書道教室を5級で辞めた話

小学2年生まで、習字を習っていた。隣の市で書道教室を開いていた中年の女性の先生が、私が住んでいた近所に空き家を借り、週に1・2度教えに来ており、その教室に通っていた。家から歩いて行ける場所だったので、学校から帰ると、書道の道具を持って、自分で歩いて通う、という通い方だった。

その頃、書道の流派の本部のお仕事で先生は忙しくなったようだった。先生の都合が悪い時に、師範の資格をお持ちの大学生3年か4年生の息子さんが時々、代理で教えに来るようになっていた。

その大学生の師範は、小学2年生の私からは、ちょっと考え方に偏りがある人のように見えた。
代理で来ることに関しても「わざわざこんな田舎に来てやっている」感をだすし、「子供のくせに」「女のくせに」などの、言葉をよく使う人だったのだ。
言葉の端々にそういう差別的な接頭語(彼にとっては)を使う人をみて、
資格と人間性は比例しないことを小学生ながら感じていた。

ある日、その言い方に納得のいかなくなった私はその点を指摘した。
「小学生や年下だからと言って、そういう馬鹿にした言い方はないのではないか」と。
すると、大学生は烈火の如く怒りだした。手こそ出すことは無かったが、
「子供のくせに」「女のくせに」とまた、接頭語をつけて、いかに私が生徒として、小学生として生意気であるかを、怒鳴るように話し出した。
売り言葉に買い言葉で、私もだんだんヒートアップしてきていた。
『「大人なのに」「先生なのに」おかしい 』と、いうようなことを言ってしまったように思う。今、書いていると、私の考え方にも「先生はこうあるべき」というカテゴライズされた偏りがあったことは否めない。
結局、「こんな教室やめる」と一言残して、家に帰ってきてしまった。

家に帰り、教室をやめたい旨を母親に話すと、母は困った顔をしていた。
夜に父親から「辞めた後、また通いたくなったとしても、月謝はもう出さないけれど、それでも辞めたいのか?」と聞かれ「うん」と答えた。
もう一つ、書道教室を辞めることを認めるにために、条件が出された。
自分で先生に教室を辞めることをきちんと伝える、ということだった。
辞めたい理由そのものについては、親として納得している様子だった。

翌週、教室に行き、教室を辞めたいこと、師範である大学生の考え方に納得がいかない旨の説明をしたが、先生は大学生の肩をもつばかりで、回答は要領を得ないものだった。そして逆に大学生に失礼を詫びるよう言われた。それにも納得がいかなかった。
不遜にも、月謝を払っているのだから、生徒として正当に扱われるべきだ、という気持ちがあったことは否めない。だからこそ、先生親子の「わざわざこんな田舎に教えに来てあげているのに、偉そうな物言いはするな」という雰囲気を言外に感じて、余計、嫌気がさした。
教室を辞めた時、私の級位は5級だった。

後に残った姉妹たちはそのまま通い続けた。「少しの間、気まずかった」と大人になってから何かの拍子に聞いた。
そういえば、その時は自分が辞めた後、通い続けている姉妹の状況を気にしたことは無かったような気がする。申し訳なかったな、とその時はじめて思った。姉妹に対してである。

大学生の考え方・言い方に納得がいかなくて辞めたけれど、結局、先生本人に対しても、その前から違和感はあったように思う。年の功か、先生はそういう差別的な考えをはっきりとは口に出すことは無かった。しかし、日常習っていて、「?」と思うものの言い方や見方、価値観を先生にも感じていたのだ。

書道教室を辞めてしまっても、次の年、私は学年の代表として小学校から習字の作品が市民展に出品されたし、今も日常に困っていない。
なので、後悔はしていない。
( 特別達筆ではないし、5級なので履歴書にも書けないが )
姉妹たちも、段を取ったり、資格を取るまでは続けていたので、結果として、まあ良かったということにしておこう。

勿論、字の上手な人に憧れはある。私が大学生になって知り合った友人の中にも、書道師範の資格を持っている人はいた。その友人は人間的にも出来た人であり、素晴らしい人だ。学生時代、その友人のように綺麗な字が日常で書けたらいいな、と思うことは多かったし、友人の様に俯瞰的に色々な視点で物事を判断できる人ってかっこいいな、と憧れていた。

◇◇◇◇◇

小学生の私が書道教室で学んだことは、「大人だからと言って、すべての人が中身も大人である訳ではない」ということと、「師範という資格が、人間的に素晴らしい人と、そうでない人とを見分ける判断材料にはならない」ということだった。



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