもろもろの王を集合させた。

岩波書店「ヨハネの黙示録」

SONYとは「はじめに拘る人(白魔女)」であった

例えば井深大が社長を務めたSONYは「はじめに拘る人(白魔女)」であった。
井深大自身はキリスト教徒であったらしい。
ソニーグループは事業拡大によって多岐に渡る一大グループとなっている。
その中で私はソニー・ミュージックに所属する女性アイドルグループに興味深い現象を見出した。

例えばその先発の女性アイドルグループで有名だった「AKB48」はソニー・ミュージックの所属ではない。
しかしその後発の「乃木坂46」はソニー・ミュージックであった。
ここだけを見るとソニー・ミュージックは決して「はじめに拘る人(白魔女)」ではないように見える。
明らかに「AKB48」の方が先発でした。

しかし「はじめに拘る人(白魔女)」とは一体何であるかが問われるだろう。

「AKB48」の大成功が「大人数の女性アイドルグループ」にあるのならそれは「設定のアイデア」に過ぎなかった。
そういった「全知全能感」を伴った「設定のアイデア」に「根拠付け」はなく「情勢論とアジテーション」が「その場」を支配する。
「根拠付け」はなくとも「情勢論とアジテーション」によって支配が確立されるのです。

「乃木坂46」は「設定のアイデア」ではない。
「乃木坂46」は「神とことば」であり、「イマーゴ(神の似姿)とロゴス(恵みと真理)」を持っている。
そこでは「全知全能感」のコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を禁忌とすることで「一定の根拠付け」が必要とされている。
「乃木坂46」には「情勢論とアジテーション」による支配ではなく「一定の根拠付け」が「インテリジェンス」として必要とされる。

賛否があるのは承知していますが以前「動物虐待事件」を起こしたSONY社員の主張に「理性の欠落」がありました。
それは「理性のない動物」に対する「動物虐待」の不成立の主張でした。
ただ「理性」とは殉教者(確信性の確保)であり得るだろう。
そして「理性の欠落」とはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)であるだろう。
それは「フィレットやヒト」と言った「偶像崇拝と呪術崇拝」では判断できないことを示している。
よってこのSONY社員の主張は「理性の欠落」でありコンフィデンスマン(倒錯性の支配)であったと言える。

このあり方は「情勢論とアジテーション」と「OSINT (Open Source Intelligence)」の違いとして有名である。

ソニー・ミュージックが拘った「はじめ」とは「神とことば」であり「イマーゴ(神の似姿)とロゴス(恵みと真理)」にあったと言える。
ソニー・ミュージックとはその証しのために来たヨハネのことであるだろう。
ソニー・ミュージックとは聖書に記された証しのための役目を帯びているように感じる。
それがソニー・ミュージックの「OSINT (Open Source Intelligence)」である。

そうなると逆に「AKB48」の方が「神とはじめ」である「イマーゴ(神の似姿)とロゴス(恵みと真理)」を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)であるように見えます。

「AKB46」は「情勢論とアジテーション」であって「神とはじめ」ではない。
「AKB48」は実際には先発ではなく後発だった。
よって「乃木坂46」は「神とはじめ」を持った先発と言えるのです。

要はソニー・ミュージックは殉教者(確信性の確保)であったと言えるのです。

「神とことば」の殉教者(確信性の確保)

ここで軽くSONYが殉教者(確信性の確保)であり得るだろう理由を考察します。
SONYとはSON(神の子)を示しイエス・キリストを暗示している。

5 the S~キリスト(→ trinity 3)《◆the S~ of God [Man] ともいう》.

