見出し画像

君が輝ける場所

Myojo5月号(3月21日発売)から始まった

10000字インタビューSixTONES・Snow Man編

それぞれの今だからこそ語らなければならない熱い思い。もがき苦しんだあの頃、だけど、諦めきれない夢のため...都合のいいストーリーなんて必要ない。新たな約束を胸に、またここから、"スタート"していく。

『僕がJr.だったころ』
画像1

松村北斗 1995年 6月18日生まれ
静岡県島田市出身
身長 177cm
血液型 B型
特技 空手、アクロバット、キーボード
趣味 読書や映画鑑賞など

記念すべき第一回目のロングインタビューは北斗くんだった。読む前から覚悟はしていた。でもやっぱり涙なしではこれを読むことが出来なかった。北斗くんが10000字に託してくれたこの思いをしっかりと心に受け止めた。発売日から少し日が経ったら、noteを書こう。書きたい!ここに残しておきたい!と思っていた。これはあくまで自己満なので、読んでいただける方だけ最後まで読んでくださると幸いです。

画像24

3歳年上の兄とご両親の家庭で育った北斗くん。ちなみに北斗くんの誕生日の4日前がお兄さんの誕生日だそうで、6月の第3土曜日には家族で盛大に誕生日会を行ってるみたいです。大人になった今でも続いてるみたいで、兄とは今でも一緒に買い物に出掛けるほどの仲だそうですよ!

北斗くんの名前の"由来"は「北斗七星」のように、人の道標となるような人間に育ってほしいという願いを込めて両親によって名付けられたみたいです。

北の空に輝く7つの星の北斗七星は、旅人が道に迷った時、空の中心から動かない北極星を目安として大昔から使われていることから。とにかく素敵な名前ですよね!

北斗くんがこの世界に入るキッカケとなったのが山下智久くんの存在でした。小学5年生のときテレビドラマで「クロサギ」を見て憧れを抱き、ジャニーズ事務所に強い関心を持つようになりました。当時、山下くんが所属する「NEWS」のコンサートに行かれたそうで、コンサートではオープニング曲であった「Stand Up」の格好よさに惹かれ、ますますジャニーズ事務所に入りたいと思うようになったそうです。

そして北斗くんはお母さんからオーディションの存在を教えてもらい、履歴書を書いて送るが、事務所からの返事は "なし"

それでも「ジャニーズ事務所」に入れると信じて疑わず、もう一度、履歴書を書いて送るけれど、それも返事はなし。

中学1年生になった北斗くんは「これが最後」とタイムリミットを中学2年生の4月1日までと決めて、もしこの日が過ぎた場合は、返事が来ても断る決意で3度目の履歴書を送りました。

そしたらなんとジャニーズ事務所からオーディションの連絡が!!!!!!(3度目の正直ってやつですかね〜!!!!!!!!!)

実はジャニーズ事務所では、履歴書が山積みになっていて、それを見た事務所のスタッフが処分するものだと勘違いしたそうですが、たまたま北斗くんが送った履歴書が一番上にあったそうで、それをみたジャニーさんが

この子を捨てるのはもったいないから、オーディションに呼んだほうがいい

と言ったみたいですよ。ありがとうジャニーさん😭😭😭

オーディション翌日に「ザ少年倶楽部」出演

こうして北斗くんは、2009年2月14日に東京のオーディション会場へ、静岡からお父さんが車で連れて行ってくれたそうです。オーディションに向かう途中で、まだオーディションにすら受けていないのに期待と不安と緊張が重なって、涙が止まらなかったそう...この涙を当時の北斗くんは不思議に感じたと雑誌で話していました。

無事にオーディションに受けると、オーディションの翌日の2月15日には上京するように言われました。

そして当日、特技の空手の道着などをカバンに詰めて、一人で新幹線に乗って上京します。

そしたらなんとジャニーさんから

この世界はサプライズでできているんだから

と言われ、いきなりこの日のNHK「ザ少年倶楽部」の収録に参加することになったそう。

北斗くんからすると頭パニックですよね😭

画像2

少クラ初登場の時の北斗くん。こーれーは、天使だ。。。

そして、この4ヶ月後の2009年6月4日に

中島健人 菊池風磨 髙地優吾とともに 「中山優馬w/B.I.Shadow」のメンバーとなる

その3日後の6月7日には「フォーラム新記録!!ジャニーズJr.1日4公演やるぞ!」で、「Hey! Say! JUMP」の山田涼介くんと知念侑李くんを加えた7人で、期間限定ユニット

