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できっこないをやらなくちゃ

うまくいかないことってありますよね。
思いどおりにならないことも、たくさん。
理不尽に見えることもあるだろうし。
自分の力だけではどうにもならないことありますよ。
 
真正面からぶつかるのか。
時間が解決してくれるのか。
回り道をして躱すのか。
違う道を探すのか。
 
なんとかしなくちゃいけないことは、どんなことをしたってなんとかしなくちゃいけない。
 
人生の岐路に立った時。
または、進退窮まった時。
逃げたくなる自分の心を奮い立たせる存在が必要だと私は思っています。
 
私の場合は「音楽」。
アーティストが「届け、届け!」と思いをぶつける音楽に、私はどれだけ助けていただいたかわかりません。
 
特に、この楽曲の持つ力は計り知れず、いつ聞いても涙が込み上げてきます。


小樽に住んでいた頃のこと。

体調を崩して仕事を辞め、失意の只中の私。
加療中ということもあったのですが、一日中塞ぎ込むように部屋にこもっていた時期がありました。
 
毎年初夏になると、近所の幼稚園で運動会の練習が始まるんです。
乾いた風に乗って、子どもたちのにぎやかな声が聞こえてきます。
 
楽しそうだなぁ。
 
塞ぎ込んでいた私ですが、窓を開けて子どもたちの声を聞いていました。
 
「みんな、頑張るぞー!」
 
「おー!」
 
先生の合図に続いて、子どもたちが気合の入った声を上げます。
 
次の瞬間、長閑な空気を一変させるような、力強いギターの音が部屋に飛び込んで来ました。
 
その楽曲は、サンボマスターの「できっこないをやらなくちゃ」。
 
何事が起きたのかと思い、私は窓の外を見遣りました。
 
幼稚園を経営している寺院の中庭で、子どもたち十数人が輪になり、みんなで大きな布を持って踊っています。
子どもの表情までがわかる距離ではないのですが、子ども一人ひとりが必死になって振り付けを繰っているのは感じられます。
 
