ギターという臓器(2024.2.28)

読書会の友達に誘われてカネコアヤノのライブに行ってきた。

そんな素敵なことがあって良いのですね、人生。友達に感謝。「友達」とこちら側から言い切るのは中々勇気がいるなと思ったのだが、事あるごとに判断を委ねている新解さんによると、

ともだち【友達】一緒に何かをしたり遊んだりして、気持ちの通い合っている人。

『新明解国語辞典』第 8 版. 三省堂,2020,p.1131.

とのことなので、まさしく今日共に遊び、気持ちを通い合わせた彼とは友達なのだ。「気持ち通い合ったな」と思えたならそれは友達。

神奈川県立音楽堂での弾き語りライブ、前から3列目というスーパーグッド席での鑑賞。完全生音のライブということでマイク・スピーカーなどの音響機器は一切なく、本当に生の声+ギター音のみでの演奏。

息継ぎや、ギターの弦を弾く音、髪の毛が揺れて擦れる音まで聞こえてくるようだった。ギターに反射する光が美しく、ギターも服も何もかも全部含めて1つの生き物のようだった。ギターはもはや臓器として、歌を歌えるように生まれ持った器官として存在していた。

歌っているカネコアヤノは命を燃やしているように猛々しい。歌うたびに死に近づいているのではないかと思うほどに。それでいて彼女自身は小さく弱い存在のように映るから、明日の光を追いかけ続けているから、僕も前を向こうと思える。

歌詞においても、今は辛かったり不安な日々だが明るい未来を向いてたい、というメッセージが含まれるものが多いなと改めて思った。今回特に良かったなと思ったのは「やさしい生活」「朝になって夢からさめて」「グレープフルーツ」。

最後に新曲もやってくれた!新曲が聞ける未来があるだけで嬉しい。

アヤノの歌詞は共感と発見で満ちている。そんな生き方、捉え方があったのかという発見。新曲に関しても、そうだよね…!!と聞いていた。

下記新曲の歌詞うろ覚えメモ。後で発表されたときに答え合わせでもしてみようか。ネタバレ注意だ。

キスはのど飴の味じゃない、愛をダサい帽子に入れて電車に乗ったそこまで遠くに行かなくてもいい最近は、タバコ、アニメのラブレター、大丈夫。

大丈夫じゃないはずなのに、大丈夫だと歌う。むしろ大丈夫じゃないから、大丈夫と歌うのかもしれない。

音楽堂の事前のアナウンスで、音楽堂のハードルを爆上げしてて面白かった、東洋一の響きとか、まるでヴァイオリンの中にいるようとか。

ライブ後、雨の中傘もささずに帰った。少し濡れた。(さす傘がなかった)

洋食屋さんと電車の中で、音楽や本や日記の話ができて楽しかった。日記の話ってあまりすることがないので、余計におもしろい。互いの日記を褒める時間も照れくさいながら嬉しかった。

楽しい今も、明るい明日も大切だ。

今気づいたけど「明日(tomorrow)」って明るい日と書くんですね。

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