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おにぎりやま (みすまい)
油絵 F4 キャンパス 横333×縦242 2015制作

簾舞を「みすまい」と読める人は少ないでしょう。
札幌市内から国道230号で定山渓に向かうと、正面に奇妙な山が見えてくるあたりが南区の簾舞地区になります。

明治初期には、現在の南区石山西部から定山渓に至る広い地域を簾舞と呼んでいました。

アイヌ語で「ニセイオマップ(峡谷にある川)」と呼ばれていたのがなまり、「ミソマップ」となり明治5年(1872年)に簾舞の漢字があてはめられたといいます。

旧230号の街道から眺めると、描いた山になります。
中国の桂林の山に似ており、冬に眺めると水墨画の世界を見ているような景色です。
旧230号とは明治4年に京都の東本願寺によって開削された道で「本願寺道路」と言われました。現在の国道230号の元になっており、明治期にはすでに湯治場だった定山渓を通って虻田までの道でした。
この旧230号線の簾舞地区に札幌に残る唯一の通行屋「旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)」があります。

藤野三豊山(ふじのさんぽうざん) 

おにぎり山は、私が名付けた名前で豊平山といいます。南区藤野にある三山の一座ですが地元の人によって名付けられました。
この藤野地区は定山渓に向かう時に必ず通るところですが、開拓時代は軟石の石山と次の簾舞は御料農場に挟まれた場所であったため、移住した人たちは出稼ぎに出ることが多く地元の開発が遅れていました。
このようなことから、開拓二世によって豊かな自然の観光発展の「郷土づくり」が行われたという経緯があります。

豊平山

山名は藤野のレクリエーション構想で、 下藤野山(スキー場の山)に豊栄山(ほうえいざん)標高562m, 焼山=砕石の山には豊平山(ほうへいざん)標高660m、 牧場の山=ゴルフ場の山には豊見山(とよみやま)標高579mと名付け、この三山を藤野三豊山(ふじのさんぽうざん)と呼ぶことにしました。



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