『ジーニアス英和大辞典 用例プラス』 大修館書店

またヘブライ語に於いて右からアルファベットが綴られる。
ことばの始まりに関して右側とされる理由とは旧約聖書がヘブライ語で書かれたためであろう。
神が右側である理由とはヘブライ語に於いてのアルファベット(ことば)の始まりを示していると想像される。

そういったヘブライズム(古代ユダヤ教)はヘレニズム(ギリシャ文化)を介してヨーロッパに広まった。

  • アドルフ・ヒットラーが主張したアーリア人とはヘブライズムに対するヘレニズムの優位性を捏造したものだった。

  • それによってヘブライズムに対するヘレニズムの大虐殺が起こった。

先ずヘブライ語の聖書原典がギリシャ語へ翻訳される。
その後ギリシャ語の翻訳聖書又はヘブライ語の聖書原典がラテン語に翻訳されていく。
ラテン語の原典聖書について私は詳細に知らない。

私の推測だが翻訳聖書から聖書原典を遡っていけば「文化形成と国民国家形成」はよく理解されるだろうと思っている。
要は聖書のあり方が「文化形成と国民国家形成」を指し示しているからです。

そこからヨーロッパ各国の言語は翻訳聖書によって確立されていく。
ラテン系の言語の差異化は単なる方言ではなく翻訳聖書によって国民文学が形成されることで確立されていった。
ラテン系以外でも現代の国民国家の確立は翻訳聖書によって国民文学が形成された故であるだろう。

このように国民国家とは「神とことば」であり「イマーゴ(神の似姿)とロゴス(恵みと真理)」としてあった。
ただそういった「神とことば」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)が賛美され始める。

これはヲタク世代を標榜する「次世代」であった。

しかし「神とことば」の「イマーゴ(神の似姿)とロゴス(恵みと真理)」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)が「次世代」というのは奇妙であった。

結局は「ヨハネによる福音書」の通りイエス・キリストを証しする役目が「次世代」に於いて必要なのだろう。

「ヲタク世代」は「次世代」のフラッグシップではなかった

ヲタク芸術家で名を馳せている庵野秀明監督は「ヲタク世代」を標榜した「次世代」のフラッグシップでありました。

そして庵野秀明監督は「風の谷のナウシカ」に於いて名シーンとされる「巨神兵復活の原画」を担当しました。
彼は聖宮崎駿監督の東薫を受けたと言われています。
聖宮崎駿ファンの私にしてみれば羨ましい限りです。

しかし聖宮崎駿監督は「はじめ」の殉教者(確信性の確保)であり得るだろう。

一方で庵野秀明監督は「はじめ」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)でしかなかったのです。

「巨神兵復活の原画」はそれを象徴している。

聖宮崎駿監督は「風の谷のナウシカ」の「イマーゴ(神の似姿)とロゴス(恵みと真理)」を創作しました。

一方で庵野秀明監督は「イマーゴ(神の似姿)とロゴス(恵みと真理)」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)の象徴であった「巨神兵復活の原画」を担当しました。

結局、聖宮崎駿監督は庵野秀明監督に「ナウシカの原画」を担当させなかった。
それは英断でした。
何故ならナウシカを「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)に「ナウシカの原画」を担当させることはできないからです。

庵野秀明監督はこの事実を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)となって自らを誇りました。
最も評価の低い意味があった「巨神兵復活の原画」を担当した事実を「風の谷のナウシカ」で最も評価の高いシーンとして大宣伝したのです。
この大宣伝は公共放送NHKで盛んに行われていました。

私は奇妙に感じていました。
私にしてみればナウシカがこの映画の魅力だった。
それがこの公共放送NHKの番組では「巨神兵復活の破壊シーン」が名シーンとされている。
私は公共放送NHKの番組を観て非常に驚いたことを覚えています。

この番組に登場した庵野秀明監督は聖宮崎駿監督から回転寿司でかっぱ巻きをごちそうされたエピソードを語りだしました。
しかしそれは「下種の謗り食い」でした。

○下種(げす)の謗(そし)り食い
下賤の者は、まずい、まずいとけなしながらもたくさん食べてしまう。

『大辞泉 第二版』 小学館

庵野秀明監督によると「聖宮崎駿監督はエネルギーを補給するためだけに見え、ただがつがつ回転寿司をむさぼり食っていた。」と証言されていました。
一方で「庵野秀明監督はたいへん恐縮してかっぱ巻きを自ら選んで食べた。」と主張していた。
ただこの証言は全て倒錯している。

聖宮崎駿監督は美味しそうに回転寿司をたらふく食べたと見做せる。
一方で庵野秀明監督はなんだか不味そうに自ら選んだかっぱ巻きを聖宮崎駿監督から少しだけごちそうになったらしい。
感じが悪いのは庵野秀明監督の方である。
聖宮崎駿監督の方が庵野秀明監督に不快を感じて当然だった。

