ウクライナ平和の鐘 086 我此土安穏
■2022(令和4)年6月21日 086 我此土安穏
(動画の2:55~7:21)
本日の「平和の鐘 鳴鐘の輪」。たとえ世界の終わりが来ても心正しき者の魂は損なわれない──平和な日本から戦場のウクライナに向けてこの言葉を伝える軽率さを恐れながらも、真実そうあれかしと願わずにいられません。
合掌
妙法蓮華経の十六番目の章、如来寿量品の一節をご紹介します。
短い経文ですが 法華経信仰の利益の核心と言える一節です。
法華経という経典は、2500年前にお釈迦様が80歳で人としての寿命を終えられた、その後に残された人々のために説かれた教えです。そこでは、「人々を教え導くために自分は80歳で入滅して見せるけれども、仏としての真の寿命で人々を導く働きははるか昔から未来までずっとずっと続いているのだ」ということが説かれています。
「衆生 劫尽きて大火に焼かるると見る時も」
これは古代インドの神話に由来する表現です。宇宙が生まれて、成長して、衰え、滅ぶ。成・住・壊・空というサイクルで世界は常に生まれ変わり死に変わりすると考えられていました。「劫尽きて」とはそのサイクルの壊れる段階、平穏であった生命の生活空間そのものが大地震、太陽バースト、大気崩壊などの天変地異によって崩壊し、私たち生命あるものも運命を共にする。そのような時にあっても、仏様の本当の世界は常に生命力に溢れて存在しているのだ、という経文です。
ウクライナの戦場では、悲惨なことが起きています。人も、物も、あらゆるものが破壊されている。まさに戦場は、この世の終わりのような激しい恐怖が渦巻く世界でしょう。
そこにいる人たちに「経典にこう書いてあるから大丈夫だよ」と遠く日本の安全地帯から気軽にいうことは、適切ではないのかもしれません。ためらいつつも、御紹介をしました。それは、この仏様の教え、法華経に対する信心がどのような状況に置かれても人を導くものであると考えるからです。仏様の教えに出会っていない方にも、その救いの手は必ず差し伸べられています。
戦争という状態にあって、敵から攻められて様々なものが破壊されている。でも絶対に破壊できないものがある。それは私たちの魂です。
再拝
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