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横断歩道と信号に関する記憶の断片

ごく最近の記憶

 雨上がり、舗装したての横断歩道は、白い部分がよく滑る。

 最寄り駅の近くに、異様に短い信号がある。青のゲージがゴリゴリと減っていく、数えてみたら、変わってから4秒足らずで点滅しだした。

 長い横断歩道、渡り始めには青だったのに、渡っているうちに赤になってしまってからの、時間

 街中で会う約束をしていた人が、赤信号の横断歩道の対岸にいるときの、時間

 家の近所、近くの店の看板の反射のせいで、ない横断歩道が見えることがある、幅の広いただの車道


浦安の記憶

 横断歩道を渡った先の階段を登ると、対岸の見える小さな川に出る、その開けた風景がとても好きで、わざわざ信号待ちをしたものだった。

 誰かとの歩きの帰り道、二手に分かれる手前の横断歩道で話をする、何度も青と赤を繰り返す、信号はただの背景になる。「信号を逃す」などという言葉は、時間に追われているときにしか使わない表現だ、余裕があるなら、こちらから信号を逃がしてやろう。

 曲がってくる車があるときに、小走りで横断歩道を渡る、一応の優しさを見せてやる。封筒に印字された「行」に斜線を引いて「御中」と書き直すときと、まったく同種の苛立ちを覚える。

 そもそも「横断歩道」という名前が腹立たしい、どうして車道を横断させていただくまでに貶められている、すべての人は歩行者で、すべての道は歩道だろうが





 ……白線は陸地で、黒い部分は海、白だけを踏んで向こう岸まで渡ろう、ところが、渡った先は黒々とアスファルトの海で、俺はすっかりサメに喰われてしまった!

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