庵野秀明監督は「下種の謗り食い」だった。
庵野秀明監督とはコミュニケーションが不可能な「倒錯動物」でした。
ヲタク人は「倒錯動物」だった。
ヲタク人は「人間動物(ペルソナ)」じゃなかった。

これは聖宮崎駿監督を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)の一連の動きだった。
公共放送NHKの正体は「神とことば」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)だったのです。
それは露骨なデマゴーグだった。

私に言わせればNHKは全く公共放送ではなかった。
公共放送NHKとはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を大宣伝するデマゴーグだった。

「次世代」のフラッグシップとは殉教者(確信性の確保)であり得るだろう方を言います。
「ヲタク世代」は「神とことば」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)です。
だから「ヲタク世代」には殉教者(確信性の確保)は無理だった。
しかし実際に殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「三位一体のペルソナ(オリジナル)」は存在している。
それは「唯一性」であって「フラッグシップ」ではない筈です。

「唯一性」はメシアとして人々を殉教者(確信性の確保)へ導くだろう。
真の「次世代」のフラッグシップとはそういった「唯一性」のメシアを示している。

殉教者(確信性の確保)の受肉と聖アニメーション

見送るクラリスのかたらわに止まるゼニ形

銭形   
クソッ
     一足おそかったか!
     ルパンめ、まんまとぬすみおって!

クラリス ゼニ形にカオむけ
ゼニ形 クラリスをみる
クラリスも自体ごとむいて

クラリス イイエ、あの方は何もとらなかったわ。
     私のために斗ってくださったんです。

ゼニ形 まじめなカオ

銭形   イヤ、奴はとんでもないものを盗んでいきました。
クラリス 判らない 目パチ

クラリス ・・・・!

ゼニ形 まじめにきっぱり云う。

銭形   あなたの心です。

クラリス アッとなる

クラリス アっ・・!(声でない声)
     ハイ!

パッと明るくなり うなずく
ゼニ形 サッと一歩下り きおつけ

銭形   では!
     失礼します!(ウィンク)

サッと敬礼 昭和ヒトケタ 最大のサーヴィス 大きなウィンクすると
左下へ走り出し

劇場用アニメーション映画「ルパン三世 カリオストロの城」絵コンテ集より

純粋理性批判(第二版序文)
したがってわたくしは、信仰に余地を求めるために、知識を除去しなければならなかった。

実践理性批判
「きみの人格やいっさいの他者たちの人格のうちにある人間性を、つねに同時に目的として取りあつかい、決してたんに手段として取りあつかわないように行為せよ」。

1765-66年冬学期講義計画公告
まず悟性が形成されるが、これは、悟性が経験から直観的に判断をして、この判断を通じて概念を得ることによる。この上で、このような概念は、理性を通じて原因と結果の関係のなかで見られ、最後に学問によって、秩序ある全体のうちで見て取られるようになる。こういうわけで、指導は、これとまったく同じ道を進むべきである。教師には、自分の学生からまず悟性的人間を、ついで理性的人間を、そして最後に学者を育てることが期待されるのである。このやり方は次のような利点がある。これは普通のことだが、たとえ学生が最後の段階にまるで到達しなかったとしても、この学生は得るところがあったのであり、学校向けではないにせよ、人生に向けて前より錬れて聡明になっているはずである。

イマヌエル・カント「ルネッサンスとヒューマニズム」

聖宮崎駿監督が創作したルパン三世はメシアとして大活躍する。
聖宮崎駿監督作品のルパン三世は一切の盗みはしなかった。

しかし聖宮崎駿監督作品のルパン三世が一つだけ盗んだものがあった。
それは「知識(心)」だった。

イマヌエル・カントは『したがってわたくしは、殉教者(確信性の確保)に余地を求めるために、知識を除去しなければならなかった。』と記している。

ルパン三世は殉教者(確信性の確保)に余地を求めるために「知識(心)」を盗んでいった。
そしてルパン三世に「知識(心)」を盗まれた人たちは殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「余地」を得ることができたのです。
それによってその人は永遠の生命を得ることができます。
何故なら殉教者(確信性の確保)であり得るだろう生き様とは「私の肉、真実の食べ物」と「私の血、真実の飲み物」を持って生きていくことを示しているからです。