NYC boysとして 「女子バレーボールワールドグランプリ2009」のスペシャルサポーターに就任。

また翌月の7月15日には、「B.I.Shadow」並びに「NYC boys」として「悪魔な恋/NYC」でCDデビューを果たされると、同年末には

「第60回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たした。

画像3

"掴みきれなかった幸せの4枚の葉"

しかし、2011年9月29日「B.I.Shadow」のメンバーの中島健人くん、菊池風磨くん(通称ふまけん)は「Sexy Zone」が結成され、11月にCDデビューをすると、その後「B.I.Shadow」は解散となった。いわゆる自然消滅ですね...北斗くんはその後しばらく仕事がまったくない状態が続いた。

今思えばこれで良かったんだ。ふまけんがSexy Zoneで良かったんだ。

それでも北斗くんは、

負けたままで終わるのは悔しい。周りに対しても、自分に対しても。

と闘志を秘めながら2011年の冬には、「A.B.C-Z」や「Hey! Say! JUMP」のコンサートにバックジュニアとして出演していると「KinKi Kids」の大人っぽいセクシーな曲でのパフォーマンスで、

京本大我 髙地優吾 田中樹 ジェシー 森本慎太郎とともに、テレビドラマ 「私立バカレア高校」のプロデューサーの目に留まった

2014年4月14日、「私立バカレア高校」の浅田哲也役でテレビドラマデビューすることになる

すると深夜枠にもかかわらず高視聴率を記録して、北斗くんは一躍注目を集めたのだ。

その後、2作目のドラマでジャニーさんから

スゴイ役を持ってきたから、頑張ってよ

と言われたのが「黒の女教師」だった。

またもや「Piece」で三期連続ドラマ出演。また10月には「私立バカレア高校」で映画デビューも果たした。窪田崇監督は当時こう言っていた

松村くんは、凄い真面目でピュアな人間。立っているだけで絵を持たせなきゃいけない難しい役の哲也を、本当に上手く演じてくれました。元々の美しい立ち姿もあって、絵になりました。

この辺りから北斗くんの俳優としての道が照らされたのかな。

2015年5月1日 「この6人でSixTONES」

「私立バカレア高校」で共演した京本大我、髙地優吾、田中樹、ジェシー、森本慎太郎とともに舞台「ジャニーズ銀座2015」に出演すると「SixTONES」が結成されることが発表された。同年9月にジャニーさんが、企画、構成、総合演出を務めた舞台「少年たち 世界の夢が...戦争を知らない子供達」でSixTONESとして初主演を務めたのだ。

ちなみに高身長グループと呼ばれるSixTONES、ジャニーさんは

昔は背が小さいほどアイドルとして良かった。時代の流れかな。でも、彼らは大きくてアクロバットができるからダイナミックなんですよ。

と話していた。確かに彼らはダイナミックでかっこいい...Amazing!!!!!!

さて、前置きが長くなりました。ごめんなさい🙏

画像4

この6人ならもっとすごいことになる

__改めてデビューおめでとう

「ありがとうございます。でもまだこっから行くよ。俺、今すごい燃えてて。毎日でも働きたいんですよ。毎日何かやってたい。もっと何ができるんだろうって、これからのこと、グループのこと、メンバーのこといっぱい考えるんです。そうするとこの6人なら。もっとすごいことになるっていつも思う。だから、まだまだです」

__現状には満足できない?

「満足!? 正直今、ダメですよ。全然ダメ。だから、今のSixTONESを "スゴイ!" と言ってくれるならうれしいですけど、まだまだだよって伝えたい。これからの6人を見逃さないでって。こっからだからマジで。そうは言っても、具体的なビジョンがあるわけじゃないんですけどね(笑)俺たち、Jr.時代からいっつもそうなんです。コンサートをやると全部出しきっちゃうから、次のアイデアはゼロ。次のビジョンも見えない。だから今、アイデアはないけど、6人の熱量だけが渦巻いてる状態で。次、何をしたらどうなるかなんてわからない。でも6人のポテンシャル考えたら、こんなもんじゃないから」

