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わたしは結婚する?答えをだす前にかんがえた6つのこと

昨年プロポーズをしてくれてから8ヶ月。

「答えは焦らなくていいよ」と言ってくれて「今は仕事に集中したくて」を理由に回答出すまで時間をかけてきたけれど、業務量も落ち着いてきたのでわたしの答えを出さなければなと思う。

それにあたり今まで漠然とぐるぐる考えたり考えていなかったりしたことを文字で整理したくてノートに書いてみました。

(そしてこの記事の下書きと保存と繰り返している間に 回答を出したので 途中からは振返りも含めていて 時制がバラバラになっています。)

結婚について回答を出せずにいたのは彼を心から好きでは無いということではなく。

そもそもわたしは結婚したいかさえ判らなかったからでした。

Q1:わたしは結婚したいか。

小さい頃はいつか結婚して自分の家族を作ってと漠然と当たり前の道のように想像していた気がするけれど、

大学生の頃に逆に「結婚はしたくない」とも考えるようになりました。理由は 自分のことがあまり好きでないから。

結婚するということは、相手からの愛を受け取るということ(現代では必ずしも違うかもしれないけれど)子孫を残す意思決定をすること。

他者から愛を受け取ることも子孫を残すこともわたしは自分の存在を肯定する行為に感じていました。

同時に(傲慢なのは分かりつつ)自分が嫌いという思いの、自分を産んだ両親への当て付けも込めていたと思う。

一方で、今は結婚したくないとは思わないようになった。

理由は多分聖書と教会に出会えたこと。もちろん一時的に以前のように自己嫌悪の感情で頭がいっぱいになってしまうことはあるけれど、この信仰に向き合っていったら少しずつ嫌な自分から変われるという希望も持てています。

Q2:なぜ結婚という制度に入ることが必要か。

さまざまな考え方があると思うのだけれど、わたしにとっての回答は『結婚の意味』という書籍の「第3章 結婚の本質」でした。

昨年結婚した法学部の先輩がいくつか読んだ中でこれが一番よかったと教えてくれた本。

第3章はアメリカドラマのワンシーンの『どうしてそんな紙切れが必要なの?わたしはあなたを愛している、それだけでいいじゃない』というセリフから始まるのだけれど、この疑問に対して著者は以下のように回答していました。

W・H・オーデンは晩年の著作の一つ...において、....以下のように表現しています。「ゆれうごく感情の行きついた結末というより、時間と意思の産物なら、...結婚はどんな情熱的なロマンスより興味深い」
オーデンが言う、恋愛と結婚の違いとの間の大きな違いとは何なのでしょうか。それは、「一枚の紙切れ」にサインする、...(略)...など、人が責任をもって、それぞれの文化で厳粛に公に誓う約束が、あるかないかの違いではないでしょうか。


紙上の契約という拘束・義務・約束の枠組みがあるが愛を伴う行動を選択させるということ。

契約の紙が 結婚という大きな意思決定を一時的な感情で手離させることを抑制し得るということ。

感情に流され易いわたしはこの考え方を好きと思えたのでした。

Q3:結婚相手はこの人でいいのか。

結婚自体は肯定的に捉えたうえでも 本当にこのひとでいいのか というのは疑問として考える必要があった。

そもそもわたしは結婚相手に何を求めるんだろう?

ひとつは わたしは広く浅く自分のやりたいことを明確に持つ性格で、人や環境によって自分の行動が制限されることがとても苦手。だから「比較的いつでも自由であらせてくれること」は一緒に居る人に求める点でした。

これについての判断基準は意外と自分の中に持っていて、"アラスカにしばらく住みたい" と言ったときにいいよと言ってくれるイメージが湧くか否か でした(随分と自分勝手なお願い)

ふたつめは(細くていいので)長く家庭を大切にしてくれること 浮気しないこと。浮気された経験があるわけではないのだけれど夫婦というのものは共に乗り越えなければいけないこと山程あるんだろうと想定する中で、浮気については、数ある亀裂の中でも回復はかなり難しそうと想像するから。

みっつめは上の "乗り越える" にあたって同じ方向を見たり軸を持てたりすること。具体的にはできたらキリスト教の信仰を持っていたり理解してくれたりすること(必須ではなく歓迎事項)

他にも 山や川が好きだといいな, スポーツを一緒に楽しめたらいいなとかもあるけれどこれらは必ずしもでした。

以上の3つの基準を見たとき彼はいずれも合致するひとでした。

ただそれでもこの質問に答えを出せずにいて。理由はわたしは今まで恋愛経験がなさすぎたからでした。わたしが求めるものは満たしてくれているけれど、本当に最もよい選択なのか?

仕事でも選択肢をバーっと並べてから意思決定をしたいわたしは、与えられた選択肢がひとつだけのときにその選択を取ることが苦手で。

今回も他の人と比較ができていないことから不安と躊躇がありました。

けれどもそんなように足を止めてしまっていた期間中に、わたしが自分から期待する点以外のところで、相手の いいな 好きだな と思うところが少しずつ積もっていった。

感情に流されず意思を優先できること。一緒に過ごしていて知ったのは、ゆっくりする時間はあっても わたしのようにやりたくないことを避けてダラダラしてしまう時間の過ごし方をしないこと。勉強、家事、と必要なことをきちんと進められること。

考え方がわたしと違うところ。

よく「関東と関西」とか「文系と理系」とか二項対立を会話に持ち込んでくるのが最初は嫌だったのだけれど、それは(本人が言うには自身には想像力がなくてそれをカバーするために)自分が体験していないことに対して一生懸命相手を理解しようとしているだからだということ。おもしろいと思った。

