見出し画像

ロンドン 地下鉄ベーカーストリート駅前のシャーロック・ホームズ像

シャーロック・ホームズ像1

全ての旅はここから始まる。


ロンドン、地下鉄ベーカーストリート駅(Baker Street Tube Station)のマリルボーンロード(Marylebone Road)側の出口から外に出て、左に曲がったところに、我々が目指すシャーロック・ホームズ像が立っている。

制作者:ジョン・ダブルディ(John Doubleday)
制作期間:1998-1999年
材質:ブロンズ製
高さ:約3メートル


ホームズ像は、(1)スイスのマイリンゲン(Meiringen - 「最後の事件(The Final Problem)」において、ホームズとジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)が決闘を行ったライヘンバッハ滝(Reichenbach Fall)の麓にある街)、(2)日本の長野県軽井沢町追分、そして、(3)英国のエディンバラ(Edinburgh - ホームズシリーズの作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の生家近く)に既に3体存在しており、ロンドンの地下鉄ベーカーストリート駅前の像が4体目になる。

シャーロック・ホームズ像2

元々は、推理小説「ブラウン神父(Father Brown)」の作者であるギルバート・キース・チェスタートン(Gilbert Keith Chesterton:1874年ー1936年)が、1927年にロンドンにホームズ像を設置することを提唱したが、この時、ことが上手く進まなかった。

それから数十年を経た1996年に、シャーロック・ホームズ・ソサエティー・オブ・ロンドン(The Sherlock Holmes Society of London)が新たなキャンペーンを開始し、1998年には、ホームズ像を制作するための会社 The Sherlock Holmes Statue Company Limited が設立された。

ホームズ像の制作費用は、住宅金融専門会社のアビー・ナショナル(Abbey National)が負担した。当時、アビー・ナショナルはベーカーストリート215~220番地(215 - 220 Baker Street)に本社を構えており、ホームズとジョン・H・ワトスン(John H. Watson)の二人が下宿していたベーカーストリート221B(221B Baker Street)がこの本社の住所内に含まれていること、更に、同社が1999年に創立150周年を迎えるため、その記念事業の一つであったことが、ホームズ像制作費用負担の理由だった。何とも、英国人らしい粋なはからいである。

シャーロック・ホームズ像3

アビー・ナショナルには、長年にわたり、ホームズ専属の秘書が居て、ベーカーストリート221B のホームズ宛に届く手紙に返信を出していた、とのこと。

しかしながら、非常に残念なことに、近年、アビー・ナショナルの本社が入居していたビル「アビーハウス(Abbey House)」は、上部の白い塔だけを残して建て替えが行われ、アビー・ナショナル本社は移転、現在建物はフラットに様変わりしている。そのため、ビルの角にあったホームズのショーウィンドウ(ベーカーストリートを背景に小さいホームズ像が飾られていた)もなくなってしまった。


ホームズ像に話を戻すと、スイスのマイリンゲンにあるホームズ像の制作者でもあるジョン・ダブルディは、1998年3月31日にベーカーストリート駅前に設置するホームズ像の仕事を請け負い、1999年9月23日に無事除幕式を迎えた。その際、除幕式を行う栄誉を担ったのは、ホームズ像の制作費用を負担したアビー・ナショナルの会長であった。こうして、同社の設立150周年に間に合ったのである。

シャーロック・ホームズ像4

ホームズ像は、おなじみの鹿撃ち帽(Deer Stalker)を被り、両肩にインヴァネスコートを羽織り、そして右手にはパイプを持っている。このお決まりの出で立ちは、当時、物語が連載されていた雑誌「ストランドマガジン(Strand Magazine)」に掲載されたシドニー・エドワード・パジェット(Sidney Edward Paget:1860年ー1908年)による挿絵に大きく影響を受けている。ちなみに、作者のコナン・ドイルは、物語の中で、ホームズの出で立ちについて、ここまで具体的な描写をしていない。つまり、パジェットによる挿絵の影響は非常に大きく、読者にホームズのイメージを強く決定付けたと言える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?