主人公の人がカッコいいなと思って

__じゃあ、デビューまでの軌跡を追いたいんだけど、幼い頃のことで覚えてることってある?

「視覚の記憶じゃなくてもいいですか?俺、妙に好きで、フレンチトーストが。理由を探っていったら、離乳食でフレンチトーストをよく食べてたらしいんです。大人になって、ハヤりのカフェなんかでフレンチトーストを食べ歩いたりもしたんですけど、確かにおいしいんです。でも、スーパーで食パンを買ってきて、耳を落として、卵と牛乳と砂糖だけでシンプルに作ったフレンチトーストにメープルシロップをかけたのがいちばん好きで。これが母さんの味なんだなって」

__北斗くん自身も料理するのが好きだよね?

「昔から好きでしたね。母が料理してるのをずっと見てたんで、その影響かな。俺、小さかったころの夢、カレー屋さんとラーメン屋さんになることだったんですね。幼稚園のころ、うまく発音できなくて、"カーレンさんとラーメンさんになる!"って言ってたらしいんです(笑)あとは人並みにヒーローになりたがってましたね。困った人を助けたいって」

__小1で空手を始めたのは、ヒーローになりたかったから?

画像5

「きっかけ、覚えてないんですよね。ただ、誰かにすすめられたんじゃなくて、自分で "空手をやりたい!" って言い出したらしいです」

__稽古、厳しかったんじゃない?

「厳しかったけど、すぐ夢中になりました。ただ、小3くらいかな、上達が止まったんですよね、ピタッと。勝てなくなって、やめたいって思ったことが何度かありました。悩んでる俺を見て両親は、"ここまで一生懸命やってきたんだから、続けた方がいいと思う。ただ、最終的にはあなたの判断だから" って。結局やめませんでした。負けずギライみたいなカッコいい話じゃないんですけど、やめてしまうことで自分の中から何かがなくなることや、親の期待に応えられないことへの恐怖みたいなものが強かったんですよね」

__芸能界に興味はあったの? 

「まったくなくて。小5でドラマ『クロサギ』をたまたま見たんです。普段、ドラマは見なかったのに。主人公の人がやたらカッコいいなと思って。マネしたい、自分もああなりたいって。でも名前すらわからない。クラスで話したら、"アレは山P(山下智久)だよ" って、みんな知ってました。俺が急速に熱中し出したんで、親がファンクラブに入ってくれて、NEWSのコンサートにも行ったんです。コンサートもカッコよかったですね」

__そして、ジャニーズに履歴書を送ることになるんだ。

「1度目を送ったのが小5。1年後に2度目を送りました。でも、どっちも返事はなくて」

__それでも諦めきれなかった?

「はい。だから中1のときに3度目を送ったんです。ただ、その時は親と話し合って。親は焦ってる俺を見て、どこかで区切りをつけないと苦しみ続けるだろうなと思ったんでしょうね。空手の時と同じで、意見を押し付けるわけではなく、"ダメだった場合のことも考えておいたほうがいい" って。だから俺、決めたんです。中2からは高校のことも考えなくてはいけない。だから、もしも4月1日以降にオーディションの連絡が来ても、行かないって自分で決めて」

__事務所から連絡が来たのは?

「中1の2月。リミット、ギリギリでした。動画が残ってるんですよ。定期試験を終えて、家に帰ったら、なぜか母が、ハンディーカムを回してるんです。で、"はい、これ" って1枚のファックスを渡してきて。でも、ジャニーズのオーディションって書いてあったわけじゃなく、"『ザ少年倶楽部』バックダンサーオーディション" みたいに書いてあって。ジャニーズしか出てない番組なんだから、つまりは、ジャニーズのオーディションってことなんですけど、俺は一瞬、どういうことか理解できなくて。母には本当に申しわけないんですけど、期待したようなリアクションはまったく取れなくて(笑)」