アーメン、アーメン、あなたがたに言う、信じる人は永遠の命を持っている。私は命のパンである。あなたがたの父祖は荒野でマナを食べた。そして死んだ。これは、天から降って来るパンである、人が食べると死なないように。私は、天から降った、活けるパンである。人がこのパンをたべるなら永遠に生きることとなる。

私が〔将来〕与えることになるパンは、世の命のための私の肉である」。
するとユダヤ人たちはお互いに激しく議論し始めた、「この男はいったいどうやて[自分の]肉をわれわれに食べさせることができるのか」と言って。
そこでイエスは彼らに言った、「アーメン、アーメン、あなた方に言う。人の子の肉を食べ、その血を飲まないなら、あなたがたは自分のうちに命を持っていない。私の肉を食らい、私の血を飲まないなら、あなたがたは自分のうちに命を持っていない。私の肉を食らい、私の血を飲んでいる人は永遠の命を持っており、私は彼を終りの日に蘇らせることになっている。私の肉は真実の食べ物であり、私の血は真実の飲み物だからである。私の肉を食らい、私の血を飲んでいる人は、私のうちに留まり、私も彼のうちに留まっている。生きている父が私を遣わし、私が父のゆえに生きているように、私を食らっている人も私のゆえに生きることとなる。これは天から降ったパンである。父祖たちが食べて死んだようにではなく、このパンを食らっている人は永遠に生きることとなる」。
これらのことをイエスはカファルナウムで教えていた時、会堂で言ったのであった。

岩波書店「ヨハネによる福音書」

聖宮崎駿監督作品は視聴者とアニキャラの両者に永遠の生命を齎している。
聖宮崎駿監督作品とは最高の殉教者(確信性の確保)であり得るだろうアニメ作品でした。
それは「聖アニメーション」だったのです。

「パン(真実)」と「スカトロジー(デマゴーグ)」

一方で「パン(真実)」を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)はデマゴーグを示しています。
又、このように「パン(真実)」を穢す行為とはスカトロジーを同時に示しています。
デマゴーグとはスカトロジーであったのです。

⁑bread/bréd/〓
〖初〓12c以前;〓17c;古英語 brē-ad (パン, ひと口の食物). 原義は「泡立たせたもの」. cf. brew, breath〗
―〓〓([種類]〓)
1 食パン〓〓〓
2 ⦅略式⦆食物, 食糧, 糧(かて);生計〓
3 ⦅略式⦆金(かね);⦅米俗⦆上役, 雇い主.
4 こねもので作ったパン《quick ~, corn ~など》.
5 〖キリスト教〗聖餐(せいさん)式に用いられるパン《パン種を入れない薄い丸パン》.
―〓〓…にパン粉をまぶす.

『ジーニアス英和大辞典 用例プラス』 大修館書店

デマゴーグ
demagogue
古代ギリシアの民主政治において,その声望および弁舌によって民会の決議に影響を与えて,政治を左右する者,つまり「民衆の指導者」を意味したのが原義であるが,現代では刺激的な弁舌,文章によって大衆を政治的に動員する扇動政治家をいう場合が多い。デマゴーグによって,特定の政治目的のために意図的に捏造され,流布される虚偽の情報がデマゴギーであって,一般にデマと略されている。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

sca・tol・o・gy /skætáləʤi | ‐tɔl‐/
—〓 〓 [軽蔑] 糞尿嗜好(文学), スカトロジー.

