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自分にとって居心地の良い場所とは?

疲れた時に「この人に会いたい」「ここに行きたい」と思う場所はありますか?

私は、数年前まではありませんでした。
というより、そんな事を考えたことはありませんでした。

仕事の人間関係で落ち込んだ時、大切な人との別れの時など
精神的に疲労困憊している時は、
ただただ自宅の中にいて、動く気力を失っていた。

そして、起きている時間は
24のようなドキドキ・ハラハラする海外ドラマを観て
「辛い出来事」を考える隙間を与えないようにしていた。
ただただ時間が過ぎていくのを待っていた。
(ちょっとした落ち込みの時は、買い物をしたり、
出かけたりすることでリフレッシュして忘れられるので、
基本的にはポジティブな方だと思う。)

また、ハードワークで身体的に疲れている時は、
「休む」ことを優先し、
誰かと会う予定は、入れないようにしていた。

しかし、いまは疲れたときにも、疲れたときこそ
会いたい人・場所・時間ができた気がする。

2ヶ月に1回程度のペースで会う元同僚
週に1度通うヨガ
隔週で放送されるラジオ「チャポンと行こう」
仕事帰りに毎週通っていたファシリテーションを学ぶ学校

疲れていても、仕事が忙しくても「行きたい」と思えた。
むしろ、そこに行くことで、疲れが吹き飛んでしまう。

なぜ、そんな風に思えるのか。
きっと、そこでは自分を取り繕うことなく本音で話せるから、
そして、相手も本音で話してくれるから、話を聞きたいと思う。

本音のインプットとアウトプットができる場所が
私にとっては居心地の良い場所なのかな。

昨日、コルクラボ文化祭のトークイベント
「大人の居場所のみつけ方」に参加した。
そこで、ゆうすけ先生が言った言葉からそんなことを思った。

他にも忘れたくない言葉がいっぱいあった。
メモに残しておこう。

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▷中身は繊細に感じ取っているのにそれを表情に出すことができない。
 明るくない自分が気持ち悪い。
→人によって感じ方は本当にそれぞれである。
 決めつけてはいけないと。
▷交流しているのに、分かり合えないという「孤独感」
→友人が多い、関わる人が多い、家族がいる、恋人がいても、
 分かり合えないと「孤独」を感じてしまう
▷「自分で選んでいる」ということに気づくこと
→居場所は与えられるのではなく、自分で選べる
→接する人は選べる
▷「自分のできることを」を伝えるのだけでは、
 それを求める人しか寄ってこない。
 →それが自分がしたいことではなかった時、
  自分自身がしんどくなってしまう
▷「相手の期待に応える」嬉しさに浸っていないかを振り返る
→相談や頼りにされることは、嬉しい。
 しかし、相手のフェーズによっては
 「何がその人のためになるのかを」考えなければいけない
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