七五三掛と俺が、シンメの状況でした

__オーディションはどうだった?

「静岡からクルマで行ったんです。父が運転して、母が助手席、俺が後部座席で。東京が近づくにつれ、緊張と喜びと不安みたいなのが入り混じって。小5から3年間、思い焦がれた夢が叶うかどうか、今日決まる。たった3年じゃないんです。当時13才。13年のうちの3年間ですから。でもダンスなんかやったこともないし、オーディション何人受けるかも分からない。わかっているのは、何か些細な俺のミスひとつで、"帰っていいよ" って言われた瞬間、夢が終わるってこと。思わず涙があふれちゃったんですね。隠してたんですけど、母は気づいてパッと振り返って。もらい泣きしちゃうんじゃって思った瞬間、俺を怒鳴り付けたんです。"泣くんじゃない!!" って。あまりの剣幕に、ピタッと涙が止まって。最近、"あのとき、よく怒ったよね" って聞いたら "オーディションは、カッコいい人しかいないのに、泣いて目なんか腫らしてたら受かるわけないでしょ" って笑ってました」

__会場に着いてからはどうだった?

「名札をつけて、最初はテキトーに並ばされて振りつけを教わり、ひたすら踊って。徐々にポジションを指名されるんです。"君、前に行って。君は下がって" って。すごい記憶に残ってるのは七五三掛(龍也)で。隣で踊ってたんですね。かわいい顔したコだな、でも、ダンスめっちゃ踊れるなあって。そしたら、ジャニーさんが、俺の隣に来て、履歴書に英検の何級かを持ってるって書いたからだと思うんですけど、英語で突然話しかけてきたんです。発音がネイティブな感じだったんで、全然聞き取れなくて "え!?" ってなって。ああ、ヤバイと思ったら、休憩時間に、ジャニーさんと振りつけ師さんに呼ばれ、"おまえは休まず練習を続けろ" って言われて。俺、相当ダメだったんだなって落ち込んで。でも、練習しようにもダンス経験がなくて、振りを覚えてないんですよ。そのときに頼ったのが七五三掛で。"ゴメン、振り全然わかんないから教えて" って。練習が再開され、七五三掛と俺が少しずつ前に呼ばれ、気づけば最前列のセンターで踊らされて、いわゆるシンメみたいな状況でした」

画像6

同期コンビの入所日ポーズがかわいい😭😭😭

__結果はどうだった?

「翌日が『ザ少年倶楽部』の収録で、ジャニーさんに、"来れる?" って聞かれて。俺は "来ます!" って。ただ、オーディションの夜、ジャニーさんから電話があったんです "YOU、明日来なくていい" って。理由を聞いたら、"YOUは静岡で遠いからいい。もっとすごいことさせるから" って。じゃあ、その "すごいことってなんですか?" って思うじゃないですか。俺を傷つけず、断るためのウソだとしか思えなくて。俺にはそんなシンデレラストーリーが起こるわけないと思ってましたから。そんなうまくいくなら、とっくにうまくいってる。だから、"絶対、行きます" って言い続けて、最後はジャニーさんが折れる形になって」

__押し切って収録に行ったんだ。

「はい。そしたらジャニーさんがみんなの前で "YOU、なんで来たの!" って大きい声で言うんで、俺めっちゃ恥ずかしくて。そしたら笑って、"すごいやる気があるんだね" って、急きょ『Jr.にQ』ってコーナーに出してもらえることになったんです。待機部屋に連れられて行くと五関(晃一)くんがいて、"五関このコ連れてっちゃいなよ" って。五関くん "ああ、わかった" ってすっごい軽く返事して。すぐ順番が来て手を引っ張られ、ステージに出ていったら、俺が大好きだったNEWSの小山(慶一郎)くんと中丸(雄一)くんがいて。『ザ少年倶楽部』、ずっと見てたから、自分がそこに立っていることが信じられなかったですね」

YOUがあれだから。そういうことだから

__入所直後、B.I.Shadowへの加入も決まり、ジャニーさんが言っていた、本当に「すごいこと」が始まったよね。

「入所して2週目の『少クラ』のリハーサル中かな、"すごいスターがいるから、そのコとずっと一緒にいなさい。このコのグループにずっとついて行きなさい" って紹介されたのが中島健人だったんです。"あれがB.I.Shadowで、YOUがあれだから。3人だけど、4人だからね。そういうことだから" って言われて。俺はもうパニックで。"そういうことってどういうこと? グループ入ったってこと? 俺がB.I.Shadowなわけないよな" って」

