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さよならポインセチア

昔から僕はクリスマスが嫌いだ。
クリスチャンでもないのに、なぜ世の人々は浮かれているのか?
いまだにその気持ちが理解できない。
いわゆる「へそまがり」なのだと思う。

子どもの時分であればまだ理解はできる。
プレゼントがもらえるという単純な理由があるからだ。
しかし、大人になってサンタクロースが現れなくなってからはなんて事のない一日になった。
街がホリデーシーズンでざわついていても、僕の興味は欲しかったものがマークダウンされるか否かの興味しかない。
だから、彼女や家族がいた時期に「クリスマスだから」といろんなことをしようとしている姿が少しだけ鬱陶しかった。

昨年末。近所のスーパーの入り口にある花屋にて。
店先に並んでいたポインセチアが色鮮やかに葉を伸ばしていた。
お値段はひと鉢800円。非常にお手頃だ。

クリスチャンでもないのに。
クリスマスに浮かれる意味がわからない。
でも、単純にそのポインセチアは綺麗だなと思った。
そう思ったが、その時には買うのを躊躇った。
買って帰ったところでどうせ枯らしてしまう。
花がかわいそうだと思ったからだ。

スーパーで買い物を済ませた後でもう一度花屋の前を通りがかった。
閉店時間近かったので、店員が店先の花を少しずつ片付けだしていた。

ポインセチアの棚の前で眺めていた私のことに気がついて、

「いかがですか?寒さに弱い花ですけれど綺麗ですよね。」

ポインセチアといえば冬の花。
なのに、これは寒さに弱いのだという。

「冬に見るから勘違いされるんですよね。元々は北海道よりももっと南が原産のお花なので、寒さには本当に弱いんです。でも、育て方さえしっかりしていたら、来年も真っ赤に咲いてくれますよ。」

以前にもポインセチアを買って帰ったことがあったのだが、その時は1月の声を聞く頃には枯らしてしまった。

「じゃあその時は、昼間にお部屋の暖房を切って寒くしてしまったからですね。」

店員の説明はとても的確だった。
が。

「でも、もう枯らしたくないんです。なんだかかわいそうで。」

僕のこの言葉に、店員は背筋を伸ばしてこちらへ向き直った。

「はい。そのお気持ちはよくわかります。お花を無責任に買って枯らしてしまうのは私もお勧めはしません。でも、お花ってそういうものなんです。元気な時も、病んでしまう時も、枯れていく時も…その姿を眺めて何かを思うことって、決して無駄なことではないと私は思います。」

この言葉が決め手だった。

「じゃあ、この花をください。」

僕はポインセチアを買った。

「寒い窓辺には置かないであげてください。あと、水をあげすぎると根腐れを起こしてしまいます。土が乾いたら水をあげてください。毎日水をあげる必要はないですから。」

花を包みながら店員が言う。
そして、僕に花を手渡しながら一言。

「1日でも長く、お部屋を飾ってくれますよう祈ってます。」

800円の買い物に、ここまで意を尽くしてくれたことがとても嬉しかった。

男の一人暮らし。
殺風景な部屋に真っ赤なポインセチア。
花の存在感はとても大きかった。

朝の出がけにゴミ出しを忘れても、窓辺の陽がさす場所へ花を動かすことは忘れなかった。
そして、家に帰れば真っ先に鉢を部屋の真ん中に置いた。
花屋の店員が言うとおり、花は間違いなく部屋を彩ってくれた。

ただの彩だけではなく、花はいろんなことを教えてくれた。
例えば、ある日部屋に帰ると花が萎れてしまっていた。
枯れてしまったのでは?
少し狼狽えたが、花屋の店員はこれも事前に教えてくれた。

