気難しい友人の話

 僕には気難しい友人がいる。「友達」と呼ぶにはどこかこちらに「落ち度」があるようでいたたまれないので友人だ。
 彼とは高校で出会った。深い低音を持つ彼は、その声のせいなのかクラスでは大きい声を出すこともなくいつもじっと佇んでいる生徒だった。「『雨ニモマケズ』だ」とその時は思っていた。

 中学の同級生12人に対しクラスは6つ。最低でもひとりは同じクラスに顔見知りがいるだろうと高を括っていた僕は、見事に知らない34人だか35人だかそのくらいに囲まれた。「しまった」と思った。俺だけ重りを着けて戦わなあかんのかい。
 思わず地の文の一人称が変わるくらいゲンナリした時期もあった訳だが、ムードメーカーの薄っぺらい物知り男にニッチな知識を披露して取り入った僕は、何とかクラスでアングラな人気を博して溶け込もうとしていた。

 そんな中、確か同じ班か何かになって話し始めた気がする。思い返せばあの頃から彼は一貫して気難しい。付かず離れずの関係という言葉を額面通りに受け取ると僕と彼のようになる。主張を表に出さない彼に対して、主張を引き出したり、こちらから察して良い塩梅に図らおうとしつつも時に苛立つ僕。苛立ちを察して、というよりこちらから察させて、恐縮する彼。
 その後、同じ大学の違う学部に入って、季節ごとにうちに来て「ときめきメモリアル2」だの「ドキ! アイドルだらけの水着大会」だのといった、いわゆるところのクソゲーを一晩中プレイしたり、札幌ドームへファイターズ戦をわざわざビジター側の席で観に行ったりした。だいたい最後はお互いがお互いに飽きて、言葉少なに帰路につくことになる。そうして、また数月経って誘いのメールが来る。

 東京生活を始めて以降、いちばん高価な娯楽品の買い物はPS4だと思う。クレジットカードでえいやっ!っと買った。オトナだ。すごくオトナだ。とはいえ、これも彼との約束のために半ば買わざるを得ない形になって踏ん切りをつけたようなものだった。パワプロの新作が出たら通信対戦をする約束をしてしまったのだ。
 そうして今、「他のゲームは買わないんですか」と言われて半ば追い込まれて買った「地球防衛軍」でエイリアンを撃ち殺しながら、ふとこの気難しい友人のことを考えている。

「友達」と呼ぶにはどこかこちらに「落ち度」があるようでいたたまれないので友人だ。

 もしも僕と友人の両方が、このように同じ思いから互いのことを「友人だ」と見做しているのならば、その関係はすでに「友達」であるとは言えないか。

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