__本人すら半信半疑だったんだ。

「はい。次の週のリハーサルで、振りつけ師さんに "B.I.‼️"って呼ばれたんで俺もついて行くと、周りは "え!?" ってザワつきましたね。でも、健人と風磨は、ホントによくしてくれたんです。当時、俺が振りつけを聞いても "ちょっと待って" って教えてくれないときがあって、"頼りになんねえな" って思ったこともあったけど(笑)ただ、今になって考えると、当時ふたりも入所して1年。よく、あそこまで俺の面倒を見てくれたなって。空いてる時間、ほとんど俺の振りつけ見てくれてたんだもん」

__その後、中山優馬 w/B.I.Shadowや山田涼介、知念侑李が加わったNYC boysとしても活動。CDリリースや紅白出場も果たしてる。

「全部、入所1年目のことですからね。ホント激動の1年でした」

__当時、山田くんや知念くんとはどんなことを話したか覚えてる?

「それが、まったくと言っていいほど話せなくて。全力で人見知りだったんですよね」

__でも、入所直後の雑誌のインタビューでは、「長所は人見知りしないこと」って答えてたよ。

「きっと強がったんでしょうね。新しく入ってきたんで、気さくで無邪気な弟キャラというか、誰からもかわいがられなきゃって。だけど、実際はムリで。俺、根は明るいんですよ。おしゃべりだし。でも、人見知りっていう、めんどくさい感じで」

__その後、徐々に仕事量が減った時期があったよね。

「ありましたね。最初はかすかな違和感で、それが少しずつ大きくなっていったというか。"あれ!?" 今月B.I.Shadowで取材がなかったけど、健人と風磨、ふたりだけで取材受けてるな" とか」

__なるほど。

「中学生でしたけど、NYC boysにしても、大文字と小文字、そこに込められた意図には気付くんですよ。3人が赤い衣装で、俺らが後ろでちがう衣装を着てる。仕事が徐々に減っていったけど、俺はもうただただ必死で、すがりつくしかなくて。健人と風磨、ふたりだけで歌う予定の曲を、振りつけをひとりで覚えて、"俺も踊れます!" って一緒に出してもらったりして。でも当然、マイクを渡されることはなくて。もうダメなのかもしれないとも思ったけど、どこかにこの世界で生き残る活路はないかって、あがいてました。地元の友達や親を失望させたくないって気持ちもあったし、何より自分が憧れて入った世界だから、簡単に諦められないんで」

__入所後、すぐにグループにも入り、周囲にはエリートに映ったたかもしれないけど、本人は必死だったんだね。

「ですね。少しでも仕事を増やしたいと思って、高校から上京することも決めて。事務所の人に話したら、"静岡にいても活動できるよ" って言われて。だから、"芸能活動のためじゃないです。入りたい高校がたまたま東京なんです" って伝えて、上京してから "東京に住みました" って事後報告して 」

__だけど、Sexy Zoneのデビューが決まり、B.I.Shadowは実質活動休止状態になってしまった。

画像7

「一気に仕事がなくなって、踊る位置もどんどん下がって。1ヶ月、まったく仕事がないこともあたって、さすがにヤベーってそのときは思いました」

__でも、諦めず前を向いたよね。

「そう言ってもらえるとカッコいいですけど、内心は不貞腐れてもいたし、それと同時に呼ばれたときは "認めさせてやるよ!" みたいな真逆の思いがぶつかり合って。ようはグレたんです。手を抜いて踊るとかは絶対しなかった。でも、先輩のバックだろうが、"オラ! 見ろ見ろ! 俺を見ろ!" みたいなマインドでステージに立って。メイクもギラギラ、アクセサリーもジャラジャラで。今でも覚えてるのが、Hey! Say! JUMPのバックで踊ったとき、Jr.コーナーでKinKi Kidsの『Family〜ひとつになること』を歌わせてもらったんです。素敵なバラードなのに、めっちゃ睨みを利かせ、指にはドクロの指輪。自分を何者かに見せようと必死で。誰よりも本人が、自分は特別な人間なんかじゃないことに気づいてたのに」

__もがいてたんだね。

「今の俺が当時の自分を見たら絶対注意してると思います。当然、周囲からも "感じ悪い" "イメージ悪い" "調子乗ってる" って声が聞こえてきて。ただ、そのギラギラな姿をドラマ『私立バカレア高校』のプロデューサーの方がいて、"スゲー尖ってるヤツがいておもしろい" って、起用を決めてくれたんです」

__そんな経緯での抜擢だったんだね。

「はい。選んでいただけたという結果を、あのころの自分がしたバカなことの言いわけにしちゃいけない。ただ、それでもあの日の俺は全力だったというか。人生、いろんなことが繋がってる。正しいかどうかは別として、必死さは必ず何かを生むんですよね」

俺、このグループで成功しても、もつかな...