「水やりのタイミングは、花が萎れかかってきてからでも大丈夫です。
お水をあげれば、また元気になりますから。」

その言葉どおりに鉢にたっぷり水をやると、翌朝にはまた元気に葉を伸ばしていた。

人も同じではないか?
こちらが良かれと思って手をかけても、相手に受け止めるだけの力がなかったり、受け止めようという思いがなかったりしたら、それは逆に相手をダメにしてしまう。
自分の都合だけで相手に接してはいけないのだ。

そんなことを思いながら、僕は日々ポインセチアと暮らした。

春になって、ポインセチアの葉が少しずつ落ちはじめた。
ネットで調べたところ、春には一度葉が落ちてしまうが夏近くになると新たな葉が伸びてくるらしい。
そして、そのページにはこうも書いてあった。

「鉢が小さいと根が張らないので、ひと回り大きな鉢にすると良い。」

確かに、花も成長していくのだから、鉢も大きくしてやらないといけないだろう。
僕はひと回り大きな鉢を買ってきた。
が、それを埋めてやるだけの土がなかった。

「土なら、玄関先の花壇から持っていけばいいんじゃないですか?」

仕事場の同僚が言う。
そうか。その土を持って行って、肥料を足してやれば事足りるか。
僕はそう思って、鉢に半分くらいの土を持ち帰った。

鉢の真ん中に穴を開け、元の鉢から土ごとそちらへ移し替えた。
土が乾いていたので、水をしっかり与えて日向に置いた。

1日経ち、2日経ち…。
ポインセチアは元気になるどころかどんどん枯れていった。

なぜだ?
調べたとおりに大きめの鉢を用意した。
花を移し替えたときに水も、肥料もしっかり与えた。
なのになぜだ?

ポインセチアを求めた花屋へ行って、件の店員に写真を見せて話を聞いた。

「…これ、枯れ始めてますね。」

僕は大きな鉢へ移し替えたことを話した。

「きっと根がつかなかったのでしょう。元の環境に一旦戻してあげたほうが良いかもしれないですね。人間って、引っ越した直後は落ち着かなくてよく眠れなかったりするでしょう?花も落ち着かないことってあるんですよね。」

ものすごく説得力のある言葉だった。

僕は部屋へ急いで戻り、鉢からポインセチアを再び元の鉢へ戻そうとした。

そっと茎を持ち上げると、根は土と共にボロボロに落ちてしまった。
根腐れを起こしている。

後でわかったことだが、職場の花壇から持ってきた土は粒が細かく、水をやることで隙間がなくなってしまい、根が広がらなかったらしい。
ポインセチアは水はけの良い土を好むらしいのだが、この土は保水性も高いので過酷な環境だったようだ。

元の鉢に戻したポインセチアは、もともとあった葉のほとんどを落とした。
ただ、茎の先端から新たな葉が数枚伸びていた。
これが微かな希望だった。

ポインセチアが部屋にやってきてから約半年。
この頃になると、僕にとってポインセチアに「家族」に近いほどの愛着が湧いていた。
だから、僕は枯れかけた花を見て焦燥感と絶望感に苛まれていった。

そこからは仕事場から部屋へ戻るのが憂鬱になった。
枯れてしまったらどうしようか。
日々その様子を確認するのが怖くなったからだ。

元の鉢に戻してから数日経った。
萎れていくばかりだったポインセチアは、茎の先の若葉にわずかに正気が戻ったようだった。

「根腐れを起こしてしまった時は、敢えて何もしないことがいい場合もあるんですよね。土の水分が飛ぶことで息を吹き返すこともあるので…あとは、様子を見ながらお水を上げてみてください。」

少しだけ光が見えたような気がして、僕は部屋へ戻った。
土の表面が乾いていることを確認して、いつものように水をあげて暖かい場所に置いた。
あとは日当たりの良い場所に置いておくだけ。

