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世界が立ち止まっても

東京都で新型コロナウイルスの1日あたり感染者が3日連続で40人を超えた。

ダイヤモンドプリンセス号の一件から1ヶ月が経って、首相からの全国の小中高の休校要請からも3週間が経過して。

日本国内ではすこしホッとした空気が流れているように感じた中で再び、週の半ばあたりから各所で今後のパンデミックの可能性が叫ばれるようになった。

そんな朝 ひとつのエッセイがタイムラインに流れてきた。

「世界が立ち止まっても、季節は巡る。」

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作家の辻仁成さんが主宰するメディアに投稿されていたのは、今フランスの人々の間で広く読まれている、詠人知らずの詩だった。

あれは2020年の3月だった。

通りに人はいなかった。商店は閉まり、人々は家から出られなくなった。

若者はオンラインでの勉強を強いられ、家での過ごし方を工夫し、人々はショッピングも、美容院に行くこともできなかった。もうすぐ、病院に場所がなくなってしまうというのに、人々はどんどん病気にかかっていった。

だけど、春はそのことを知らなかった。

公園を散歩する季節がやってきて、草木は緑色に色づいていた。

りんごやサクラの木は花を咲かせ、葉っぱは力強く育っていた。


経済の縮小、多くの死者。毎日目に入ってくるニュースに、隙間が目立つスーパーの商品棚に、自分の生活が心配になり、社会の行末を不安に思い。

詩の通りだなと思った。

毎日変わらず太陽は東に出て西に沈み。

今岡潔さんの『数学を志す人のために』という随筆を読んでいるのですが、その中で当時62歳の数学者は「数学の本体は調和の中心である」というポアンカレの言葉にはじまりこう語る。

キャベツを作る方は勝手口で、スミレ咲きチョウの舞う野原、こちらの方が表玄関なのだ。

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市原湖畔美術館でであった作品の中でアイヌの文化を見つめた曽我英子さんは以下のように語りかけていた。

川の水を溜めたり、放流したりする音が暗い夜空に響いていた。

水路を変えることを、鮭、熊、鹿、虫、鳥や草木に、誰か相談したのだろうか。

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昨今、気候変動や持続可能性が取り上げられる中で、ヒトが環境に膨大な影響を与えている、ヒトは地球を危機的な状況に追い込むだけの力を持っている、つまり ヒト > 地球 のような思考を抱いてしまっている自分がいたのだけれど、

地球は人類より先に、昔から、いつでも、悠久で。

わたしたちとは独立して、回転している。

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このことを覚えていたいなと 不安が募る社会の中で思ったのでした。

3月27日金曜日の夜、千葉はつよめの風が吹いて、気持ちいい。窓ガラスの際に置いた苔玉も気分転換ができているとよい。

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