__現SixTONESのメンバーが揃って出演した『バカレア』は大ヒット。いつかこの6人でデビューするかもしれないって感じた?

「予感はしなかったです(笑)なんか寄せ集めだなって気はしてました。チグハグな6人が集まった印象というか。ただ、6人でいるとおもしろいなって思う瞬間もあって。家庭で作るハンバーグというか。まちがってもステーキじゃないし、レストランで出てくる牛肉100%のハンバーグでもない。いろんな部分の寄せ集め、合挽き肉で作った家庭のハンバーグ。でもスッゲーおいしいかもみたいな」

__少しずつグループ意識のようなものは芽生えていったの?

「はい。『少クラ』で6人で歌わせてもらえたり、『SUMMARY』やコンサートも6人でやらせてもらううちに。ただ、最初は、誰もが自分が成功するための道というか、生き残る道、このグループにすがるしかないって気持ちが強かったと思います」

__個人的には2013年、MYOJOで行っているJr.大賞の恋人にしたい部門で1位を獲得してるよね。

「うれしかったです。まさか選んでもらえると思ってなかったんで。『バカレア』という作品に押してもらったと思いますし、Sexy Zoneがデビューした後だったこともあって、俺にもデビューしてほしいと思ってくれた人がいてくれたのかなって。1位を取ったJr.はデビューできるってジンクスってありますよね!? 1位を取れたんだから、俺もデビューできるかもしれないって、ランキングの結果が心の支えになってましたよね」

__そして、2015年5月、ついにSixTONESとして正式にグループになった。

「19才。このグループにどんな未来が待っていても、俺が参加する最後のグループだろうなって思いましたね。これでダメだったら後はない。ラストチャンスだって」

__結成直後、デビューできると思ってた?

「最初は一切思わなかったです。デビューできないんだなって全力で感じてたっていうか。なかなか人気でないなって、笑えてくるくらいどうしようって思ってました」

__そうだったんだ。

「俺自身、悩んでましたからね。もしこのグループで成功しても、俺、もつかなって。もしかしたら、どっかでやめちゃうかもなって」

__そんなに思いつめるって、何があったの?

「ちょっとずつグループやメンバーに対して、"アレー!?" って思うことが増えていったというか。俺も好かれようとしないし、好いてもらってるとも思ってなかったし。全員、後がないともがいて、余裕がなかったんでしょうね。メンバーなのに傷つけ合ったり、グループなのに、見境なくぶつかったりもして。思い通りにいかない理由を誰かのせいにしたりしてた」

画像8

__例えば、どんなこと?

「例えばですよ。今は振りつけを揃えつつも個々がアレンジすることが当たり前になっているし、メンバーのアレンジを尊重し合ってる。でも当時は、アレンジひとつしたら "それちがうんじゃない?" と咎めたりしてた。"あいつは間違ってる" って。人を責めると自分が正しいような気になれるんですよ。そんなこと全然ないのにね。それを俺もメンバーに対してやってたと思います、いろんな部分で。その内紛のような状態に俺は耐えきれなかった」

__なるほど。

「誰にも正解がわからない世界じゃないですか。だったら自分のことは自分で決めようって壁を作って。メンバーのアドバイスも指摘も全部遮断するようになったんですよね。楽屋ではメンバーと話をしなくて済むように、イヤホンをしながら、ずっと本を読んだり」

