掛川西高校 素敵なOB/OG紹介 掛川城公園管理事務所長・木曽美雪さん
静岡県立掛川西高校の素敵なOB/OGを紹介していきたいと思っています。
今回は、元SBSアナウンサーで、現在掛川城公園管理事務所の所長さんをしていらっしゃる木曽美雪さんです。
(かけがわ街づくり会社のサイトより引用)
木曽美雪さん
今回注目する木曽さんは、掛川西高校でオペラに没頭したあと音大に進学、その後方向転換をして静岡放送(SBS)のアナウンサーとして大活躍。現在は掛川城周辺の諸施設を管理する掛川城公園管理事務所の所長として活躍されています。
掛川西高校時代
掛川市立北中学校から掛川西高校に進学した木曽さん。中学校から声楽志望で「かけがわ応援大使」でも知られる加納 堅志にピアノと声楽を教わっていました。兄弟弟子には同じく「かけがわ応援大使」でテノール歌手の榛葉昌寛さんがいらっしゃいます。
掛川西高校に入ると音楽部に入部。当時オペラで有名だった掛川西高校音楽部でオペラ漬けの高校生活を送りました。
当時の音楽部は毎年オペラの作品を1年かけて作ります。
外国の楽譜を取り寄せて翻訳。衣装も手作り。
年に1回のオペラの発表会は、学校の第一体育館で休日行われ、生徒のみならず一般の方々も来場される人気のイベントでした。
一番の思い出はドニゼッティの「愛の妙薬」というオペラ。
(MUSICA CLASSICAより引用)
木曽さんの役はアディーナ。2人の男性が恋をするマドンナ役でした。
1年の半分は翻訳にかかりっきり。部員で手分けして行っていました。衣装も舞台装置も手作り。同級生は女性6人、男性3人。強い団結で乗り越えました。
「今もセリフを覚えていない夢を見ます。」と木曽さん。まさに高校生活はオペラ中心に回っていました。
武蔵野音楽大学時代
中学生からの夢である声楽家を志して武蔵野音楽大学声楽科に入学。
イタリア人の先生について、声楽や音楽のレッスンに明け暮れます。
4人1部屋の寮生活。門限は22時。
そんな集団生活のストレスにより寮を出ることになりました。
両親が教師だった木曽さんは音楽教師の免許もとり、教員採用試験も合格。ところが大学3年の後半から声を活かしたアナウンサーになることを決意。アナウンサー学校にたった3ヶ月しか通わなかった短期集中の準備で見事に地元の静岡放送に合格。
テレビとラジオのアナウンサーとして仕事をすることになりました。
静岡放送時代
当時の放送局は保守的な職場。男性アナウンサーが当然メインで、女性アナウンサーはアシスタント的なポジションでした。
そのような中、木曽さんは常に自分の個性を出したいと考えます。
1987年に入社1年目で同期の鈴木如巳(ユミ)さんと一緒に、「ニョミとミユキのペパーミントタイム」という大人気ラジオ番組を作り上げました。アナドル(アナウンサー・アイドル)の元祖ともいうべき活躍をしています。
ボケとツッコミの2人の掛け合いはすぐに話題になりました。
さらに音大声楽科出身の才能を活かし、リスナーからのリクエスト曲を2人でハモるという「ハモリング」というコーナーが大人気に。
そして2人で作曲し、オリジナル曲13曲が入ったオリジナルCDを作成します。まるでアイドルさながらのミニスカートで地方巡業を行ったり、フライデーで特集されたり、TBSの人気番組「筑紫哲也のニュース23」にも出演するなど大活躍をされました。
今でもTwitterをみると当時のCDを懐かしがるファンのツイートを見ることができます。
木曽さんに「アナウンサーの一番の思い出は?」と尋ねると、「いろいろな人と出会えること!」と即答されました。
特に思い出になっているのが宇宙飛行士の毛利衛さんと番組をしたこと。
静岡の青葉小学校で毛利さんが授業をし、木曽さんが司会をするという番組が中継されました。
他にも「とっとき情報925」という番組で県内のいたるところをリポートしたことも思い出になっているそう。
ちなみに
SBSの岡村アナのブログで木曽さんにお会いした記事が載っています。
掛川城管理事務所
木曽さんが現在の掛川城公園管理事務所で働いたのが平成28年。その前は二の丸美術館の非常勤職員や市内中学校の音楽講師をしていたそう。
掛川城公園管理事務所から声がかかり、いきなり所長として採用になりました。
全部が初めての環境。
重い責任。
最初は苦労しっぱなしの環境でしたが、あたたかい職場メンバーとやりがいのある仕事で仕事にのめり込んでいきました。
木曽さんはキラキラした目でこう言います。
「子どもと関わるのが好き。子どもたちのワークショップを企画するなど、新たな企画を立案してきました。美術館やお城を通して子供たちをはじめ、いろいろな方々と関われるのがうれしい。掛川の良さをもっと知ってもらいたい。」
掛川城管理事務所は、インバウンドや御城印ブーム、お城でビヤガーデン、御殿で結婚式、といった斬新な企画力でコロナ前まで黒字経営を更新してきました。
木曽さんが実践してきたこのような事例は、内閣府の優良事例にあげられています。
今の掛川西高生へ
「高校生と話すと、不安しか感じていない」と木曽さん。
「情報が多く、先が見えない。自分がわからないから社会もわからない。
いろいろな人と出会うことで、色々な世代からいろいろな視点を学ぶことができる。自分を信じて今の世の中に希望を持ってもらいたい」
木曽さんのお話をうかがい、その人生に共通する柱は
「常に新しいものにチャレンジすること」
未知の世界に果敢に飛び込み、もがきながらも明るく楽しむ。
その素敵な輝く姿勢は、現在の掛川西高校の後輩たちに受け継がれてほしいと思いました。
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