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FUWA

私が初めてフワちゃんを知ったのは、今から7年ほど前、インターネット番組『Aマッソのゲラニチョビ』だった。これまでの女性芸人にもいなかったような、素人っぽさもありながら勘所を押さえているタイプの芸風に驚き、これは「発見されれば売れる」と思った。まさかYouTuber枠でデビューし、Aマッソより先に売れるとは思っていなかったが。

フワちゃんは嫉妬したのか

今回の事件についての話題で、フワちゃんの芸風がやす子と比べられることがある。フワちゃんがブレイク時と比べてテレビ露出を減らしつつあった後にやす子の出演が増えたことから、フワちゃんはやす子に嫉妬していたので件の投稿をしたのではないか、という疑惑がもたれている。

本当にそうなのだろうか。確かに「馬鹿よ貴方は」新道竜巳が述べているように、フワちゃんの芸風とやす子の芸風は平場の瞬発力を強みとしているところは似ている。

だが、芸の質は異なる。やす子の芸は、伝統的なテレビのバラエティ番組でとても使いやすい。やす子が世に出たのは、個人的には『向上委員会』において、明石家さんまのパターンにハマったからだという認識を持っている。善悪は別として、マジョリティの感性にハマるような発言を選択できる能力があるのである。やす子は若手ながら、「The W」決勝に行くなど賞レースで結果を残すことができる芸人だ。ただの天然芸ではない。そこには戦略と計算があり、文春砲すらものともしない好感度を手に入れた。24時間テレビのマラソンランナーに抜擢されたのもそれが所以だろうし、「やす子オリンピック」ポストはまさにその最たるものといってよいだろう。

一方、フワちゃんはどうか。フワちゃんの無礼芸は、テレビの中では所詮芸でしかないことは理解している。露出が多くなるにつれて、その芸はきちんと枠内に収まっていき、その分センセーショナルなものではなくなっていく。しかしその代償としてテレビタレントの地位を手に入れたフワちゃんは、ワイドショーのコメントも当たり障りなくこなしてきた。

だが伊集院光が以前指摘していたように、フワちゃんの無礼芸は、おじさんたちが笑って受容することを強要する本質的な性格がある。タメ口に本気でキレてしまえば古い人間だと思われてしまうのである。伊集院光はこの現象を否定的にみていたが、逆に言えば、結局はおじさん芸人にイジられてしまうとしても、イジる側に対しても一定の変化を求める力をフワちゃんは持っていたのである。この点については、やす子の芸風と異なるところだ(好き嫌いや、笑える笑えないの評価はいったん置いておく)。

だから嫉妬はないだろう。フワちゃんには、やす子のような路線で売れることを選択するつもりは最初からなかっただろうし、フワちゃんを期待していた世論にとってもそうではなかった。フワちゃんに求められていたのはZ世代(フワちゃん自身はギリギリZ世代ではないが)の新しい価値観を反映した挙動であり、本人もある程度はそうした期待に応えようとしていた形跡はある。だからこそGoogleのCMにも採用されたのだ。

フワちゃんに悪意はあったのか

フワちゃんが今回の件で行った謝罪は、いかにもまずいものだった。ネタで書いた文章をうっかり誤送信してしまったというのは、あまりにも不自然だ。たくさんの大人が関わったのちに発表した文章としては、いかにもダメージコントロールが効いていないといわざるをえない。

一方、フワちゃんに裏アカウントがあったとか、本気でやす子のことを嫌っていたのではないか、という点についても、私は疑問を持っている。私には、多くの人が「なぜ彼女はこのようなポストをしたのか」が理解できないほうが理解できない。普通にこのように解釈すればよいのではないか。つまりあのポストは、「途方もなく間違った距離感で、途方もなく間違った場所において行ってしまった、フワちゃんなりのイジりである」と。

そもそも、元ポストの「やす子オリンピック」。素直に感動した人には申し訳ないが、個人的にはかなり歯が浮いてしまうポストだと思ってしまった。私はオリンピック本体も欺瞞的だと思っているので特殊かもしれないが、あのようなポストをみたとき「うわぁ」となってしまう人間もいるのだということは理解してほしい。

さてそこで、もし、こうした歯が浮くような発言がクローズドな場所で、関係性の深い者たちが集う場所で発せられたらどうだろう。周囲を見回せば、「うわぁ」と思っている人が何人もいる。かといって、言葉を発した本人自体は純粋な気持ちであることが分かっているので、直接茶化すのも気まずい。こうした状況を打破することを考えた場合、フワちゃんのコメントはむしろ空気を読んでいることにならないだろうか?

フワちゃんのキャラクターをその集団は理解しており、何でも言える関係であるという前提で考えよう。そこでフワちゃんが「皆優勝でーす」に対して「おまえは〇んでくださーい」と振り切った一発を決めた瞬間、その集団の全てのツッコミがフワちゃんに集中することになる。「皆優勝でーす」がもたらしたその場の緊張感は、フワちゃんが悪者になることでほぐれるのである。

対象と場所を途方もなく間違ったフワちゃん

しかしやす子はおそらく気の置けない後輩ではないし(おそらく共演が何回かある程度)、Xは飲み屋ではない。ある場面では成立するイジりも、別の場面では人を傷つける取り返しのつかない深刻な暴言となる。おそらくフワちゃんはそれを取り違えてしまったのである。

そんなことありうるのか?ありうる。自分は診断名を安易につけることは否定したい。しかし、そういう人は確実に世の中にはいる。正直なところをいえば、自分も多少そういうところはある。さすがに「◯んでくださーい」が途方もなく間違っていることは分かるが、そのポストに至ったプロセスについては、共感とまでは言わないが理解できてしまう(もちろんこの解釈は全く間違っているかもしれないが)。

断っておくが、この文章は擁護ではない。あの発言によってCMや番組から次々とキャンセルさせられているのは仕方がないペナルティだと思う。謝罪文のクオリティに至っては悲惨の一言である。

ただ、フワちゃんはなぜあれをやってしまったのか?については、自身の解釈と世の中の解釈が余りにも違っているので、ここに記すものである。



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