僕はもう3回も勝手にふるえている

『勝手にふるえてろ』、最高。自分の「名刺代わりの一本」を見つけたような気にさせられた。一度観て、原作本を読んでもう一度、大九監督のトークがあるというのでもう一度、計3回観に行った(まだ公開中だから、もう1,2回行くかもしれない)。

 彼氏をつくったことがなく、中学時代の憧れの存在「イチ」を何度も脳内に召喚することによって日々妄想をふくらませている、いわゆる「こじらせ女子」である江藤ヨシカ(=松岡茉優)。そんなヨシカが会社の同僚に告白され(イチに次ぐ男としてヨシカの脳内では「ニ」と名づけられる)、イチとニとのあいだでヨシカが揺れるというのがおおざっぱなあらすじ。綿矢りさの同名小説が原作。

 序盤から印象的な、ヨシカが街の人々をかわるがわる相手取り、世間話やら自分のイチとニへの思いやらを話していくおしゃべりのリレーのようなシーン。独白の多い原作小説を上手に映画の手法に乗せているだけでなく、あとあと出てくるどんでん返しへの見事な伏線にもなっていて、ここだけでも観た甲斐があったというもの。
 また、原作が2010年の発表ということもあり、SNSの普及し始めの時期だったと思われ、それに対して映画中で「普通の人ならこういうことはSNSで書くんでしょうけど……」とヨシカが発言したり、他人名義のFacebook上で自分の心情を吐露するといった行動を通して、ヨシカにとっての「私と世の中の限界」の距離感の表現が現代版にアップデートされて描かれているのも良かった。

 ラストシーンは雨が降りしきるヨシカのアパートの玄関で展開される。それまで、会社やデート先では身長差によってニがヨシカを見下ろす(目線的に)関係だったのが、玄関の床の上に立つヨシカと土間に立つニという位置関係によって目線が逆転していることに注目しながらラストを見届けて欲しい。


 とはいえ結局何が一番良かったのかというと、自分の思春期以降の内臓の奥の方に溜まってたものつまり黒歴史、そして黒歴史と折り合いをつけて生きていくためにこじらせたりねじくれたりしなければならなかった、自分のこれまでの生き方を痛々しい喜劇のかたちでまざまざと見せつけられたのが痛気持ちよかったということ、これに尽きるのだと思います。同窓会での所在無さとか、マジで俺だ、アレは……

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