画像9

画像10

実は盗み聞きしてた北斗くんかわいすぎ☺️☺️☺️


__やめたいと思ってた?

「おしゃべりな人見知りをこじらせたというか......。そんな態度を取りながらも、メンバーとは話したかったし、やめたいって思ったことは一度もなかったんです。このグループじゃ、もたないかもと思いつつも、どっかで、もたせながら続けようとも思ってた。とはいえ、隠しきれず親にはよく心配されてました。俺がギリギリに見えたんでしょうね。 "サークルや部活だと思えばいい。もちろんお金をもらっているからバイトだと考えてもいいからね" って。俺は "まあね、まあね" って軽い感じで返事しながら、心の中で、"心配かけてゴメン" っていつも謝ってました。 "ゴメン、それでも俺は続けるよ。やめる気はないんだ" って」

__メンバーは全員、「北斗は本当に変わった」って言ってる。何かきっかけがあったの?

「今じゃ楽屋で俺がいちばん話してるくらいだからね(笑)でも、特別な出来事で世界が一変したってことじゃなくて、点と点が結ばれ線になる瞬間が訪れたというか。それに俺からしたら、俺が変わったんじゃなくて、みんなが変わったことで、俺が素を出せるようになったって感覚のほうがしっくりくるかな。全員が変わったんですよ。大人になったって言ったら耳触りはいいですけど、6人でい続けることで、少しずつ心の余裕が生まれたというか」

__点と点が結ばれたって、例えばどういうこと?

「うーん、例えば、俺はずっとお芝居を楽しいなって思ってたけど、全然うまくなかった。それがコンプレックスですらあったんです。以前は、"何がやりたい?" って聞かれても、自分がやれることしか言ってはいけない空気みたいなものを勝手に感じていて。だからお芝居やりたいって一切言えなかったんです。グループ結成直後の雑誌の取材とかで "北斗くんは今後、何がやりたい?" って聞かれても、俺は何も言わない。そのときに、必ずジェシーが "こいつはお芝居やりたいんですよ。演技で映えるルックスもしてるから、こっから絶対、俳優としても伸びていくと思います" って言ってくれたんです、ずっと。あるときふと、この人にずっと言ってもらってるだけじゃダメだって思って。やりたいことを自分から言うようにしてたんです。 "芝居をやりたいです。ただ、うまくないのはわかっているので、成長できる機会がほしいです" って。それで、映画をもっと見なきゃ、あれをしなきゃ、これもしなきゃって、生活や行動、趣味が変わっていった。ジェシーからだけじゃなくて、メンバーからもらったきっかけ、何気なく見えた点がほかの点と繋がって線になり、僕に変わるきっかけを与えてくれたていたことに気づいたんですよね」

画像11

画像12

6人で円陣を組んでワンワン泣いて


__2018年に入ると『ジャニーズJr.チャンネル』などでも活躍の場を広げ、表紙を飾った雑誌が異例の重版決定など急激に露出も増えていく。風向きが変わったと思う瞬間ってあった?

「2017年、『Amazing!!!!!!』をやったころですね。あの曲でグループの目指す方向性が明確になったというか。あの時点における集大成だったと思います。あのあたりから、俺はメンバー全員の変化を感じたしね。ある意味で『Amazing!!!!!!』がSixTONESの本当のスタートだったのかもしれない」

画像13

__ただ、デビューにはこだわらないという発言を繰り返していたよね?

「正直に言うと、こだわらないというよりも、デビューを諦めていたということが少しはあったと思います。ただ、デビューするかしないかのちがいっていくつもあると思うんですけど、俺が思う最大のちがいは、デビューできなければ、そのグループはいつか消える。メンバーも変わる可能性があるってことだと思うんです。デビューしてやっとグループとして認められることってあるから。でもデビューしようがしまいが、SixTONESは消えない。ずっと残り続ける。いつからか、そう思えたんです。誰から言われたわけでも、メンバー同士で約束したわけでもないのに。それがデビューにこだわらなかった最大の理由です」

__そして2019年、6月28日、ジャニーさんの病室でデビューを告げられ、8月8日、総勢300人のジャニーズJr.が出演した『ジャニーズJr. 8・8祭り』で発表することに。

画像14

「8月8日は厳粛な場だったというか、あの日、俺たちがやらなければいけなかったのは喜びの感情を表現すること以上に、デビューという事実をその場にいるすべての人にきちんと伝えることでした。Jr.として一緒に戦ってきた仲間、それを支えたファン。もちろん俺たちを支えてくれた人もいるし、ライバル視していた人もいたはずで。ある人には喜びの、ある人には残酷な発表だったはずだから」

