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よかったことと、残念だったこと(2024/5/4)

鼻血が出た。

ベランダで太陽を浴びながら歯を磨いたからかな。
うがいをしながら、この「日々のデッサン」をしていてよかった、と思った。
なんだか映画のシーンを生きているように感じられた。
映画になることが素晴らしいわけなのではなくて、日々というものが素晴らしい。
こんなふうに、俯瞰して、細やかに日々のことを見つめられるようになったのは、「日々のデッサン」のおかげのような気がする。
まだ、もっときめ細やかに見つめられるとも思う。

昨日の夜は、ものすごく残念なニュースが流れてきた。
水俣病の患者、被害者団体の人たちと、環境大臣、環境省職員の人とのやり取り。
時間になったら「まとめてください」と言い、マイクを切り、話を無理矢理に終わらせる。
「事務局の不手際でございました」という言葉が、意図的なものではないと投げやりな言い訳をしているようで、さらに虚しい。
「認識しておりません」という言葉が、責任を回避するためだけのようで、さらにさらに虚しい。
「認識できたでしょ」
その通りだと思う。
これじゃあ、「形だけ」と思われても仕方ないよ。
響かない、届かないとわかっているところに対して、声をあげようなんてしなくなるものだよ。
それで社会がよくなっていく循環を作ることができるとは思えないよ。
はー。

でも、そんなポストを二つ拡散したけど、それは「許せない社会」に加担しているのかもしれないと思った。
確かにこの出来事に虚しさを感じたし、疑問も湧いた。
けど、非難を浴びせるだけでは、その次のアクションが芽生えることはないのかもしれない。
目的は反省させることではなく、「再び一緒にやり直す」ことだと思う。
非難、批判することが必要でないわけじゃなく。
ただ、次のアクションがないのでは、それはまた虚しいことだと思う。
違和感を伝えた上で、「こうしたい、こうしていきたい」まで届けるようにしたい。
「二度と許さない」と線を引くのではなく。
どちらかだけの努力では成り立たないよ。

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日々のデッサン

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日々の出来事や湧いてきた感情を、デッサンするように書いています。 (2024/5/1〜2024/10/3)

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