きっと元気になってくれる。
出来ることが何もない僕には、祈ることしかできなかった。

それから数日。
この時期にしては珍しく暑い日が続いていた。

昨年から続いていた朝の儀式は、今日から必要なかった。
そう。
ポインセチアは枯れてしまった。

希望の象徴だった数枚の若葉は落ちることはなかったが、最後に水をやった翌日からみるみる萎れてしまった。
そして、茎の下のほうがだんだんと黒くなり、その色の悪さは茎の先まで届いた。
あの時水をあげてもあげなくても、腐った根に水を吸い上げる力は残されていなかっただろう。

「お疲れ様。」
その姿を見ることに耐えられなくなった僕は、鉢からポインセチアを抜いた。

「お花ってそういうものなんです。元気な時も、病んでしまう時も、枯れていく時も…その姿を眺めて何かを思うことって、決して無駄なことではないと私は思います。」

花屋の店員の声を思い出す。

僕の無知から枯らしてしまったポインセチア。
もしも僕があの時に買わなければ、しっかりとしたお宅の方がもっと大切に育ててくださったのかもしれない。

変わり果てた姿のポインセチア。
せめてもと、僕は白い紙にそれを包んだ。
ただただ、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

自分の始末もつけられない僕のようなもんが、人はおろかペットや花などを真っ当に育てられるはずがないのだ。

僕は亡骸を捨てることができず、デスクの上に置いたままにしていた。

翌日。
夕飯の買い出しにスーパーへ寄った。
花屋の前を通りがかると、店員がこちらへ声をかけてくれた。

「どうですか?ポインセチア。」

僕は黙って首を横に振った。
それを見とめて店員が話す。

「大切になさったのですもの、枯れてしまって悲しいですよね。でも、もう花はいいやとは思わないでくださいね。」

とてもじゃないけれど今は…と僕が答えようとすると、商売だからと言うわけではないと前置きして話し始めた。

「私は、花を枯らすたびに思うんです。私じゃなくて他の方ならもっと上手に命を長らえてあげられたんじゃないかって。でも、花は枯れるんですよ。私たちがいつか死ぬのと同じように。それはどうしても逃れられないんです。」

穏やかな表情で花を眺めながら、店員は続けた。

「お部屋の中でポインセチアは綺麗に咲いてくれたでしょう?そして、枯れたときに味の悪さをお感じになりましたよね。それで良いと思うんです。」

そして、僕の方を見て言う。

「花って、一言も喋らないのにいろんなことを教えてくれるでしょう?だから、またお部屋に花を飾ってみてください。あなたはいろんなことにお気づきになる方だから、また何か学べることがあるはずですよ。」

店員は僕の気持ちを見透かしているようだった。

「あと…枯れてしまったポインセチア、どうなさいました?」

まだ捨てられずにいると話すと、それは捨てろと店員は言う。

「枯れた植物を部屋に置いておくと、体調悪くされる方がいらっしゃるのでお気をつけてください。気持ちはわかりますが、一思いに未練なくゴミ箱へ捨ててしまわれたほうがよろしいと思います。理由はわからないのですが、昔からそう言われているんですよね。」

親切に教えてくれた店員に礼を伝え、僕は部屋へ帰った。

デスクの上にあるポインセチアの包み紙。
僕はそれをしばらく眺めた後でゴミ箱へ入れた。

僕はこの日から鉢をベランダへ出したままだ。
なるべく目に入らないようにしている、と言ったほうが正しい。

ただ、出がけに鉢を窓辺へ動かすためにそれを目で探してしまう癖はそのままだ。

まるで、彼女が出て行った後みたい。

と、くだらないことも思ってみるのだが、気は紛れなかった。
いや、悲しさはそれを超えるかもしれない。

今年の冬。
街を鮮やかに彩るポインセチアを見て、僕は何を思うだろうか。
気忙しい街の中で、今日の悲しい気持ちを噛み締め直すんだろうな。

寒いのが苦手という理由の上に、さらに憂鬱な気分が重なってますます冬が辛くなりそうだ。

さよなら、ポインセチア。

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