『ルミナス英和辞典(第3版)』 研究社

聖アニメーションを「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)とは「ヲタク人の正体」であった。
そういったヲタク人とはデマゴーグでありスカトロジーを趣味とした破廉恥漢だった。

ヲタク人はそのような穢らしい趣味を人々に押し付けているのです。
そういったヲタク思考とは「パン(真実)」を穢していくことを趣味としたアンチキリストとなっている。
これは非常に頭の悪いヲタク思考を他者へ強要することでありコンフィデンスマン(倒錯性の支配)でしかありません。
それは人間関係を「倒錯対象」としたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のあり方でした。
そのようなヲタク思考によってしか生きられない人の存在は迷惑でしかありません。
彼らヲタク人こそいい加減にするべきなのです。

テレビ局の場合

テレビ局で言えば「民間放送TBS系列局」は「パン(真実)」を食べて生きているレアなケースです。

しかし他の全てのテレビ局は全滅と言っていい状態です。

「公共放送NHK」も「民間放送系列局(TBS系列局を除く)」もデマゴーグでありスカトロジーだったのです。
彼らは視聴者を「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)でしかありません。
彼らの気持ち悪い笑顔を見ると吐き気がします。
いい加減厚化粧の作り笑いは止めて欲しいです。

このようにコンフィデンスマン(倒錯性の支配)が形成する「循環論証」によった視聴環境の中で「聖アニメーション」とは殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「光」となっていたのです。

「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」、コンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジー、「哲学(知を愛する)」

例を挙げるとすれば「マニア」とは「聖アニメファン」の資質であったのです。
一方で「マニア」とは「ヲタク人」の習性でもあった。
この両者の「マニア」は全く別物であり「似て非なり」であったのです。

前者の「マニア」は「神的霊感」であったり「神の贈り物」としての「神的狂気」を言った。
これは「皇室」の「マニア」を示していて、「カトリックエレクト」の資質であったのです。
そしてこのように「皇室」とは殉教者(確信性の確保)を根拠として形成されたのです。
殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「聖アニメファン」とは「高度な精神的姿勢ユーモア」なのです。

後者の「マニア」は「熱中する人」や「躁うつ病」を示していた。
これはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)の習性であった。
コンフィデンスマン(倒錯性の支配)である「ヲタク人」とは「お下劣」なのです。

マニア
(1)mania「狂気」の意のギリシア語。 entheos(神的霊感を受けている),enthousiasmos(神的霊感)と密接な連関をもつプラトン哲学の主要概念で,病人の狂気とは異なる神の贈り物としての神的狂気をいう。マニアは有限的存在,死すべき存在としての人間に日常性,時間性の軛を断って永遠的なるもの(価値,イデア)と出会う超越的な力を与える。神によりマニアに与えられたものとして mantikē(予言術),oiōnistikē(占い術),mousikē(ムーサの神にかかわる文芸,技芸),erōtikē(エロスにかかわる術)があげられる。

(2)一般に,1つのことに熱中する人をさす。(3)⇨躁うつ病のこと。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

かくしんはん【確信犯】
Überzeugungstat; Gewissenstat
宗教的教義や政治的信念,道徳的確信に基づいて行われる犯罪であり,社会の変動期に政治犯罪として表われることが多い。確信犯人は,自己の行動が現行の法秩序に違反するという自覚はもちながら,より高い次元の法の理念を実現しようとする点で,犯罪動機を抑止する反対動機の形成が期待できないところに特徴がある。したがって,刑罰の威嚇力や行刑による改善効果が疑問視され,一般の犯罪者とは違った特別処遇の必要性が説かれてきている。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

げ‐れつ【下劣】
人柄や考え方が下品で卑しいこと。「—な考え」

『広辞苑 第六版』 岩波書店

げれつ【下劣】
♦下劣な
mean; ⦅文⦆ base
◾下劣な品性
a mean [sordid] nature
◾彼女の服の好みは下劣だ
Her clothing is in vulgar taste.
◾下劣な男
a cad/a despicable fellow

『プログレッシブ和英中辞典(第3版)』 小学館

そううつびょう【躁うつ病】
manic-depressive psychosis
感情障害を主症状とし,周期的経過をとり,のちに人格障害を残さないことを特徴とする精神病で,統合失調症とともに二大内因性精神病といわれる。循環精神病ともいう。⇨感情が高揚し,意欲は亢進し,思考が飛躍する躁病と,反対にふさぎこむ⇨うつ病(→うつ状態)という2方向の病的感情が,日常生活からは明らかに区別される病期として交互に現れ,経過後には完全にもとの人格に戻る。発現頻度は全人口の 0.4%程度で,うつ病相だけが表れる型がかなり多い。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

