2人1組の苦行 『さよなら渓谷』

 3度目の『さよなら渓谷』を観ていて、ふとノートを取ってしまった。普段は大事な感想を3つほど覚えておいて、観た後すぐにiPhoneのノートにそのキーワード3つと、それをもとにした短評を書くことにしているのだが、今回は家で観ていたこともあって、すっと近くのノートに手が伸びた。

 そんなわけで、読む人もいないことは承知で、ここにも映画評を書いてみることにする。もう25だし、そういうことの一つでもやっておかないとダメだという気がなんとなくしたので。

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 Filmarksという素人映画評サイトがあるらしく、そこでの感想が「序盤の真木よう子さんの横乳に全てが詰まっている」だったのはある意味で最高なのだが、この映画で見るべきはむしろ真木よう子とまぐわっていた大西信満の驚くべき「猫背力」だと思う。もうほんと、終始猫背。猫界の映画賞も総なめしそうな勢いで。

 あの「猫背力」が、中盤から終盤にかけて明らかにされる、不幸をよすがとした主従関係の「従」を強く印象付けるアイコンというか、もう完全にアナタ真木よう子に従う立場ですよね、というのが一発でわかるこれ以上ないナビゲーションになっていくのだ。

 話は東京の西のほう(僕の見立てでは檜原村とかかと思っていたのだが、どうやら日の出町らしい。ニアピン)であった、とある子どもの殺人事件がきっかけとなって始まる。序盤から濡れ場パラダイスなので、真木よう子の横乳マニアには垂涎モノであることは論を待たないが、問題はこの殺人事件に、真木よう子演じるかなこの旦那(尾崎俊介=大西信満)が関わっているのではないかという疑惑が出たことにある。それもリーク先が内縁の妻、つまりかなこ。この旦那、実は大学時代は将来を有望視されていた好投手だったのだが、レイプ事件を起こして野球部を退部してしまったといういわくつきの男。そんな過去もあってマスコミがやんややんやと騒ぎ立てる中、週間プレスの記者である渡辺(大森南朋)と小林(鈴木杏)が、かなこの正体がレイプ事件の被害者本人であったことを突き止めて……というあらすじ。

 レイプしてしまったかなこのことを尾崎はずっと気にかけていて、あるきっかけで二人は行動を共にすることになる。心身ともにぼろぼろになったかなこに、「私以上に不幸になってよ」と責められる尾崎。金も無く失踪同然のかなこを見守り続けることしかできない尾崎。二人は都内から冬の日本海まで、あてのない逃避行を続けることになるのだ。

 この映画、ひとことで言うなら「二人一組でおこなう苦行」映画なのである。ひたすらかなこに対し金銭的援助をするのは当たり前、「もうついて来ないで」「(通り過ぎる親子を見ながら)あんたにあんなことされなければ、今ごろは私も……」など数歩歩くごとに詰られる目にあっても、逃げることなくかなこに付かず離れず見守り続ける尾崎。たまに"適度"な試練がかなこから与えられ、"適度"に心身にダメージを与えられ続けて、また苦行は続く。

 でも見続けていると思うわけです。この試練は、「かわいがり」だ、「愛」だと。熱心な真木よう子横乳信者はSだMだとエロスに結びつけて解釈してしまいそうだが、それは早合点。手近な快楽の話じゃなく、もう少し大きな話なのだ。それを僕は苦行、と表現したい。

 そんなことを考えながら終盤まで観ていると、序盤の一見不可解な妻からの殺人リークも、腑に落ちてくる。そう、これも「かわいがり」の一種に過ぎなかったのだ。そう考えると、ラストシーンでもうひと転がりする展開も、苦行の続きとして捉えられてくるように思うのだ。


 と、もうかれこれ4年前の映画についていろいろ書いたわけだが、札幌のミニシアターで見た4年前より、ちょっとはまともな感想になっているはずだ。ちなみに、真木よう子の横乳も好きですが、大森南朋の年相応にタルッとした半裸姿に、僕はシビれました。

 そんなことを言っているうちに、日本シリーズが5回ウラまで進んでいる。DeNAには浩康がいるし、ソフトバンクはいま川島慶三が打席に立っている。実質ヤクルトの日本シリーズだということにして観戦している。

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