ウクライナ平和の鐘 095 菩薩の道を願う
■2022(令和4)年6月30日 095 菩薩の道を願う
(動画の3:05~7:40)
本日の「平和の鐘 鳴鐘の輪」。菩薩の道は、慈悲の心。人々の苦しみを拭い去り、安らかに生きる事ができるようにと願い行動することです。戦争の悪業を積む者たちが「そういう者になりたい」と願い、行いを改めることを祈ります。
合掌
昨日朗読した宮澤賢治の「雨ニモマケズ」、その最後は「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」という願いの言葉で結ばれています。どのような人物になりたいと願ったのか。それはこの文の全体に顕れています。
体が健康であること。あれもこれもと欲しがる欲望がなく、僅かなもので満足が得られること。決して怒らずにいつも静かに笑っていること。ここまでは自分の内面の話です。自分は貪り(貪欲)怒り(瞋恚)愚かさ(愚癡)の三毒から離れた人物でありたい、それが前半で言われていることです。
後半は自分ではなく、他の人、世の中の人との関わりについて書かれています。病気の子どもがいたら、行って看病してやる。「母」年老いた人がいれば、その仕事を手伝ってあげる。死にそうな人がいたら、行って「怖がらなくてもいいよ」と言ってあげる。そして喧嘩をしている人に対しては、つまらないからやめろという。
その上で、天候のような人の努力でどうしようもないことについては、胸を痛めて「どうすればいいだろう」と考える。人からは特に褒められもしないけれども、苦にもされない、空気のような当たり前の存在。しかし自分は満足をし充実をして、他の人のために生きることができる。
これは菩薩の姿ですね。法華経には常不軽菩薩という方が登場します。あらゆる人に対して「私は深くあなたを敬い、決して軽んじません」とおっしゃいました。
私たちはなかなかそのように生きることができません。例えば他国に侵攻した軍隊があれば「何て事をするんだ、ひどい奴だ」と腹立たしく思ってしまう。しかし常不軽菩薩の「深くあなたを敬います」という言葉は、あらゆる人に対して向けられています。もちろん、ウクライナで大変な目に遭っている人たちに対してもそうです。攻める側のロシアの人たちも例外なく、あらゆる人を敬う──。なかなかこのような境地にはなれません。
しかし賢治は「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と静かに言いました。そして一番最後は南無妙法蓮華経を中心としたご本尊の姿をノートに書き留めています。
ロシアの戦争のやり方、他国を侵略し民間人も構わず虐殺する振る舞いは、決して相手を敬うものではありません。それは批判されるべきものです。「誰もが仏になれる」から、敬う。しかしそこには「菩薩道を行じれば」という前提があります。菩薩道とは慈悲です。抜苦与楽。誰かの苦しみを取り去ってやりたい、誰もが安らかに生きられるようにしてやりたい。そのように願って行動することが、菩薩の心です。
誰もがその菩薩の心を取り戻した時、世界は平和になるはずです。そのような状況には、なかなかすぐには至らないかもしれません。それでも私たちは決して諦めず、努力を重ねる必要があります。賢治が手帳にしたためた、静かな、しかし芯のしっかりとした祈りのように。
再拝
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