__同時デビューをしたSnow Manはどんな存在?

画像15

「もちろんライバルではありますけど、完全に仲間です。グループがちがうだけって感じですかね」


__ずっと心配していた家族には、どうやってデビューを伝えたの?

「あの日、すぐに電話で伝えました。何気なく言われた "よかったねえ" って言葉が忘れられないんですよね。うまく言葉にできないですけど、俺の人生、俺に託してくれたんだなって。俺の人生を俺のものとして見てくれていた。」

信じてくれてありがとうって伝えたいです

__まさに苦楽をともにしたメンバーに、今、伝えたいことはある? まずは髙地優吾くんから。

画像16

「ジャニーさんが、俺に "すごい相性のいいコがいるよ" って言ってくれたのが髙地だったよね。B.I.Shadowが休止状態になっても、"ふたりはずっとペアで" って。だから、これからも一生一緒だね」

__ジェシーくんへ

画像18

「こっからも頼むね。もちろん俺らもがんばる。だけど、キミがグループの顔、うちのセンターだから」

__田中樹くんへ

画像18

「めっちゃエンジンかかった樹、最強なんすよ。樹、君はすごい。自信持ってね。」

__森本慎太郎くんへ

画像19

「グループ最年少ってことで、まだまだ遠慮してるとこもあるよね。でも、これからメンバーで一緒に年令を重ねて大人になる。そしたらその差はもっとたいしたもんじゃなくなるよ」

__京本大我くんへ

画像20

「......ずっとその背中を見せてね、かな。俺はプロ意識とかそういうのは、誰よりもずっと京本から刺激を受けてる。芸能界ってスゲーなって思わせてくれた人だから。

もしちがう職業だったら、"尊敬してるよ" って素直に口にできたかもしれない」


__最後にSixTONESが「この6人でよかった」っていちばん思った瞬間っていつ?

「今年の1月7日かな。『TrackONE -IMPACT-』、横アリラストのWアンコールのとき。Jr.最後のステージ、そのステージの最後の瞬間。俺はデビューが決まったときからずっと "SixTONESは2015年5月1日に始まったグループで、2020年1月22日にデビューする。でも、デビューの日に何かが変わり、何かが始まる、そんなグループじゃない" って言い続けてたんです。だけど、あのWアンコールのとき、ステージ上で6人で円陣を組んで、みんなが目を合わせ "ありがとう!" って叫びながら泣いた。もう恥ずかしいくらいワンワン泣いた。

画像22

俺もメンバーの目を見ながら、"こいつらに救ってもらったんだ。だからこの6人でよかった"

って思ったら涙が止まらなくて。

こいつらのこと大好きだなって心から思った。

画像21

ずっとデビューは関係ない、俺たちはずっと一緒にいるって信じてたけど、きっとどこかで引っかかっていたんだと思う。ずっと一緒にいられるのかなって。あの円陣を組んだときだって、メンバー間で言葉にして確認し合ったわけじゃない。でも、あのときが

"この6人でずっと一緒にいよう" って約束を交わし合った瞬間だったんだと思う。

俺、円陣組みながら思わず、"あぁ、終わっちゃったぁ" ってポロっと言葉があふれて。あんだけ "デビューの日に何かが終わり、何かが始まるわけじゃない" って言ってたのに。スゲー楽しくて、その何倍も辛くて、メンバー同士、傷つけ合い助け合いもした。でも、どんなときでも全力だった。あの日、あの瞬間、そんなJr.時代が終わり、6人で新たな約束を胸に歩き出したんだと思います」

あの日の偶然の出会いから 始まった僕らのストーリー きっと "奇跡" なんだ。

画像23


最後まで目を通してくださった方はありがとうございました😭😭😭

ただの自己満ですが、いつでもどこでも北斗くんの10000字を読み返せるように、noteに記録しました。

そして、北斗くん。。。デビューできて本当によかった😭ずっとSixTONESで居てくれると思うと安心します...これから先も辛い壁は訪れるかもしれない、未来のことはわからないけど、この6人なら、そして北斗くんなら大丈夫だと信じてます。

世界が北斗くんの敵になっても、ずっと味方だよ〜‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️💪

憧れだったジャニーズを精一杯、楽しんでね。あなたの笑顔が私の笑顔です。

画像24