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チンゲン革命(6)

純朴な少年の若本君が小学2年かそこらの頃である。

今とは異なり、当時の創価学会は総本山の大石寺や法主を立てていた。少なくとも表向きは、仰々しいほどの言葉遣いだ。
何せ「御法主上人猊下」である。
「御」も「上人」も「猊下」も、全て敬称の類だ。
つまり「法主様様様」のようなことである。御御御付けかと。
全体的に、日蓮正宗/顕正会/創価学会あたりは敬称の付け方が仰々しいのよね。日蓮大聖人様や大御本尊様もそう。
日蓮正宗の古い文書には「日蓮聖人」という呼称もあることから、近代以降に「大」が付いたのかな。だとしたら、それは誰によるのだろうか。

とにかく、法主を恭しく扱う。
その一方で、池田氏の民間外交的な功績を称えまくるのだ。
聖教新聞や学生用の機関紙を通じてのプロパガンダである。

池田氏の民間外交にどれだけの価値があるのか、あるいはそもそも事実なのか、そういうことは関係ない。
とにかく「池田先生は凄い」と思わせる。
機関紙には、そんなギミックに溢れているわけだ。

そのようなわけで、当時の創価学会員にとっては、権威が2つ存在していた。
法主と名誉会長である。

少なくとも私にはそう見えたので、「御法主上人猊下と池田名誉会長、どっちが偉いの?」という問いが非常に微妙な問題となっていた。
要するに、聖と俗はどちらが上か?という話である。

誰かに訊きたいのに、訊きにくいテーマ。
二人の関係性が分からずモヤモヤしていたのか、法主と池田氏が仲良くしている写真を見ると安堵したのを覚えている。
「良かった。大丈夫。どちらが偉いとかで悩む必要はないのだ」と。

そんな日々の中、母が唐突に言ってきた言葉がある。
「私たちは池田先生の弟子なんだからね」
「何があっても池田先生について行くんだからね」
というものだ。

その時は、なぜ母がそんなことを言うのか分からなかった。
池田礼賛は学会員にとって特別なことではない。
機関紙等を通じてのプロパガンダが奏功していたので、創価学会員にとってはあまりにも当然で自然なことだ。

外部に布教するならともかくとしてだ。
会員のみで構成された家庭内でわざわざ口にするなんて、全く必要のないことなのだ。
それなのに、わざわざ「池田先生について行く」と言っている。

私は妙な胸騒ぎを覚え、徐々に「日蓮正宗と創価学会が争っている」という現実を理解し始めた。
それは私にとって、最大の危機であった。
私ももう40歳を過ぎているが、この時を越える不安を感じたことは一度もない。

私からすれば、正宗と創価は父母のようなものである。
仲良くしていた両親が突然離婚すると言い出したわけで、ピュアな少年若本はその現実を受け入れることが出来なかったわけだ。

私がいわゆる発心をしたのはこの時である。
「祈りとして叶わざるなし」の御本尊様に祈ったのだ。本気の本気で。

「御本尊様、僕は何としても広宣流布のお役に立ちます!
 だから、日蓮正宗と創価学会を別々にしないでください!」


本当に、心の底から祈った。
あらゆる神仏と生命と宇宙に誓って言うが、この時の思いは100%ピュアだった。
本当の本気で広宣流布をするべきだと思っていたから。

そんな、少年のピュアな祈りの結果はどうなったのか?
ご存知の通り、創価学会は破門され、日蓮正宗との分裂という終わりを迎えたのだった。
私の発心は「広宣流布のための祈り…それさえも叶えられない御本尊様」という、決してひっくり返すことのできない現実に帰着した。

「テストで良い点を取りたい」ではない。
「お小遣いが欲しい」ではない。
そのような、私心からの祈りではない。
「広宣流布のための祈り」が叶わなかった訳である。

その後も信仰は続けたし、この出来事を意識しないように努めたのだが、心の深い所には刻まれていたのだろう。
油断すると「祈っても叶わない御本尊様」という観念が出てきそうになるのだ。
例によって、「回避せねばならない思考」がニョキニョキと生えてくるわけだ。
本尊をちょっとでも疑いそうな時は、意識してその思念を打ち消さねばならなかった。
健気だな私。

いや、健気などという可愛い言葉で済ませてはならない。
健気と言えば聞こえは良いが、実際には精神衛生的にかなり危ないことだ。

「広宣流布を祈っても、全然叶わなかったよ。御本尊様に祈っていも意味がないのかn…いやいや、ダメだダメだ。そんなこと考えちゃダメだ。」

こんなことばかり毎日考えていれば、まともな大人になるわけがない。
ところが、私はこんなにも素晴らしい人格者になった。
世界人類が起こした奇跡としか言いようがない。

今でこそ私は素晴らしいのだが、当時は辛かった。
同じように悩んだ人の中には今も怒りの火がくすぶっているケースもあるだろう。

私について言えば、その頃の信仰が現在の糧になった部分もあるし、特にこれと言った恨みはない。
ただ、僧俗和合をスローガンにお金を巻き上げた挙げ句、和合を維持できずに分離し、何の謝罪も反省もないのは見ていてダサいな〜と思う。

双方ともに「いや、ウチは悪くない。相手が悪い」との言い訳ばかりだからね。みっともない。
どっちが悪いか?とかじゃないのよ。
信者からすれば、不可抗力で突然分裂したのだから。
単に、組織側に調整力が不足していただけだろうと。

「正しい仏法なのだけど、こんな事になっちゃった。我々の力不足でごめんなさい!」くらい言った方が、人はついて来るだろうけどね。
ま、逆立ちしてもそんな清々しいことは出来ないだろうけどな!

そんなこんなで、創価学会は日蓮正宗との離婚を決めた。
その後、日蓮正宗側がどうだったのかは知らないが、創価学会は日蓮正宗の文句と悪口を言い続けていた。

だいぶ性格的に歪んでる私だけど、その私でもショックで引いた出来事があった。

そう、次回に続けよう!

※今回のは、更新が午後になったでしょ。資料集めが大変だったんだよ!頑張ったんだよ!その成果もそのうち記事にしてやるさ!

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