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Thinkin' in the rain

 例えばね、雨の時に降る水が、コーラだったとしようか、そうすると、雨に降られて濡れた私たちは、乾いたあとにもべたべたして、すごく不愉快な思いをすることになる、しかし実際には、雨水は、少なくとも振舞いの上ではただの水でしかないわけで、したがって雨に濡れたとしても、乾けば元通りになる、私たちはこのことによって幾分か助かっていることがあるだろう、しかし、ね、そのことが見えなくしていることを、考えなきゃならないんじゃないか、つまり、雨が降る前と降った後で、何が変わっているのかということを、この透明な不可逆を。雨が降ったら虹が出ると言って人を励ます奴がいる、虹はしかし当面の問題ではない、なぜなら今ここで取り上げているのは、雨に降られた私たちの話であって、雨を降った方の話ではないからだ、ここで主客を分けたのは、雨を降らせた主体などを考えたいからではなくて、雨に降られた私たちという明確な客体を浮かび上がらせたいからに過ぎない、誤解しないでいただきたい、さて、それで、降られた私たちに起こる明らかな変質のことを考えたいのだが、これが見えづらいことのもうひとつの要因としては、私たちが服を着ていることにあるんじゃないか、多くの服は洗濯をする、つまりは濡れることが日常茶飯であると、だから、雨に濡れた服は乾けば元通りになるという感じがしてしまうわけで、実際に元通りにもなる、だから見えないのだ、加えて皮膚が濡れても拭けば元通りになるときたら、全てが、雨が降る前の状態に戻ってしまう、でもね、違う、違うんだ、そうではない。濡れた本は、乾いても、濡れた痕跡が残る、そう、この「しわ」こそが、雨に降られ、雨に濡れた私たちに残る、決定的な不可逆であって……


2024/5/20 2:58の下書き
おそらくは雨に降られて帰ってから書いたもの
誰かとの会話をふまえていそうなのだけど
最近は日記をつけていないので詳細の情報なし

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