躁病(ソウビョウ)
[英] mania
[独] Manie
[同義語] 【マニア】
躁うつ病の躁病相と同義に使われることが多いが,うつ病相を伴わない純粋の躁病も稀ではあるが存在する。躁病(躁うつ病)の発生率はおよそ0.5%前後,時点有病率は約0.2%といわれる。感情障害全体でみると女性に多いが,躁うつ病(躁病)では男女の比率は変わらない。発病年齢は20~30代にピークを認める。主な症状は以下のようなものである。①爽快気分,高揚した気分(躁性気分障害)が中心だが,易刺激性,易怒性を伴うことも多い。②思考面では次々と観念がわき起こり,このために話はまとまらず一定の目標に向かって話すことができない(観念奔逸),話の内容が誇大的かつ妄想的になる(誇大妄想)。③意欲面,行動面では多弁,多動となり,じっとしていられず手当たり次第に行動する(行為心迫)。さらに程度が強くなると興奮状態(精神運動興奮)に至る。また,金使いが荒くなったり,逸脱行為(性的,社会的逸脱)がみられることも多い。④睡眠欲求の減少,早朝覚醒などの睡眠障害,食欲・性欲の亢進,体重減少などの身体症状。病相の経過は,初めから躁・うつ病相を繰り返すものと,初めのうちはうつ病相(稀に躁病相)のみを示し後に躁うつ病に移行するものとがある。長期の経過をみると,病相期の長さは年を重ねるにつれて長くなり,病相間欠期は短くなる傾向がある。治療は抗躁薬(気分安定薬)であるリチウム,バルプロ酸中心で行われ,約7割の躁病は治療および予防が可能である。
(511046)

『医学書院 医学大辞典』 医学書院

「高度な精神的姿勢ユーモア」のあり方は「ヒポクラテスの誓い」としてもとても有名です。

confidence n.
信頼、確信
confidence in ~
~を信頼[確信]すること
The doctors had confidence in the amputation of the patient’s right leg.
医師団はその患者の右足切断には自信があった。
confidence that…
…という確信
The surgeon has every confidence that he will succeed in the operation.
外科医はその手術に成功するものと確信している。
confidence to do
~する確信
The surgeon had no confidence to operate the cancer patient.
外科医はその癌患者の手術をする自信がなかった。
with confidence
確信をもって
The physician asserted with confidence that the condition was not endocrinologic.
医師は、自信をもってこの状態は内分泌異常のためではないと断言した。

『医学英語実用語法辞典』 メジカルビュー社

certain a.
確信している、確かである ⬄uncertain
be certain that[wh―]…
…であること[かどうか]を確信している
One can be quite certain that other factors are important.
他の因子が同様に重要であることはまったく確かである。
It is certain that[wh―]…
…であること[かどうか]は確かである
It is almost certain that the virus has come from somewhere in the Far East.
そのウイルスが極東のどこからか来たことはほとんど確かである。

『医学英語実用語法辞典』 メジカルビュー社

コンフィデンスマン(倒錯性の支配)を強制されることによって「心的外傷」を受け「PTSD」を発症することはフロイト精神分析のヒステリーと同じであるだろう。
このヒステリーは「聖アニメファン」に特有であり「ヲタク人」には発症しない。

posttraumatic stress disorder (PTSD)〓
心的外傷後ストレス障害(①通常,ふつうに人間が人生を送る上では経験しないような心的外傷体験の後に生じる特徴的な症状であり,このなかには原因となった外傷体験の反復する再体験や外傷を思い起こさせるような刺激の回避,外的刺激に対する無感覚,様々な自律神経機能障害および認知障害,不快気分が含まれる.②DSM診断の1つで特定の診断基準を満たせば確定する).

