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サボるとは何事か

どうも、おはようございます、こんにちは、こんばんは、多田です。

あぁサボりたい。楽したい。
そんな漠然とした気持ちを持ちつつも、いざ暇になったら自分の存在意義に不安になる。僕は少なくともそんな面倒くさい思考を持っています。

楽にサボりたいって言っても、直感的にイメージするようなサボりではないのです。
言うなれば、クラスの掃除はサボっているけどみんなからは慕われて、頼りにされていたい。そんなよこしまな感覚です。こんな怠惰な贅沢を叶えるためにはどうしたら良いのだろう。
今回はそんなことを怠惰の中から、少しだけ気力を振り絞って考えてみました。

まずはサボるの定義、つまり「サボタージュ」の意味から考えてみます。

労働者の争議行為の一つ。労働者が団結して仕事の能率を落とし、使用者側に損害を与えて紛争の解決を迫ること。怠業。サボ。
怠けること。

 出典:デジタル大辞泉

ふむ、自分の思っていることとは少々離れているような気がします……
これは多分自分の中にある”サボる”という概念と、言語としての概念に相違があるということのようです。
で、あるならば自分の"サボる"というものを掘り下げてみましょう。

先ほどのクラス掃除のたとえに戻ります
「クラスの掃除はサボっているけどみんなからは慕われて、頼りにされていたい」
この欲求を分解すると
・クラスの掃除はサボる
→自分の労力、体力は使いたくない
・みんなからは慕われて、頼りにされていたい
→承認欲求を満たしたい?
こんなものでしょうか

ただ、この後者の定義での欲求は狭く、実際にはお金を稼ぎたい、さらに言えば、この先もお金やキャリアの不安なく過ごしたいなどという欲求もあるかもしれません。それは言い換えてみれば、金融資本、人的資本、社会資本などの担保ということができるでしょうか。

つまり、
労力や体力消費を最小限に、資本(金融、人的、社会)を最大化する
という定義で良いのではないかと個人的に考えます。

可能な限り、労力、体力を消費しない手段を考えてみました。
因みに参考にしたのはもちろん僕の人生のバイブル、パワプロクンポケットです。

①労力、体力を消費する対象を事前に吟味する
②労力、体力消費が少なくなるように業務の効率化や習慣に落とし込む
③労力や体力消費なしで遂行できる選択を増やす
④体力を効率よく回復させる
⑤体力の最大値をあげる

このぐらいでしょうか、全然もれなく、ダブりなく出来ているように思いませんが仕事ではないので許してください(笑)

こう考えてみると、サボるって大変だなと思ってきました(笑)
業務の効率化だったり、体力の最大値を上げる=ハードワークに慣れるだったり、どちらかというと邁進してる側の発言じゃないでしょうか。
つまるところ、理想的なサボりムーブには綿密な目標設定と、複数の選択肢を持つことと、ときには脳筋ハードワークが必要なことが分かりました。

プロのサボりストへの道はまだまだ遠そうです。
ただしょうもなくサボりたくなった時には、この図を思い出して、どこか工夫できるところは無いか、結局はハードワークをして急がば回れをしなけれないけないのか、選択の幅が増えて整理されたのは良いことかもしれません。

サボリストの皆さん、僕と一緒に頑張ってサボり道を極めていきましょう。
ではでは(笑)

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