自分の過去の体験をパターン化して蓄積していること。自分がされて嫌だったことからは他者にしないし、自分がもらったものは他者に同じように他のひとに流そうとする。

きちんと家事と料理ができる。パンチェッタ(イオンで買ったベーコン 笑)でラタトューユを作ってくれること(お洒落か)

車を運転してくれること(免許持っていなくてごめんね)

怒らないこと(お姉さんの理不尽さに耐えてきたからそれに比べたらなんてことないらしい)

お金の稼ぎ方を知っていること(新聞配達、マルチの販売員、株、スマホの画面貼り替えなど個人でお金を回す経験を持っていること)

ハードが得意なこと。父が取り替えようとして壊してしまった天井の電気直してくれて、わたしがほっぽってしまっていた自転車のタイヤを替えてくれた。

ありがとう、うれしい、幸せ、を言葉にして伝えてくれるところ。

もちろん もっとこうだったらいいのにな どうしてそうなんだろう と思う点もあるのだけれど(向こうも私に思うところたくさんなのはわかりつつ)それを冷静に疑問として伝えたらちゃんと答えてくれる。

一緒に居ると安心できて、笑っていられる。

この人と人生に向き合えたらいいかもしれない。この人を大切にする選択を積み重ねて行きたいなと考えたのでした。

Q4:わたしはこの人を生きている限り愛せるか。

今はまだ恋の感情で関係が成り立っているけれど、何回か本や記事で目にした通り「恋愛の感情は3-4年で終わる」のだろうなぁと想定しています。

それから先、わたしはこの人をずっと愛せるのだろうか。

これに対しては2つの点から回答がありました。

ひとつは 彼が 「あなたは恋愛経験が少ないし今後心魅かれるひとが出てくるかもしれないけれどその時はそれも受け止めようと思う. そのリスクも込みで一緒に居たいと思った」と言ってくれたこと。

もちろん それは適切な状態ではないけれど そんな風に構えていてくれるならば。その囲いの中でわたしはこの人を愛し続けることができるかもしれないと思ったこと。

もうひとつは 愛とは選択であるということ。上で触れた本『結婚の意味』の中に以下のようにありました。

 エペソ5:28でパウロはこう言います。「夫も自分の妻を...愛さなければなりません」パウロは...(略)...ここでは、義務を強調する動詞を使っています。...パウロは夫に命じています。自分の妻を愛さなければならない、と。

 感情は命令して生まれるものではありません。命じることができるのは行動だけですから、パウロが要求しているのは行動なのです。(pp.143)

わたしはこの人を生きている限り愛せるか。今の時点では自信はないけれど、きっといつになっても自分の感情は変わりうるもので。

つまり、これからわたしがどれだけ愛するという行動を選べるか。そこにしか可能性はなくて、そしてこれからその選択をしていきたいと思っています。

Q5:人生プランは合致するか。あるいは折り合いを付けられるか。

わたしは1年以上先の計画が立てられないので、人生プランもそれほど持っておらず。現時点でわたしが想定できているのは:

①将来 家業に携わる可能性はあり

②どこかの時点で経済発展の勢いある国にしばらく住んでみたい

③最終的には田舎で小さなお家持ってフリースクールみたいにしたい

一方で彼が話してくれたのは:

①彼の人生の目的は温かい家庭を持つこと

②それは3人以上の単位でありたい(子どもの存在が欲しい / 里親や養子など形態問わない)

③上記を達成するための手段として年収は目標に置いている

それ以外の仕事の職業や住居の場所は希望や規制はないとのことでした。

上記の各3つはお互いに相手の希望も納得できて、他の相互に譲り合える部分については少しずつ擦り合わせていけるかなと思っている。

Q6:相手の家族と仲良くできるか。

これは自分の中で 比重は大きくないけれど 考えておくことは必須と思っていた問いでした。

結論から言うと、多分大丈夫。

ひとつは「相性が合わないと思ったら別に付き合いをする必要はないし、挨拶に行く必要もないよ」と言ってくれたこと。流石にそれは避けたいよと思いつつ、家族の存在を前提にせずにわたしとの関係を持つことを言葉にしてくれたのは気が楽でした。

もうひとつは、彼はときどき自分の家族のよくないところを(時に少し辛辣に感じる言葉で)言うのだけれど、ある彼の海外からの友だちがその家族にあったときに「彼から聞いていたのと大分印象が違ったよ」と言っていたこと。

第三者がそう言うならば、きっと大丈夫だなーと思えました。

もちろんもし今後縁があるならばそれなりの課題は出てくると思うけれど、新しい関係を築くにはいつでも一定の違和感はあるものだよね、と想定しています。

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1月の26日。妙典の家で「結婚する?」と聞いてみた。

その1-2週間前に決心できていたのだけれど話すタイミング分からず。

ただその週のいつか 電話で話しているときに向こうが謝ってくれる事案があり。翌日 花を買って家に来てくれた(仕事終わりに空いているお店が少なくて日比谷行ったらしい。ひとに花買うのはじめてで恥ずかしかったらしい。笑)

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それが嬉しくて 近く話そうか と思えたのでした。

あなたは(普段はこんな呼び方しない、仮です)自分が幸せでいることを考えてくれたらいいよ、そのことが僕の幸せだから。

と言ってくれたことうれしかった。ありがとう。

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最後に。3月の連休に先方のご両親に挨拶に行ってきた。

小さい頃のアルバムを見せてもらって、昔の話を聞いた。地図を覚えるのだけは上手で、その分勝手にどこか行ってしまったり大変だったらしい。

海苔と胡椒をお土産に頂いた。

これから少しずつ始まるね、どうぞ宜しくお願いします。

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