とりあえず花子を置いてみる

まず、花子という女性をひとり置いてみる。ここから物語風景は立ち上がる。「花子はどこにいるのか、どこにいるのが適切なのか」を考えれば良いのだ。そうすると、新宿や渋谷では少し華美に過ぎることが容易に想像できる。花子はおそらく化粧下手である。それは、鬼瓦権三が毛むくじゃらで汗臭いのと同じ理由からである。ニュアンスはそれぞれ固有に意味を持ちうる。化粧下手な花子を渋谷や新宿に置いても、おそらくは街の色に押し潰されるか、向かいから歩いてきた新宿サブナードで働くアパレル店員二人組に笑われるのが関の山だ。
そう考えると渋谷や新宿よりも岐阜あたりに置くのが正しいような気もするのだが、それでは岐阜からクレームが入るだろうし、何より私が岐阜をよく知らないので、グーグルマップを通してしか風景描写ができない。渋谷や新宿のみならず岐阜にとっても、花子は異物なのだ。
では花子をどこに置くべきか。ってかマジ何処住み? ラインやってる? ラインは多分やってるだろう。私の母でもやっているのだから、おそらく花子もラインぐらいは登録しているはずだ。こうした尺度は、しばしば自分の身の回りを見て判断できる。
ここは試みに、花子を23区外に置いてみよう。都心に遠すぎず近すぎず、乗り換え無しで新宿や渋谷に行けるあたり…………アレだ、西荻窪だ。杉並区民はみんな新宿(決して渋谷ではないところが重要である)に近いという点にプライドを持っているイメージがあり、私などは少しばかり眉をしかめてしまうきらいがあるのだが、そういった点を含めて花子は西荻窪に住んでいる。アーケードは煤けているのに、両脇に並ぶのはレンタルビデオのチェーン店やいかにも都民好みの雑貨屋である。花子にはそうした西荻窪という土地の持つニュアンスも一緒に背負ってもらわねばならない。
さて、なんとなく置いたひとりの「花子」に、様々な属性が付与されて、そこから様々な風景が立ち上がる。あとは花子を西荻窪に住まわせるだけで、自然と物語は動き始めるのだ。

ほら、TSUTAYAから黒い手提げを持った花子が出てきた。花子は、どうしてTSUTAYAの手提げは中途半端なサイズなのだろうと思っている。それ自体手提げの形になっているから、別のカバンに入れるのもおかしな気がする。とはいえ、カバンや手提げ袋ほどには自己主張が無い。
「なんだかお前、私みたいだな」と花子は思う訳である。

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