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油絵 F4号 キャンバス 横333X縦242 2018制作

明治22年、奈良県十津川村を襲った集中豪雨で村を失い北海道に渡った600戸の十津川郷士の成功を聞き、その後も移住希望者が出てきました。

北海道に団体総代人2名を派遣し道庁と交渉。その後天塩国士別原野に700余万坪の許可を得ました。下記は当時の役所の文面です。

「天塩国上川郡士別村上士別原野区画地は士別川左岸25線より29線、右岸15線より22線の間。士別停車場より約5里、移住の際は団体地内に道路なかりしも37年開通された交通便利なり。気候は石狩地方と大差なく、初霜10月上旬、終霜5月中旬、積雪4尺内外にして地形の関係上霜害少なく諸穀豊熟す」

第一回移住者50余戸は明治37年4月に大阪より船に乗り、小樽に向かい汽車で士別に至る。すでに建設された居小屋を土地と共に抽選で配当をうける。この場所が士別川左岸25線より29線。
現在の兼内地区で、上士別町の市街地(16線)から朝日町に向かった地域です。

絵を描いた場所が兼内地区で、今は見渡す限り広い水田と畑作の農地です。


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