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DO TO(7) 「あれから好きな画家は河原朝生」


小西さん

お手紙と送ってくれたダウンジャケットは、本当にありがとうございました。いま私の部屋には花が飾られています。この年の暮れをこんな気持ちで過ごせるとは思いませんでした。人間は生きにくいと、楽なほうへ、楽なほうへと動かされるものです。私のゆく路は、いかにも下り坂でした。しかし、それとは別に、ある一定のどん底に達すると「これ以上は落ちる心配はない」という気持ちにわれしらずなるものです。 
十二月のおしつまった今の私の感慨は「自分が満足する絵が描ければいい」という気持ちです。環境が変われば、考え方が変わるのは当然かもしれません。それでもです。人生が下り坂の急勾配でも、自分を見失わず、権力にへつらわず、堂々と社会の不正には抵抗する正義感が必要だと思います。
私が好きなのは厳格で庶民的なプロトバロックの絵です。あなたも知っているように、プロテスタントとカトリックの対立から生まれた様式は、華麗さよりも真実味を求め、キリストを身近に感じることで血の通った信仰心を情動しているのです。
最近、宗教というものに興味が出てきました。頼るあてのない私はすべてを耐えしのぶしかないのですが、それでも悩んでいるより祈っているほうがいいのです。絵を描く、描かないに関わらず、真剣に生きている人の心の奥底には、なにかしら「願い」や「望み」があって、それは信仰とは無関係ではいられないと思います。そこには、ひれ伏して学ぶべき価値があり、真理が隠されていると思うのです。いつの時代も画家は何が真理であるかを見極める姿勢はくずしてはならないと思います。

エリさん

あなたも知っているように、大友さんは宗教にかぶれていた。当時の私は宗教をペテンと考えていたので、何とか彼の足を洗わせようと、また彼は彼で、在学中になんとか私を引きずり込もうと、互いに卑小なもくろみを抱きつつ奇妙な人間関係を続けていた。結局、私には神を信じるという才能がなく、大友さんもついに信仰を捨てることはなかった。ただ、私は宗教というものに対して、全くというか、私にとって新しい価値観を彼から植えつけられた。大友さんと直接の利害関係のない今となって、私は宗教の中に人間が手をたずさえて生きる知恵や、学ぶべき理想を見出すことが出来るようになり、少しずつだが、自分よりも偉大な存在の前にひれ伏すことの意味を覚えているところだ。
もちろん、私は評論家だから、完全にひれ伏しては売り物になる記事は書けない。そして、私は集団の中で交わることは苦手で、聖書に目を通し、自分の行動をいさめて律するという消極的な方法で、私の信仰を続けている。宗教の真理は結局、自分自身の説得において発揮するもので、集団の中で身に着ける意識はかざりなのだという気が私にはするのだ。
とはいえ、宗教をしている人を偏見なく見る目は大切で、生き生きとした連結を必要としている人もいることを私は心にとめなくてはならないとも思っている。宗教も芸術もそれを本当に必要とするのは幸福ではない人と思う。

小西さん

昨日はお返事をしないままになってしまい、すいません。そろそろお休みになられるころかなと思い、失礼しました。今日はクリスマスですね。丘の上の教会に行ってきました。以前から気になってはいましたが、天井に壁画のある立派な教会です。人間は不幸が続くと、何かにすがりつきたくなるものかもしれませんが、それでも、こういう場所に来ると神聖な気持ちになります。
讃美歌をうたい、うたい終わって、又うたいましたが「聖しこの夜」を思い起こすのにさえ時間がかかりました。教会に来る人はおじさんも、おばさんも服装はきちんとしていて、生活にもゆとりがあるようでした。礼拝の後に献金をするのですが一万円札を用意している人もいました。小西さんは集団の中で持つ意識は飾りなのだと言っていますが、私にはあれはどこまでも善意なのだという気がします。 
 
エリさん

記憶があいまいになってはいるが、マンマは芸術に対して清教徒的な気風があったね。人生とは一筋の光があれば生きていけるものだ。良き夕べでありますように。

小西さん

あれから、夜遅く歩いて我が家に帰って、新聞受けから一枚の封筒をとりだしました。なかに赤いクリスマスカードが入っていました。それを開いて音が鳴ったので私は思わず「あつ」とさけびました。流れてきたのは私が歌詞を忘れていた「聖しこの夜」でした。そして、一万円札が五枚入っているにはびっくりしました。画材代だなんて。
この一年は真剣に重苦しい毎日でした。それにくらべると大学生活のことは、まだ恵まれていたきがします。それから、私の本当の苦悩ははじまりましたが、その私の不幸を小西さんはどんな時も鋭敏に受け止めてくれました。いつも私の痛みを自分の痛みとしてうけとってくれました。人間というものは自分勝手な生き物で、犠牲や同情も、ちゃんと計算して、仲間同士の絆に役立てるものですが、でも、私たちは初めて出会った時から打算のない友人だった気がします。あなたのお気持ちとお言葉を励みにしています。言葉にならないほど胸がいっぱいです。長々すいません。また、夜分に、お休みしていたら、申し訳ありません。

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