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ウサギとカメのような論理と感情

おはようございます、こんにちは、こんばんは、多田です。

皆さんは友人や彼女、家族と喧嘩を良くしますか?
喧嘩をした場合にそれを適切に解決して収めるのが上手いほうですか?

僕は段々と歳をとってきて、自分が無意識的にどういう発言や行動をすると相手が怒るのかというものが経験則的に分かってきたのか、喧嘩をする頻度は減ってきたように思います。
けれども、どんなに努力しても0にはできないようで、いざ実際その渦中になってしまうと、収束、納得の仕方が難しいなと思いました。

まぁ恥ずかしい話、先日喧嘩をしたときに感じたことを整理するのが今回の目的です。


相手と自分の心の火種を早めに沈下させる方法として
①火をなるべく早く鎮火する
②火を他に燃え移らせない
上記の2種類に分別されると思いました。そしてそれぞれについて考えた各論が以下の通りです。

・相手が「何故」そう思っているかを聞く →①(出火元を探す)
人間が怒るときは、その理由を表に出さないことが多いと感じます。
それはそこに明らかな因果関係が見いだされて、怒っているという状況は直情的で避けるべきだと無意識に思うからなのではと考えています。
因果関係が自他ともにあまり見出せなければ、その怒りは正当化しやすいのではないでしょうか?
(ex, 朝、家族と喧嘩をした→仕事で部下がミスをする→𠮟責が必要以上になる)
しょうもない上司が相手なら、スルーを決め込めばいいと思いますが、もし喧嘩している相手が自分にとって大切な存在なら、「本当に何に怒っているのか、不満なのか」は本人が気づいてなくても、頑張って紐解き、そこへの建設的な改善方法を探るべきだと思います。

・言い回しや語気を2段階くらい柔和にする →①(適切な消火剤を使う)
口から出る言い回しや言い方が強いと、言っていることが合っていても、なにも伝わりません。喧嘩しているときだったらなおさらです。
一番外に出る「デザイン」は本質的でないからこそ、相手に訴求するときの最初(Primary)で重要(Primary)な事柄です。外に出る言葉を柔和にして真意を伝わりやすくすることも同じことです。正しいことを言ってるのにそう思われないの自分が一番不憫でしょう。

・相手の話を最後まで聞く →②(他の場所へ引火するのを防ぐ)
「それはさっき解決しただろう、それは関係ない話だろう」
そんな風に思っていないでしょうか?
喧嘩の最中に議論の中心を端的かつ論理的に通すことは誰も出来ません。自分が出来ていると思っているのなら、自己への過大評価に気づいた方がいいと思います。
お互いが合理的、論理的なものが交じり合ったぐちゃぐちゃの泥団子を投げ合ってる状況でも、往復のあるキャッチボールをするべきです。

・解決しても、感情は追い付かないことを認識する →その他(事後処理)
ここまで頑張って、どうにか相手とこうしようという前向きな結論が出た。
……でもそこで安心してはいけません。僕は今回ここで過ちを犯しました。
どんなに結論が出ても、喧嘩をして気持ちが揺れたあとはその感情は元に戻っていません。いくら鎮火をしたからと言って燃えた家具や家が元通りになるわけではないですから。
感情はカメの様に遅いから、論理というウサギはすぐにゴールして愉悦に浸るのではなく手前の岩の前で寝て待ってる必要があるんです。あの童話で、ウサギはカメに負けたけど、きっとそれで良かったんです。ウサギの方が足が速いことなんて分かりきっているから、負けてあげた方が良いんです。


以上が今回、喧嘩の収め方について考えてみた結果です。
自分の中の内省が誰かの気づきの一助になれば嬉しいです。もし、他にこんなことを気を付けるべきだということがあれば教えて頂けるとありがたいです。

ここまで読んでくださりありがとうございました。
ではでは、また次回!


 

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