いつの間にか、私はその子どもたちの姿に釘付けになっていました。
 
曲の途中で、ある子どもが振り付けを間違えてしまったらしく、動きを止めてしまいました。
本人は間違えてしまったことでショックを受け、呆然と立ち尽くしています。
 
その姿を見とめると、先生は音楽を止めました。
どうするのかな?と、私はその様子を眺めていたのですが、次の瞬間です。
 
周りの子どもたちが手にしていた布を放り投げ、その子の元へ駆け寄って行きました。
 
「大丈夫だよ!」
「もう一回やってみよう!」
「僕もできるようになったから、きっとできるよ!」
 
ひとしきり励まし合うと、子どもたちは自分の場所に戻り、再び布を掴んで輪になりました。
 
そんなことが何度か続き、練習はその後数十分続きました。
私は手に汗を握り、子どもたちから目が離せなくなっていたのです。
 
練習の末、ようやく子どもたちは最後まで踊り切れたようでした。
 
見守っていた先生、そして子どもたちが一斉にうわーっと声を上げて抱き合っています。
実に感動的な姿でした。
 
私は窓ごしに思わず拍手をしていました。
すると、その様子を見つけた子どもが、こちらに向かって手を振っています。
 
「おじさん、運動会観にきてねー!」
 
見ず知らずのおっさんが眺めていたら気持ち悪いと言われそうなものですが、そこは田舎の子どもたち。
キラキラ輝く笑顔は忘れられないものでした。
 
運動会当日。
たくさんの父兄が参観する関係で、この幼稚園は近所の小学校の校庭を借りて運動会を行なっていました。
 
私はもう一度子どもたちの様子を見たくなり、事前に幼稚園へ電話をかけ、近所に住んでいること、その演目だけで良いから見たい旨を園長に問い合わせてみました。
 
「そういうことでしたら遠慮せずにいらしてください。歓迎しますよ。」
 
その言葉に甘え、小学校へ出かけてみたのです。
 
園長と思しき男性が、私の姿を見つけて近づいてきます。
 
「もしかして、先日電話をくださった方ですか?お待ちしていましたよ。さぁ、こちらへ。」
 
この日は初夏とはいえ30℃近くになろうかという暑い日でした。
園長は、先生方が待機しているテントに招き入れてくれました。
 
「子どもたちから聴きました。練習をご覧になって、窓から拍手してくださったんですって?」
 
子どもたちの姿を観ていて、いつの間にか引き込まれてしまったことを伝えると、園長が笑顔でこう話してくれました。
 
「子どもたち、喜んでいたんですよ。一人でも多くの人に観てもらいたいから、あのおじさんも呼んでよって…正直困ってしまったのですが、後になってあなたから電話があって驚きました。」
 
園長は寺院のご住職。
通夜の説教のように、一段低い声で語り始めました。
 
「平日の昼間に、部屋から眺めていらっしゃったんでしょう?理由は伺いませんが、失礼ながらお仕事はお休みでいらっしゃったんでしょうな。体調を崩されたときに、子どもたちの声が、一生懸命頑張る姿が、きっと良き薬になりましたでしょう。」
 
園長は、子どもたちの方に向き直って一言。
 
「これはね、ご縁ですよ。そう、これこそご縁。人はね、必要な時に必要な人と巡り合うものですよ。あなたにとっては、子どもたちの無垢な姿と出会う必要がったのだろうし、子どもたちにとっても応援してくださるあなたの存在が必要だった。私はね、そう思いますよ。」
 
「私たち大人は、あの子たちに負けないように生きなくてはいけませんな。私はね、毎日あの子たちから学んでいますよ。」
 
園長が私にそう伝えると、スピーカーからギターの音が流れてきました。
 
「さあ、しっかり見届けてやってください。」
 
できっこないをやらなくちゃ。
 
その演目は、幼稚園の伝統なのだそうです。
年長組の子どもたちが、一段高いハードルに挑戦する。
失敗しながら、みんなで支えあって壁を乗り越えることを学んでほしいと、毎年必死に練習するのだそうです。
 

あきらめないで どんな時も
君ならできるんだ どんな事も
今世界にひとつだけの
強い力をみたよ

君ならできない事だって
できるんだ本当さ ウソじゃないよ
今世界にひとつだけの
強い光をみたよ
アイワナビーア君の全て!

サンボマスター できっこないをやらなくちゃ

この楽曲は、先生方、父兄の皆さんの思いそのもののような気がします。
そして子どもたちは、最後までしっかりと踊り切りました。
 
地鳴りのような歓声と、父兄が子どもたちの名を呼ぶ声。
割れんばかりの…とはまさにこのことなのでしょう。
たくさんの声と拍手が辺りに響き渡ります。
実に素晴らしい光景でした。
 
私は人目も憚らず、涙を拭うことも忘れて、子どもたちに拍手を送っていました。
園長も、先生方も、みんな同じように涙を流していました。
 
「どうですか。きっと、あなたの力になるものだったでしょう?」
 
黙って頷く私の姿を観て、園長が続けます。
 
「ご縁というものは不思議ですね。見ようとしても見えないが、でも、確かに繋がっている。私はまたひとつ、学びを得ましたよ。」
 
大きな歓声が続く中、私は園長に一礼してその場を後にしました。
 
塞ぎ込みがちだった私は子どもたちの姿に背中を押されたようで、次の日から積極的に外出するようになりました。
 
しばらく遠ざかっていた麻雀との距離も次第に近くなり、札幌のハートランドへ顔を出すことが多くなりました。
そして、導かれるように北海道最強位まで駆け上がって、現在に至ります。
 
もしもあの時、失意の暗闇の中で、子どもたちの声を聴いていなかったら。
私はどんな人生を送っていたのでしょうね。
あるいは、もうこの世にはいなかったかもしれません。
 
会うべきタイミングで、人は誰かと出会う。
必要な時に、必要な人に。
 
子どもたちから学んだ「縁」というもの。
大事にしたいなと思います。
 
ここまで読んでいただいたご縁に感謝して。
ぜひ、聴いてみてください。
そして、この楽曲の力が必要な方に届きますよう。

できっこないをやらなくちゃ!

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