『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

しんてきがいしょうごストレスしょうがい【心的外傷後ストレス障害】
post traumatic stress disorder; PTSD
外傷後ストレス障害ともいう。アメリカ精神医学会の『精神疾患の診断・統計マニュアル(第3版)』 Diagnostic and Statistical Mannual of Mental Disorders(1980)に初めてこの名が記載された。それによると,自然災害,事故,強姦や虐待などの犯罪,さらに戦争といった,人が通常経験する範囲をはるかにこえた強い⇨心的外傷を受けたあとに発症する精神障害で,症状が1ヵ月以上続くものをいう。症状が心的外傷体験直後から1ヵ月以内にとどまる急性ストレス障害 acute stress disorder(ASD)とは区別される。第1次世界大戦後の元兵士のショック症状(⇨戦争神経症)や,ベトナム戦争後のアメリカ帰還兵の社会不適応の研究・治療から PTSDの実態がわかり,詳しい研究が始った。日本では 1995年1月の兵庫県南部地震後に自殺者が多発したことから注目されるようになった。具体的な症状としては,夢や錯覚,幻覚,フラッシュバックなどに象徴される外傷体験の繰返し,無感動,無関心といった外傷体験の記憶の抹消,さらに不眠,集中力低下などの亢進状態も認められる。治療にはカウンセリング,精神療法などが必要とされ,抗うつ剤や抗不安剤を使う場合もある。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

ヲタク芸術は聖アニメーションを「倒錯対象」とするコンフィデンスマン(倒錯性の支配)です。

「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」へ穢いつばを吐いて侮辱するのがヲタク人なのです。
それは「神とことば」を倒錯することを意味しヲタク思考を示しています。
ヲタク思考とはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)なのです。

一方で殉教者(確信性の確保)は「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を創作します。

その「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」へ穢いつばを吐くヲタク人は完全な「ニセモノ」です。
そして殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」に対して穢いつばを吐く行為は「神」を倒錯するコンフィデンスマン(倒錯性の支配)です。
だからそういった「神」に対する冒涜行為とはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)であるとされるのです。

殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」は「ホンモノ」です。

しかしコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーをヲタク芸術と称して「ホンモノ」とする活動が近年盛んです。
村上隆や庵野秀明ら多くのヲタク芸術家が世を跋扈しています。

そういったコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーのヲタク芸術には「ホンモノ」の証しはなく「ニセモノ」でしかありませんでした。
何故なら殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」ではないからです。

ヲタク芸術の「芸術」とは有名無実なのです。

有名無実(實)
(ユウメイムジツ)
名前だけがりっぱで、実質がそれに伴わないこと。〔三国志、呉志、趙達伝〕

『新漢語林』 大修館書店

私は「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」があります。
一方で庵野秀明らはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーがあるのです。

例えば「哲学」は「知を愛すること」を意味しています。
「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」とは「哲学」なのです。
それは「皇室のマニア」です。

一方でコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーに「哲学」はありません。
何故ならばコンフィデンスマン(倒錯性の支配)となった人に「知を愛する理由」はありません。
コンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーとは「哲学」を「倒錯対象」として出来た「お下劣のマニア」なのです。
「知」へ穢いつばを吐きつけ穢すことは「愛」ではなくコンフィデンスマン(倒錯性の支配)です。

ここから分かるように「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を主張し「哲学」を持っているものは殉教者であり「真実と誠実」が齎らす「確信性の確保」となっています。

一方でコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーを主張する庵野秀明らとは「哲学」を穢していくコンフィデンスマン(倒錯性の支配)でありデマゴーグと言う特殊詐欺師と言えるのです。

てつがく【哲学】
philosophy
原語であるギリシア語の philosophiaは知を愛することを意味する。哲学という訳語は西周による(1874)。愛知としての哲学はもろもろの学問のなかの一つではなく,人間の知識欲に根ざす根源的活動の一つだが,中世では神学,現代では科学との関係が問題となっている。古代から近世まで哲学は⇨形而上学のほかに自然学(→自然哲学)を含んでいたが,19世紀からの自然科学の急速な発展によって後者は哲学から独立し,哲学をおもに認識論,倫理学,美学の三者で構成する立場が生れた。現代では厳密さを求めて哲学自体を科学化しようとする傾向さえ一部にある。かつて非神学的を意味した哲学的という形容詞は現代ではしばしば非自然科学的,思弁的の意味で用いられている。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

(再編集版)

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