『正論』8月号の三浦小太郎氏のコラムについての反論

 今年5月に『ニューズウィーク日本版』に書いたコラム「入管法「改正」案、成立すれば日本は極右の理想郷になる?」が、雑誌『正論』8月号に掲載された評論家の三浦小太郎氏の記事「ウイグル人救えた入管法改正案」で批判されていたので、簡単にだが応答してみよう。
 まず、満州国の「多民族国家」性を肯定してみせたり、フランスの国民連合を極右として認めなかったりしているのは、いかにも偏向した「保守」的世界観であり、ご愛敬といった感じだが、ここでは特に触れない。
 このノートで問題にしたいのは、私が5月のコラムで批判した入管法改正案の三浦氏による擁護である。三浦氏はまず、この法案の重大な問題点のひとつとされる、難民申請を二回までに限り三回目以降の強制送還を可能にするルールの採用を、「新しい資料」とともに再申請したものを除く条項を理由に擁護する。このルールによって排除されるのは、「何度も申請要求を同一資料で繰り返し、単に在留の引き延ばしを図っている外国人」だけだというわけだ。
 しかし、入管問題に関わる支援団体や法律家が問題にしているのは、まさに難民申請者に厳格な「資料」を要求するハードルの高さについてである。常識的に考えて、難民申請を行おうとする者は、自分が難民として認定されるべき資料をしっかりと揃え、それを持参して出国することができるだろうか。むしろ命の危険に晒されれば晒されるほど、そのような資料を準備する余裕もなく出国するのではないだろうか。
 まして、そうした難民申請者が、本国から難民として認められるべき「新たな資料」を入手できる可能性はどれだけあるのだろうか?本国政府の迫害にあっている人々が書類等を入手する難しさは、記事の後半部で三浦小太郎氏自身が「ウイグル人」や「南モンゴル人」を引き合いに出すことで説明しているのだ。
 また難民申請者が、日本語はもちろん英語も堪能でもなかった場合、何の言語サポートも受けずに、果たして不備がない申請書類をつくることができるだろうか?という問題もある。日本の入管は、難民申請者がほぼ提出が不可能な「資料」の有無を難民認定基準にしているのであり、それが難民認定率の異常なまでの低さに繋がっているのだ。
 三浦氏は、このような入管の、難民認定制度の非人道的な運用に目を向けず、長期収容や強制送還の責任を、「単に在留の引き延ばしを図っている外国人」なる外国人の「不法」性に求めている。また収容者に対する人権無視の規制を撤廃するどころか強化されたことについては、外国人のテロリストや犯罪者対策のために当然だと語る。これは実態を無視しており、不必要に外国人への敵意を煽る排外主義的な言説といえよう。
 三浦小太郎氏は、タイトルにもある通り、入管法改正案は「人道」のために成立させるべきだったという。なぜなら、同法案に盛り込まれていた「補完的保護対象者制度」などによって、現在中国政府に迫害されているようなウイグル人や香港人などを救えたというのだ。
 しかしそうした方向性での人道面を考慮したとしても、入管法改正案を強行に成立させる必要はなかった。支援団体や法律家の意見を聞いて人権の擁護を重視した野党の入管法改正案を与党が丸のみすればよかっただけなのだ。また、在留外国人への迫害の「聞き取り調査」や、特別在留許可などによる被迫害者の保護は現行法下でも運用次第でやろうと思えば可能なのであり、その視点が出てこないのは、単にウイグルや香港の問題を政治的に利用しているだけとみられても仕方がないだろう。

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